序章・二年前編
一話:沫雪の中の怒号
スフェルセ大陸。
過去から現在に至り、中央の土地にのみ四季は巡る。
東は秋、西は春。
南は夏といった一定の季節しか訪れない。
過去四度の大規模な戦を繰り広げてきたこの大陸は、まさしく四季が入り乱れる大陸といえよう。
そして——北も同じく。
しんしんと。
空より降りし雪は日の光を帯びて照り輝く。この場が普通であればどれだけ綺麗だと感じた事だろうか。
ただただ今の状況に不釣り合いな狼煙が上げられた様を眼で追った。太陽のように暖かみのある橙の髪を鎖骨程度まで伸ばした髪をもつ彼は小さく白い息を吐いた。
髪にほんの少しの雪を積もらせて、何百年と積もり続けている雪の大地を力強く歩む。
すると彼の帰りを待ちわびた様に人、一人。
「出番ですよ王弟殿下」
「……その呼び方と話し方、やめてくれないかな。キアー」
キアー・ルファニア。
彼——王弟殿下とほぼ同じくらいの二十前後の年頃で、人間と〝ラビリッツ〟という魔物との間に生まれたハーフだ。通常他種族との間に子供が産まれる事はなく、あっても混ざり合った血が拒絶反応を起こし病気を患うかそのまま死亡するケースが多い。
健康体での誕生は数千万分の一に等しい筈なのだが、無事健康体で産まれたキアーの場合はそれぞれの種族の特徴が強く現れている。それを見込まれて平民から貴族の地位を得た——というのが表向きの理由だ。
ラビリッツはウサギのような耳を持ち、足の筋肉がかなり発達した魔力を持つ魔物。キアーは人の姿を保ちつつあるが、耳は人の耳ではなくラビリッツの特徴である頭部の長く立った白耳。
髪の色はラビリッツの毛の色の中でも正統派の白と人間の母親の髪の色であった黒が半々。
肩よりすこし長い髪は後ろに一つ縛りにしているが、この気候で一つ縛りは流石に首元が寒いらしい。何処からか調達してきた赤いマフラーが首元に巻かれていた。
「ははは、仕方ないじゃん。表じゃボクは公爵に引き取られた義息。君は正式な王弟殿下。ちゃんとするしかないしさぁ」
「今の俺は王弟殿下としてじゃなく、一人の将として居る」
「ま、無駄話はここまでにしといて、いこっか。いつもの仕事だ」
王弟殿下と呼ばれた彼は寒さで身体を震わせながらキアーの後ろについていく。この気候と天候、地理では相手側が非常に有利だが、もちろんこちら側も対策も怠っては居ない。近接戦闘では足元を雪に奪われがちな兵士がいる可能性を考慮し、前衛は少なめにしてきた。恐らく弓兵、狙撃兵、ワイバーン部隊や魔法士部隊が今回の戦いのキーポイントとなるだろう。
……とここまでキアーが口頭にて説明を施していると、重要な事を思い出したようで王弟殿下はあっと小さく声を上げる。
相手も軍事力を誇る国の軍隊だ。幾ら自国がそれをも圧倒的する軍事国家とはいえ、押し負けた方が負けと言っても過言ではない。前衛を少なくして問題ないのだろうか、と。
キーポイントたる中・遠距離戦闘をサポートする為には近接戦闘の部隊の奮闘も必須だ。
「そんなに前衛の人数を削っていいの?」
「王弟殿下が居るから大丈夫です」
「……他人頼みは良くないと思う」
「まあ、まあまあ。王弟殿下とおれがいれば大丈夫ですって。そんな大規模な戦じゃないし、雑な策でも余裕余裕」
眼に澄んだ勝利の色しかないキアーは、自分達の立場が有利である事を知っている者が出せる余裕の声音で笑む。一方で王弟殿下はラベンダーのような鮮やかな眼を伏せて、先程以上に大きな息を吐く。これは王弟殿下なら雪場でも問題ないよね、というキアーの他人任せに対する溜め息だ。
とはいえ、仕事は仕事なのだから文句はあっても実行はしなければならないのも分かっている。兵達の指揮を上げる為に、王弟殿下は左腰にさしていた細めの片手剣を右手ですらりと鞘から抜いた。
今回は相手側の拠点、イグランドの制圧にきただけだ。こちらにとっては侵略戦。あちらにとっては防衛戦。王弟殿下にとって防衛戦よりかは攻め込む方が得意である。そして、王弟殿下直々の出陣とあってか、元より兵士達の指揮は大きく高まっていた。
「〝レフィシア・リゼルト・シェレイ〟の名において命じる! 速やかに! 迅速に! 敵を殲滅せよ! 阻む道は俺が斬る! 存分に戦え!」
静かな雪の土地に響く、戦の始まりの声——。
*
——怒号が木霊する。
爆発音。金属音。様々な声と音が混ざり合った熱量は空から降り続ける雪をも溶かす。
戦の状況は攻め込んできた側が圧倒している。メインである中・遠距離達もそうだが中でも圧倒していたのは一見不利だと思われた近接戦闘であった。
