第7話 ゆめをかたる

 医者がヴェラに下した診断は、過労、栄養失調、そして風邪だった。しっかりした食事と休養を言い渡されたヴェラを、ノエルはまた背負って診療所を出る。差し当たり昼食についてどうするかと考えていると、ヴェラが背中から声をかけてきた。


「ノエルには手間かけて悪いんやけど、ウチが借りてる部屋まで運んでもらわれへんやろか」


「それは構いませんけど、さっきの水夫長みたいなのが押し掛けて来たりしないんですか?」


「ああ、今の部屋は職場に知らせてへんねん。前の部屋は休日に押し掛けて来たりされたよって」


「されてたんですね……。普通に犯罪なんですが」


 なかなかに過酷な住環境である。ちなみに今の部屋は貧民窟スラム近くにあるらしい。まさか若い女性が一人で住んでいるとは誰も思わないような場所なのだとか。もちろん好きでそんなところに住んでいるわけではないだろう。要するに金がなくてそんなところにしか住めないのだ。


「思うのですが、その部屋では療養にならないのでは?」


「居心地がええとは言わんけどな。他に休めるとこあらへんもん」


「費用は僕が持ちますから、まともな宿に泊まりましょう。そこでは治るものも治らない」


「ええのん? ノエルかて金持ちいうわけやないやろ?」


「高級宿は無理ですけどね、普通の宿なら問題ありません」


 それに、どうせノエルは宿を取らないと寝る場所がない。一人部屋を二人部屋に変えるだけの話である。だから問題があるとすれば、


「ただ看病もするつもりなので、同室になるのは了承して下さい。もちろん、手は出さないと約束します」


「……まあノエルが病人を手籠めにするほどの外道やとは思わんし、宿代も出してもらえるいうんやったら文句は言えんわ」


「体調が戻るまでの話なので、申し訳ないですが堪えてください」


「悪いんはどっちかいうとウチやわ。おおきにな」


 話がまとまって少し経った頃に、ヴェラの借りている部屋に着いた。ヴェラをそっと降ろし、連れだって室内に入る。中は二室しかなく、ノエルはその片方の部屋に案内された。


「とりあえず着替えるよって、こっちの寝室で待っとってな」


 ヴェラの寝室はノエルにとって、馴染みのある雰囲気をしていた。家具を始めとした物が極端に少ない。散らかるほどの物がないので、一見整頓された印象を受ける。ノエルは部屋を飾ることに興味が無かったからだが、ヴェラの場合はノエルと同じなのか、それとも余裕がなかったからだろうか。


 その答えが壁の中央に貼ってあった。大陸全土を表した簡単な地図だ。詳細な物は軍事機密扱いになっているのでそもそも出回らないが、こういう簡単なものでも安くはない。手軽に手に入る物ではないのだ。


「ああそれ? ウチのお気に入りやねん」


 着替えたヴェラが寝室に入ってきて、地図を眺めるノエルに気付いた。ヴェラは寝室の床に置いた木箱から持ち出す衣類をまとめると、鞄に詰め始める。手際よく作業をしながら、ヴェラは自身の夢を語った。




 ヴェラはごく小さな時から、海と冒険が好きだった。帝都から少し離れた漁村で生まれ育ち、漁師であった父の船を度々勝手に持ち出して海に出るような子どもだったのだ。


 子どもにはよくあることだし、ハーフリングであればなおさらよくあることだったので、周囲の大人はそれを問題だとは思っていなかった。問題があったのはヴェラのほうである。成長とともにヴェラは大陸と帝国の現状を知り、絶望したのだ。


 現在、大陸も帝国も正式な名称があるにも関わらず、誰もその名前を口にしない。なぜなら、どちらも唯一無二だから。この世界にはこの大陸の他の陸地は大きな島がいくつかあるだけで、あとは全て海だから。大陸には帝国以外の国がなく、他には大きな島にいる人々の小さな国があるだけだから。大陸のどこを見ても未知の場所が存在せず、危険な魔物はもうほとんど残っておらず、冒険をする機会などどこにもない。それがヴェラの知った世界の現状だった。


