第17話 もとめあう

 色々と紆余曲折及び内面の葛藤その他様々な要素から、ヴェラはノエルの隣から対面の席へと移動した。隣にいるとさっきの続きを求められそうで怖かったし、求められたら断れる自信もなかったからだ。心情的には望むところだが、今はまだその時間ではない。というか、先に解決しなければならないことがある。


 運んできてもらった料理が冷めてしまうのも気にはなるが、これもやはり後回しだ。というか、どうせ今のままではまともに喉を通るまい。


 今までノエルは自分の素性を話そうとしなかった。ヴェラから積極的に聞いたことがないのも事実ではあるが、話したくないという雰囲気は常々匂わせていたのだ。だが、ノエルがヴェラの元を去ろうとする理由がそこにあるのなら、聞かないわけにはいかない。


 ならば先ほどの雰囲気が尾を引いている今、すなわちノエルがヴェラの言葉に逆らいにくいであろう今こそ、絶好の機会であろう。ノエルの弱味につけ込むようだが、今しかないのだ。


「なあ、ノエル。色々と聞きたいことがあんねんけど」


「……」


 ノエルからの返答はないが、今までであれば別の話題を出すなどしてあからさまに誤魔化そうとしていたはずだ。それをしない、いやできないのであれば、やはり今が好機なのだろう。


 とはいえ、ヴェラとしてはノエルを無意味に追い詰めたくはない。単純に好きな人のことならなんでも知りたいという欲求自体はあるものの、それがノエルの傷だと察しがついているのだから、聞きだすことは最低限にするべきだと考えていた。


「そない構えんといて。ウチが聞きたいのは一個だけや。ウチがノエルと一緒におるとどういう問題が出てくるのん?」


 沈黙が降りる。ヴェラはノエルの表情の変化から、この沈黙が拒絶ではなく逡巡であると読み取った。ならここは待つしかない。


 果たしてノエルは何かの痛みを堪えるように、絞り出すような声で漏らした。


「……おそらく、高い確率で嫌がらせを受けます。場合によっては命に関わるかも知れません」


「嫌がらせ……?」


 予想していなかった返答に、困惑するヴェラ。それもそうであろう。ヴェラの目から見たノエルの強さや逃げ足の早さがあっても、なお対応できない嫌がらせというものが想像できなかったのだ。


「その、嫌がらせと言うと軽く聞こえると思いますが、貴族が権力を駆使して行う嫌がらせです。容赦も加減も知らない相手だと思ってください。実際に大怪我をした者が複数います」


「それはつまり、ノエルであっても防ぐ自信がないいうことなんやな?」


「僕一人が逃げる自信はありますが、ヴェラを守り切れる確証はありません」


 辛そうに、本当に辛そうに事実を口にするノエル。だがヴェラはそのノエルの言葉を聞いて笑顔を浮かべた。


「なんや。それやったら問題あらへんな」


「え?」


「ノエル、ウチがハーフリングやいうこと忘れてへんか? 逃げ隠れさしたらたぶんノエルより上手いで?」


「あ……いや、でも」


 一瞬虚を突かれた顔をしたノエルが、それでもヴェラを思い留まらせようと反論しかける。だがヴェラの不敵な笑みによって飲み込まされてしまった。


「まずその追っ手は貧民窟スラムに詳しいのん? 憲兵ですらよう入ってこえへんようなとこやで? 貴族の手下やったら普通に考えて不案内やと思うねんけど。貧民窟に潜んだウチらを見つけられるような、裏社会にも繋がっとう奴らなん?」


「それは……ないですね。あくまでも帝都にいる門閥貴族の、それも憲兵や近衛兵などの正規部隊を除く伝手の範囲です。素行の悪い傭兵がせいぜいでしょうか」


「ほならすぐ見つかるゆうことはないな。裏社会の人間に繋ぎ取ったかて、すぐにウチらまで手ぇ届くわけやないし」


「ですが、いずれは見つかります。伝手はともかく、金と時間はあるんですから」


 そう、ノエルが事態を楽観視しない最大の理由はそこだった。嫌がらせの首謀者は大変に執念深い性格をしており、かつ暇を持て余しているのだ。時間はかかっても確実に追い詰めてくるだろう。


「ノエル、もう一個忘れてるやろ。ウチは自分の船を買うつもりやねんで? 追いつかれるまでに船を手に入れたらなんとでもなるわ」


「……あ」


 今度こそノエルは反論の余地を失った。確かにヴェラと行動を共にするのであれば、当然ながらヴェラの船にノエル自身も乗ることになる。逃げるという点において、これほど有利な話はないだろう。


「どの道ウチ1人で操船できる船って小さすぎるんよ。ノエルが水夫として手伝ってくれるんやったら、選べる船の種類がだいぶ増えるんやわ。そしたら速さが売りの船にするいう手も取れんねん」


 航海士としては文句なく優秀なヴェラであるが、いかんせんハーフリングの女性であるため腕力には不自由している。水夫としては半人前以下の働きしかできないのだ。だがノエルに水夫としての技術を教えることならできる。


 ノエルはこれまでの境遇から、他者に頼るという発想を持っていなかった。それゆえヴェラ自身やヴェラの所有物を利用するという方法は完全に想像の外だったのだ。一方ヴェラは一人では船を動かせない航海士である。発想の根本がまるで違った。


 ノエルがヴェラから離れるべき理由を否定し、むしろ共にいるべき理由を示して見せたのだ。


「その……それはとても有難いんですが、いいんですか? ずっと逃げ回るような生活になってしまいますよ?」


 それでも、いやそれだからこそ、ノエルは確かめずにはいられない。自分と一緒にいれば、ヴェラは平穏から遠い生活を余儀なくされるのだ。大事にしたい相手だからこそ、巻き込めないと考えるのは当然だろう。


 だがここでもヴェラの返答はノエルの予想を超えていた。


「なに言うてんのノエル。ウチが、いやハーフリングが平穏な生活に満足できると思てんの? 惚れた男と一緒に冒険の旅。それってウチの理想やで?」


 これではもう何も言い返せない。ノエルと共にいることによる不利益は何もないと言い切られてしまった。なら、ノエルが断る理由もない。


「まったく、ヴェラには敵わない。どうしたって勝てる気がしません」


「当たり前や。お姉さん舐めたらアカンで」


「わかりました。これからよろしくお願いします。ヴェラ


「ふふん、任せとき。さてそうと決まったら、はよ食べてまおか。料理が冷めてまうわ」


 憑き物が落ちたかのように穏やかな表情のノエルと、わずかに照れを含むものの自信に満ちた笑顔のヴェラ。こうして、二人の関係は新しい形へと変わったのであった。




「そうそう、宿に帰ったら、ウチのこともちゃーんと召し上がってや?」


「ちょ! な、なにを!?」


「なんよ。ウチの身体やと不満か?」


「い、いや、驚いただけです。その、帰ったら、えーと、いただきます」


 かくして一度は燃え尽きたバーンナウト魔術師潰しメイジマッシャー』の心には、新たな火種が燻り始めたバーンナウトのである。

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