戦闘を率いる王弟殿下——レフィシアを誰も止められていない。魔力を脚力に集中させる事で一時的に光速のトップスピードを叩き出す。光速の速さだけでなく単純に剣術の技術も高い事から〝瞬光〟という異名をつけられたほどの将。レフィシアは秒をも感じさせない速度で次々と立ち塞がる敵兵士達を剣で斬り伏せてゆく。
斬り伏せた敵兵達の血を帯びた剣身。血は剣身から切先へ流れ、何れぽたりと雫となりて雪にその色を染める。
戦場は敵味方関係なく、攻撃を受けた兵士達は続々と死を迎えた。倒れ、雪の大地に血肉の色と臭いを染み込ませる。それでも振り返る事なく、レフィシアは止まらない。
足が雪の地面に軽くついた瞬間に魔力を一点集中させ、更に一気にまた切り込んでいく。敵の兵士達は終わりの無い斬撃を喰らうような恐怖を抱き、顔色を少し悪く足を後ろに引き摺った。
たった一人で数百、否、下手をすれば千もの兵と同等以上の戦力であるレフィシアを、一端の兵士ごときが敵う筈もない。正面から立ち向かえばそれは自ら死を選ぶようなものだ。
それでも国の為、誇りの為。死の恐怖に身体が打ち勝って立ち向かってゆく兵士達を前にして、ようやくレフィシアは足を止める。
「不要無用の殺しはしたくない。降参して明け渡してくれるというのなら、この戦でもう命は取らない」
レフィシアとて鬼子という訳ではない。あえて彼らに選択肢を与えた。拠点の明け渡しの代償に生きるか。それとも再びこの剣を取り死に向かうかの二択である。
妙に威厳と落ち着きを加えた声には、疲れの色が一切も見受けられない。まだまだ戦える、殺そうと思えば殺せるというアピールも含んでいるのだろう。迷いの生じる敵兵達の隙間を掻き分けて、上官であろう人物が手に武器を取らずやってきた。
ショートヘアのさらっとした黒髪に、黒縁の眼鏡がトレードマーク。歳はレフィシアより三つ程歳上である男は草木のような生茂る緑色の瞳でレフィシアをきつく睨みつける。
「私は、ロヴィエド・シーズィ。拠点の明け渡しの件、了解しよう」
「北国の軍の総大将は随分と聞き分けがいいね」
「本来であれば当拠点は重要な役割を担う為、明け渡したくは無かったのだがな。他の将ならともかく〝中央四将〟に出張られては流石に兵の命を取るさ」
「賢明な判断だ」
武器を取らなかったのは降参の意味か。レフィシアはロヴィエドの判断に頷き、剣を鞘に納めた。各々の兵達が自分達の陣に戻っていく中で、 レフィシアとロヴィエドは未だに対峙している。
「そういえば、君個人に頼みたい事があるんだけど」
「引き抜きなら受けないぞ」
「そういうのじゃないってば……内容はこの手紙の中に。申し訳ないけど、堂々と言える話じゃないんだ。後で読んでおいてほしい。ここに書いてあるのは真実だけど、信じるか信じないかは君自身だ」
ロヴィエドは常に警戒を怠らずに恐る恐ると差し出された一枚の白い手紙、その封筒を右手に取る。ロヴィエド自身、何を考えているのか分からないのにこんな手紙を受け取ったのかは自分でも上手く説明が出来ない。ただ、今のレフィシアが先程とは全く別人のような——そう、これから大事なものを失うかのような寂しさを何となく感じだからだ。
若くして常に理屈や道理に合わせ、合理的に総大将を務めてきたロヴィエド。彼は直感というのはあまり信用していない。だが、目の前の敵将一人にはそう感じさせる何かがあるのだと、信じてみてもいいかも知れないと思えてしまう。
「……内容によっては私だけでは対応出来ない。場合によっては王にも相談するだろう。それでもいいか?」
「うん。それでいい」
「で、兵はこれ以上殺さないという条件だが、捕縛や拷問はするのか?」
「特別に見逃すよ。兄さんには拠点制圧以外は何も言われてないし。代わりにその手紙の事については寛大でいて貰いたい」
ロヴィエドは手紙を懐にしまいながらレフィシアに問うと、それは一軍の将としては甘すぎる判断であった。ロヴィエドは些か愕然としたが、すぐに平然を立て直す。
レフィシア・リゼルト・シェレイなる男は近接戦闘に関しては〝中央四将〟最強であろうとされているものの、それ以外の政治方面などに関しては相手に対して甘すぎる。その噂話をロヴィエドは耳にした事があるので、噂が本当であるならば先程の言葉も納得がいく。
「じゃあ、俺は行くよ。実は後方にキアーがいるんだ。長話してたら怪しまれる」
「……」
背を向けて無防備なレフィシアを今なら隙を作れて殺せるだろうか?
……などと一瞬でも先走った考えを叩き壊して、ロヴィエドは撤退の指示を兵に仰ぎはじめた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます