バーンナウト・メイジマッシャー

野良海豚

第一章 もえつきたもの

第1話 おわれる

 木槌を打ち鳴らす音が法廷に響く。裁判官席の中央に座した裁判長が、厳かに告げた。


「判決を申し渡す! ノエル=ガードナー一等兵! 汝の行いは栄えある帝国近衛師団の著しく損なった! よって近衛師団より、不名誉除隊処分とする! 異議ある者はあるか!」


 痛いほどの沈黙が法廷を支配する。法廷に居並ぶ高官や貴族達の誰からも異議を唱える声は上がらない。彼らの視線は被告となった若者へと注がれているが、含まれているのは嘲弄と侮蔑のみ。誰も若者を憐れんでいないし、惜しんでいない。


 彼はこの場において、その程度の価値しか認められていない存在だった。


 こうしてノエル=ガードナーの3年間は否定され、さらに未来もまた閉ざされたのである。




 帝都ロンディニウムにある近衛師団本部内で開廷された軍事法廷にて、一人の一等兵が裁かれた。罪状は命令違反。任務そのものは成功させているものの、その命令違反によって行動を共にしていた上等兵が一人戦死している。


 とはいえノエル=ガードナー一等兵がこれまで実直に任務に従事してきたのは事実である。その点を考慮した結果が今回の判決だった。もっと重い刑罰を求める意見もあったのだが、最終的にはこのような形で落ち着いたのである。


 判決を受けたノエルは、所属する部隊の中隊長から明日の朝一番に宿舎を退去するよう命じられた。ついでに山のような厭味を言われたはずだが、耳にも記憶にも残っていない。そんな無駄なモノを残せる気力がそもそも存在しなかった。それよりも自室に戻り、早急に荷造りをしなければならない。


 だが荷造りといっても、大した荷物があるわけではなかった。15歳から3年間この部屋で過ごしたが、多忙かつ無趣味であったノエルの私物など本当に必要最低限しかない。一等兵の俸給など知れたものだったが、ほとんど使わなかったためにそれなりに貯まってしまっていたほどだ。ノエルの私室は簡素というより殺風景というべきだった。


 だがその少ない荷物を頭陀袋に詰めるだけの作業がなかなか終わらない。いや、そもそも手が動いていない。黒髪からのぞく紫の瞳は光を失ったまま手元を見つめているだけで、ノエルは身動きを全くしていなかった。


「……」


 ノエルは今回の判決に一切の抗弁をしていない。これまでの経験から、しても無駄だとわかっていたからだ。ノエルは常に最善を尽くしてきたつもりだったが、それが評価につながったことなど一度もない。それでもなんとかやってきたのは、他に行ける所がなかったのと、死にたくなかったからだ。


 とはいえ入隊当初は一縷の希望があった。大した才能など持ち合わせていないが、それでも努力すればその分の功績くらいは認められるのではないかと思っていたのだ。ノエルはその思いを胸にただひたすら軍務に打ち込んできた。


 その結果がこれである。幾たびも死線をくぐり抜け、時には仲間を失い、手を血に染めて積み上げた3年間の功績は軍籍ごと無くなった。残ったのは不名誉除隊という汚名だけ。


「……」


 虚しさに溜息すら出ない。これまでのことだけではないのだ。不名誉除隊になった以上、軍はもちろんあらゆる役場や貴族領にも通達が回るだろう。そうなればまともな職にもつけなくなる。この先まともに生きていけるのかも定かではない。


 そこまで考えて、ノエルの思考は停止した。もう何も考えたくない。将来になんの希望も持てないのに、この虚しさを抱えて生きていけるわけがないのだ。今のノエルは死んでいないだけで生きてもいない。どうにでもなればいいとしか思えなかった。


 扉からノックの音が響くが、反応する気になれない。どうせ鍵はかけていないのだ。入りたい者がいるなら入ればいい。ついでにこのろくでもない人生を終わらせてくれれば言うことはない。


「入るぞ」


 果たして、入室してきたのはノエルが所属していた第一小隊の隊長を務めるリアム=エース中尉だった。


「……」


 入室した自分に何の反応も返さないノエルを見たエースは、それだけで大体の状況を察したようだ。


「ひでぇ面ぁしてやがんな」


 溜息と共に吐き捨てたエースは、壁にもたれかかると足を組んで煙草に火を点ける。一応まだこの部屋の主はノエルであるはずだが、エースはノエルの許可を取るつもりはないようだ。ノエルにしても咎めるつもりはない。この部屋が煙草臭くなろうと自分にはもう関係ないし、その煙で健康を害してもやはり関係ないからだ。どうせここを出てから長く生きられる気がしない。


 無言のまま時間だけが過ぎる。ノエルとしてはどうでもいいことだが、第一小隊を預かるエースがこんなところで時間を無駄にしていてもいいのだろうか。何か用があるのならさっさと済ませればいいのに。


 エースは軍学校を首席卒業した俊英だ。出身は平民だったはずだが、この近衛師団特務連隊第三大隊第一中隊、通称『監視兵中隊センティネル』では別に珍しい話ではない。近衛師団は門閥貴族の影響下にあり身分の高い者が多く在籍するが、監視兵中隊は対魔術師戦を専らとしているために損耗率が冗談のように高く、この中隊に限っては身分にこだわっていられないのだ。


 ノエルが近衛師団に入隊し、半年の訓練期間を終えて第一小隊に配属されたのとほぼ同時に、第二小隊の副隊長から第一小隊の隊長としてエースが赴任している。そこからおよそ2年半の付き合いだ。


 エースとは親しい間柄というわけでもなかったが、今日まで生き延びたのは彼の指揮が卓越していたからだと認識していた。少なくとも彼が赴任する前の第一小隊は、今より損耗率が3倍以上高かったのだ。エースが優秀であることと、そのおかげでノエルが生き延びたことは間違いないだろう。


 ただノエルが軍事法廷に立つことになったのは、エースが指揮する作戦下で命令無視の挙句に同僚を死なせたからだ。そういう意味では合わせる顔がない相手でもある。


「……」


 無言のまま、エースの煙草の先に視線を向けるノエル。視線が合っているようで本当に合わせるのは避けている。何もかもどうでもいいと思いながらも、後ろめたさは消えてくれない。


 だがそんなノエルの様子に気付いているのかいないのか、エースは二本目の煙草に火を点けると、大きな溜息のように煙を吐いた。


「こうなっちまった以上、今さらごちゃごちゃ言っても始まらねぇ」


 溜息に紛れるように、ようやくエースが呟く。眉間の皺が深い。原因はノエルへの苛立ちか怒りか、多分両方だろう。エースは壁から背中を離すと、ノエルの前にしゃがみこんで顔を覗き込んできた。


「もう二度と会うことはねぇだろうし、会わねぇほうがお互い幸せだ。そう思って聞け」


 普段は直接的な物言いをするエースが、珍しく回りくどい。エースの纏う煙草の匂いが、まるで彼の苛立ちそのもののように感じられる。


 だが随分と勿体ぶったエースの本題は、口に出してしまえばあっけないものだった。


「失せろ。俺の目の届かない所にな」


 そう吐き捨てたエースの顔は、酷く歪んでいた。本当に、心の底からそれを望んでいるのがよくわかる。それは虚無感に囚われていたはずのノエルの心であっても、罪の意識を抱かずにはいられない。お前が役立たずなせいで仲間が死んだと、糾弾しているようにしかノエルには見えなかった。




 一晩中悪夢に悩まされてほとんど眠れなかったノエルは、夜明けと共に逃げるように宿舎を後にする。一秒でも早くこの場所から離れたかった。

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