月苺
月苺(ムーンストロベリー)のパフェが有名だというので逆ではないかと問うてみたら何しろ本当に月で採れた苺なのだと長岡は答えた。
「ストロベリームーンは赤く見える月だろう。月苺は月で採れた旬の苺だ」
「栽培などできるのか、月で」
「うさぎがしてくれている」
「何だ冗談か」
平日の夕刻近くであるせいか、喫茶店にあまり人は居ない。そういう時間を狙ったのだ。多様性の世の中で甘いもの好きの男性も認められつつあると言え、喫茶店で男の二人連れはやや目立つ。しかし月苺とは馬鹿なことを、そう流そうとする私の目をじいっと覗きこんで、長岡は不思議そうに返した。
「珍しいことではないだろう」
「うさぎの栽培がか」
「そうだ」
目の前にお冷やが置かれる。「ご注文は」長岡は月苺のパフェとやらを頼んだ。「おいおい」冗談の続きはよせ。そもそも「月苺」なんてメニューになかったはずだ。そう笑って止めようとしたが、女性店員はたじろぐことなく頷いたので却って私は目を丸くした。ぽかんとしている間に、女性店員はこちらにも問いかける。私はコーヒーを頼むのがやっとだった。
「ごゆっくりどうぞ」
女性店員はこちらを訝し気に見て去っていった。
「甘いものは良いのか? そのために来たんだろう」
「それどころじゃない」
「月苺はクレープもあるぞ。満月の時期はフェアをやっている。……だから来たんじゃないか」
お冷に口をつけながら、少し自信がなくなってくる。何度か来ている喫茶店のはずだが、月苺フェアなんぞ聞いたこともない。
そもそも、そんなニュースなどあったろうか。「月苺」という新種の苺が出ただけならそれで納得はできるが、ヒトではなくうさぎが月に到達し、あまつさえ文明を築き農作物を出荷している? そんな馬鹿なこと。
私は慌てて検索しようとして、サジェストの時点でゾッとしていた。予測変換にさえ月苺が出てくる。まさか。その嫌な予感の通りあっさりと、検索画面には月で撮影された都市や農村の画像が表示されていた。農作物だけでなくうさぎの農民だって至極当然に、全く珍しくはないものとして写っている。まとめブログすらあるし、動画だってある。
いつの間に。いつの間にこんなことになっていたのだ。
「そんな馬鹿な」
「馬鹿はお前だ」
勝ち誇った長岡のところに早々と件の月苺パフェが到着する。こちらのコーヒーはまだ来てもないのに。月苺は黄色で真ん丸で、苺にはあるはずのあの白い粒々の種もない、不思議な果物だった。このパフェが目的だったらしい長岡は、最後の楽しみに月苺を残しながらも嬉しそうに一すくい、また一すくいとクリームを口に運んでいく。その様を眺めながら、こんな衝撃的な事実を知らないことがあるかしらと私はぼんやり考えていた。
もう一度記事に目を落とす。月苺もうさぎも当然のことのように書いてある。月の都市のこと、農村のこと。いずれも詳しく書いてあるのは良いのだが、妙にその都市や住民であるうさぎのことを持ち上げているのが気になった。
まるで地球は、月のおかげで発展したとでも言いたげな。
「一口食うか」
「うん?」
私の沈黙を「馬鹿」と言われたことによる不機嫌と取ったらしい長岡は気まずそうな顔で妙な提案をしてきた。生真面目な男だ。――しかしどうだ、その黄色く丸い月苺は。あんなに賛美されるほどによいものなのか。
月苺はラストストロベリー症候群の長岡によってその透明な筒の真ん中にまだいくつか丸まっている。
「苺をくれるなら」
元来好奇心旺盛な私はつい興味を惹かれそう答えてしまった。
「強欲め」
言いながら長岡はパフェグラスを押し出して月苺を譲ってくれたので、私はその金柑にも似た、それでいて随分柔い果物をすくい取りかじりついた。
あるいはそれがいけなかったのかもしれない。
途端、パズルのピースでもはまるようにすべて思い出した。そうだ、月にはとっくの昔からうさぎが住んでいたではないか。優秀な彼らが我らに文明を伝え、我らはその代わりに潤沢な資源を提供しているのではないか。学校でも習った、常識だ。うさぎの王こそが万物の神であり、我らはその施しによって生きてきたのだ。
「馬鹿は俺だったな」
月苺を一粒飲み込んで私は頷く。長岡も深く頷いた。気づけば周囲からの注目を浴びていたらしく辺りの人もほっとしたように微笑んでいる。
女性店員は少し安堵したような表情で、ようやくコーヒーを持ってきた。
(しかし、何と甘い)
まだ月苺の甘さが口内に残っている。何と甘美な果実なのだろう。
ぬるくなったコーヒーのまずさは気にかからなかった。
私はどうしてももう一口同じものが食べたくて、月苺のクレープを注文することにした。
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