 ヴェラが500年早く生まれていれば、状況はもっとマシだった。大陸の広さは同じだが、まだまだ人跡未踏の地が多く残っていたからだ。1000年前であれば、第三次海嘯より前なので大陸はもっと広かったし、他の大陸もまだ残っていた。2000年前なら第二次海嘯より前なので、この大陸はとても広大だったし、他の大陸だって今のこの大陸より広かったはずだ。ちなみに3000年前は第一次海嘯より前なのだが、当時の詳しい記録は残っていない。全て海の底だ。


 そんな世界の有り様では、ヴェラの冒険心にとても応えられない。例え大陸の隅々まで旅をしても、それはヴェラの求める未知ではないのだ。そのことに気づいたヴェラは、一時期非常に落ち込んでいた。冒険のない世界に冒険を愛するハーフリングとして生まれたことを呪いもしたほどだ。


 だがある日、漁師である父が網にかかったある物をヴェラに見せた。それは失われた文明が作った遺物。現在では大きく衰退した錬金術が、まだ隆盛を誇っていた時代に作られた錬金技術製品アルケミックだった。


 とはいえその時父が拾ってきたのはただ錬金術で作られただけの品物で、高度な技術によって作られた決して劣化しない古代遺物アーティファクトなどではない。言ってしまえば古いだけのガラクタだ。だが、むしろそれがヴェラの魂に火を点けた。


 海の底に現在の誰も知らないモノが沈んでいる。それを探すことはなんと言うのか。決まっている。冒険だ。冒険以外のなんだと言うのか。


 その日以来、ヴェラは本格的な船乗りになるべく父の仕事を手伝い、同時に航海士としての勉強を始めた。いつか船乗りとしての腕を磨き、資金を貯めて自分の船を持つ。それがヴェラの目標になったのだ。


 ヴェラは成人すると帝都に出て、見習い航海士として雇ってくれる商会を探した。見習いとはいえハーフリングの航海士は風の加護を持っていて、風向きや天候の変化を予測するのが得意なため引く手数多だ。ヴェラは悩んだ末に、見習い時の給料が安い代わりに、一人前になった時の給料が破格だったレアード海運を選んだのだった。そしていつまでも見習いのまま現在に至るわけである。


「うん、改めて考えると船長と水夫長は八つ裂きにしてもかまへん気ぃしてきたわ。絶対許さへん」


「止めはしませんが、船長だけじゃなく水夫長もですか? いやちょん切るとは言ってましたけど」


「ああ、あの二人兄弟やねん。どう考えても共犯者やろ」


「なるほど。まあ報復の準備を整えるためにも、今は大人しく養生してください」


 話しているうちにヴェラの荷造りが終わったので、ノエルはヴェラの鞄を背負って立ち上がると、ヴェラの身体をひょいと持ち上げて横抱きにした。いわゆるお姫様抱っこというやつだ。


「ちょ、ちょっとなにすんねん!」


「背中が塞がってるんですよ。まあお気になさらず」


「お気にするわ! めっちゃ恥ずかしいやんか! 自分で歩くから降ろしてぇな!」


「とはいえヴェラ、貴女足元がふらついてるんですよ。それで歩かせるわけにはいきません」


 ジタバタと抵抗するものの、体調が良くない上に元々非力なハーフリングではどうしようもない。二・三発ノエルの頭に拳が当たったが、ノエルは全く意に介していなかった。


 そのまま抵抗虚しくヴェラは宿まで運ばれてしまう。宿の従業員たちから新婚なのかとあらぬ誤解を受けたのは、ある意味予想通りだった。


「船長らの次はノエルの番やからな! 覚えときや!」

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