第2話 通知表対決

 7月。城江津市じょうえつしの夏はあつい。

 こういう日には小学校のプールにドボンと飛び込みたくなる。

 今日は終業式。式はすでに終わり、明日から待ちに待った夏休み。

 3年生の教室には、まだ残っている子たちが多い。

 なんでも毎年恒例まいとしこうれいの『勝負』を見るためらしい。

 ぼく、灰塚卓哉はいづかたくやも見学者のはずだったのに、いつのまにか参加者になっていた。

「いいか。いっせーの、で見せるんだからな」

 メガネをかけている黒田くんが最後のかくにんをする。

「わかってるよ。おまえとの勝負は何回目だと思ってるんだ」

 夏らしくさっぱりした短髪たんぱつ五智陽平ごちようへいくんが答える。

 ふたりの手には先生から配られたばかりの通知表がある。

「それより約束のこと忘れるなよ? 今さらダメなんて言わせないからな!」

 黒田くんが念をおすようにたずねる。

「ああ、忘れるわけないだろ。拓也もだいじょうぶだよな?」

 白い歯を見せて笑いかけてくる陽平くん。

 ぼくはその笑顔を見ると、すこしホッとする。

「だいじょうぶだよ。でもぼくは、約束なんかなくても……」

 しまったと思って口元を通知表でかくす。けれど、もうおそかった。

「灰塚! なんだよおまえ! もう勝った気でいるのか?」

 とつぜん、黒田くんが顔を近づけてにらんでくる。

「黒田の言うとおりだぞ。男と男の約束をやぶっていいと思ってるのか」

 いつもは味方になってくれる陽平くんも、今回ばかりは黒田くんに同意している。

 それだけ今日の勝負を真剣に考えているからだろう。

「ご、ごめん。約束はちゃんと守るよ」

 ふたりともそれを聞いて納得したような表情を見せる。

「そろそろやるぞ。黒田も、拓也も、いいな?」

「ああ! 今年はぜったいに勝つ!」

「うん。ぼくも、がんばる」

「よし。じゃあ、いっせーのっ!」

 陽平くんのかけ声に合わせ、ぼくらは通知表を開いて見せる。



 その直後、まわりにいたクラスメイトがいっせいに押しよせてきた。

「どうだ!」 

「どっちが勝った?」

「おすなよ」

「見えなーい。見た人はどいてよー」

 ぼくのかたから顔を出して見ようとする人がいて体がぶつかる。

 そこで気がついた。そうだ、ぼくが結果を見ないといけないんだ。

 できるだけ早く。けれど、まちがえないように気をつけて数える。

 先に陽平くんの通知表から『3』を見つけるごとに右手の指をおりたたんでいく。

 次に黒田くんの通知表を見て、今度は左手の指をおりたたんでいく。

「拓也。どうだ? どうなんだ?」

 待って、もうすこしだから、と頭の中で返事(へんじ)する。

「おれの勝ちだと思うやつ、手ぇあげてぇ!」

 黒田くんがうでをあげてまわりを見る。

 その声を聞いて、ふたりのクラスメイトが手をあげる。

 黒田くんは不満そうにしながらすぐに手をさげた。

「おれの3年連続勝利だと思う人、手をあげろー!」

 今度は陽平くんが大きな声を出してみんなに聞く。

 すると、さっきとはくらべものにならないほど、たくさんの手があがった。

 それを見た陽平くんは、とてもうれしそうに笑っている。

 ぼくも手をあげたかったけれど、数えまちがえたらいけないのでやめておいた。

「ま、まだ結果は出てないだろ。ほら、早く言えよ」

 ふきげんな表情の黒田くんがぼくの背中をおしてかしてくる。

 だいじょうぶ。ちゃんと数(かぞ)えたからまちがっていない。

 そう自分に言い聞かせ、陽平くんと黒田くんには教卓の前に立ってもらう。

「陽平くんと黒田くんの3年生一学期通知表対決は……」

 そこでいったん言葉をきって、ふたりとクラスメイトの顔を見る。

 みんな、真剣な表情でぼくが話すのを待ってくれている。

 これが最後と思って両手の指をチラリと見る。

 それからできるだけ大きな声で結果を発表した。



「五智陽平くんの勝利です!」



 勝負の結果を伝えた瞬間、周囲から割れんばかりの歓声があがった。

「待てよ灰塚。おまえ、ちゃんと数えたんだろうな」

 この結果に納得していないらしい黒田くんがこちらをにらんでくる。

「ちゃ、ちゃんと数えたよ。黒田くんの通知表で最高評価『3』だったのは国語、算数、理科、社会の四科目。陽平くんは国語、理科、社会、図工、体育の五科目。まちがってないはずだよ」

 ぼくは、指をおりたたんだままの両手を見せた。

 それから、だいじょうぶ、だいじょうぶ、と何度も自分に言い聞かせた。

 けれど、ぼくの胸はとてもドキドキしている。

「おい黒田。そんなこと言うならおれの通知表を見ろよ。それなら文句ないだろ」

 勝者としてよろこんでいた陽平くんが助け舟を出してくれた。

 黒田くんは通知表をひったくるようにして取った。

 それから教卓の上でふたつをならべて見る。

「どうだ? 拓也は数えまちがいなんてしてないだろ?」

 陽平くんの問いかけに対して黒田くんはなにも言わない。

 やっぱりぼくは数えまちがえてない。陽平くんの勝ちだったんだ。

 やった! やった! 



「それより拓也の成績はどうだったんだよ」

「あっ」

「もしかして、自分の通知表を数え忘れたのか?」

「う、うん……」

 陽平くんに言われてようやく気がついた。

 数えまちがえないことに気をつけるあまり、自分も参加者だと忘れていた。

 昔からそうだ。ぼくは大事なところでうっかりミスをしてしまう。

 算数のテストで計算まちがいをしたり、徒競走のゴール前で転んでしまったり。

 先生からは、もうすこしおちついて行動しましょう、と通知表にも書かれていた。

 城江津市じょうえつしに引っ越ししてくる前の学校でも似たようなことがあった。

 友だちからは、しっかり者のようなうっかり者、とからかわれていた。

 両親は、人はミスして当たり前、気にすることない、と言ってくれる。

 それでもぼくは、もっとしっかりしなくちゃ、と思っている。

 はあ……しっかりするってどうしたらできるんだろう……。

「あはは。拓也はまじめで勉強ができるのに、どこか抜けてるんだよな」

 陽平くんが大きな声で笑いながら、ぼくの背中をポンポンとたたく。

 笑われているのに、はずかしいと思わない。

 むしろ陽平くんの笑顔を見るとホッとする。

「おい灰塚。おまえの成績はどうだったんだ。見せてみろよ」

 敗者となって肩を落としていた黒田くんが急に元気を取りもどした。

 まだぼくの成績がわかっていないから、負けたわけではないと思ったんだろう。

「これ、おまえの通知表だろ。おれが見てやるよ」

 黒田くんは教卓の上に置いていたぼくの通知表を開く。

 また黒田くんのメガネが左右上下にうごいていく。



「おれの親友、灰塚拓也の勝ちだと思うやつ、手ぇあげてぇ!」

 とつぜん、大きな声でみんなに呼びかける陽平くん。

 視線がいっせいにぼくに向けられる。こわくなったぼくは思わず目を背(そむ)けた。

 けれど、となりにいた陽平くんだけは、ビシッと手をあげていた。

 ふだんの授業では、めったに手をあげることなんてないのに。

 ぼくの視線に気づいた彼がニカッと笑う。それからもう片方の手で指をさす。

 いつのまにかみんなの手があがっていた。その数は陽平くんの時よりも多い。

「それで黒田。拓也の通知表はどうだった?」

 いじわるそうな笑みをうかべる陽平くん。

 むずかしい顔をして通知表とにらめっこをしている黒田くん。

 後ろから様子をうかがっているクラスメイトたち。

 なかなか通知表が返ってこないので心配するぼく。

「うるさい!」

 黒田くんが通知表を突き返してきた。

 それを持ち主のぼくではなく、陽平くんが中を見ながら読みあげる。

「国語、算数、理科、社会、図工が『3』か。やったな拓也。おれたちの勝ちだ!」

 陽平くんはまた、白い歯を見せながらニカッと笑う。つられてぼくも笑う。

 小学1年生から陽平くんと黒田くんの間ではじまったという通知表対決。

 ふたりは保育園からの付き合いらしい。その頃からケンカばかりして、たがいに相手のことを『ライバル』と言っている。

 小学生になったある日、学校の備品をこわして校長室によび出されたという。

 校長先生がこわかったのか、それから陽平くんも黒田くんもケンカをしなくなった。

 そのかわり、通知表の最高評価の数を競い合う『通知表対決』がはじまった。

 それは2年生、3年生になった今でもつづいているらしい。

 これまでの結果は、陽平くんの方がすこしだけ勝っているみたいだ。



 ぼくがこの学校に転入したのは今年の春。だから通知表対決のことは知らなかった。

 通知表対決に参加しないかと陽平くんからさそわれた時はおどろいた。

 正直、勝負なんてしたくないと思った。

 だれかと競うのは苦手だし、乱暴な口調で話す黒田くんはもっと苦手だったから。

 けれど陽平くんは、城江津市じょうえつしに引っ越してきてからはじめてできた友だち。

 その友だちのお願いをことわることが、ぼくにはできなかった。

 今はどう思っているか? 

 たのしかった。参加してよかった。

 本当にそう思っているよ。

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