参話

「……ほう。三人いっぺんに来よったか」


 どこからともなく、老いた声が響いた。

 しゃがれてはいるが、深い叡智を感じさせる声である。

 

 そして蹄の音が近付き、その姿は蛍の光の如く浮かび上がった。


 あでやかな白馬に、その翁は跨っていた。

 行者の如き白装束を纏っているが、顔は影の如く黒く、目鼻口は見えない。


「げえっ!」

「物の怪だ!」

「何者か!?」


 八の宮さまと和明殿は慄き、中将殿は隠し持っていた短刀を構える――模造刀であるが。



「ほっほっほっ……そう気を逸るな」

 翁は白馬から飛び降りた。

「我は、方丈なる一族の長である。忘れ物を届けに来たぞ。中将には、この白馬だ」

 手綱を引き、中将殿の前に進み出た。

「名は『白炎』……いや、そなたの方が良く知っておろう」


 中将殿は手綱を取り、戸惑いつつも白馬の頬に触れた。

 白馬の黒い瞳は穏やかで、身じろぎもせずに、中将殿を見つめる。

 中将殿は只ならぬ絆を感じ、問うように翁を見た。


 「……人よりも、心賢きものよの」

 翁は笑い、背に括り付けていた布の結び目を解く。

 それは艶やかな山吹色と純白の二枚のうちきであった。

 うちきを開くと――うちより現れたのは太刀である。

 柄も鞘も真白にして、神々しく輝いている。


 翁は、その太刀とうちきを和明殿に差し出した。

「これは、其方そちのものだ。うちきには、癒しの術が編みこまれておる」

「……は?」

「太刀の銘は『白鳥しろとり』と申す。古き神々の地で鍛えられた。心して使え」

 

 和明殿は、目を白黒させつつも受け取る。

 太刀の鞘も素晴らしいが、それにも増して、二枚のうちきに心を奪われる。

 良く見ると、袿には飛翔する白鳥の姿が織り込まれている。

 皇族が纏われるような美しい模様だ。

 

 

 それらを見ていた八の宮さまは、首を伸ばして訊ねた。

「あの……行者殿。私には……」

「無いっ」

「えぇ?」

「……やがては、犬が味方してくれよう。それまで待て」


 翁はぴしゃりと言い放ち、三人をぐるりと見回した。


「今宵は、帰るが良い。だが今後は、其方そなたらの周りに怪異が起きる。怪異を消したくば、夜空の下で盃を持ちて願え。我の愛する者を助ける力を与えよ、と。さすれば、闘う力が宿るであろう……」


 翁は、錫杖で地を打つ。

 すると――たちまち足元に水が溢れ、三人は水に包まれた。

 問い返す間も無く、水底へと吸い込まれて行く。

 その水はたちまち渇き――白馬も中将殿と共に去り、後には何も残らぬ。


 妖しき月光の下、かくして沈黙が戻る。

 



「ほっほっほっ……」

 女の笑いが、沈黙を押し退けた。


 振り向いた翁の目に、黒馬に乗った女の姿が映る。

 紗の薄い単衣の上に、墨染めのうちきを着た女だ。


「ようやく、三馬鹿が現世うつしよに転生しよったわ」

 女は妖し気に、舌で赤い唇を舐める。

 翁は顔を上げ、女を凝視した。

「月影の御方よ……そなたが、彼らをこの地に引き込んだか……」


「しばし楽しませて貰っても、罰は当たるまい。ここは退屈で堪らぬ。御神木の内の唸り声も聞き飽きた」

「……水葉月みずはづきが戻らぬうちは、勝てぬ。性急に導く必要は皆無であった」


「奴が現世うつしよに流れ着くのは千年は先であろう。それまで、三馬鹿どもには死に帰り続けて貰おうか。運良くば、神逅椰かぐやの尻を刺すぐらいは叶おうぞ。ほっほっほっ」



 ……女と黒馬は、闇に溶けるように消え失せた。

 翁は深く息を吐き、耳を澄ませる。

 地下深くに流れる水音が、耳の内にこだまする。

 

「……あねさま……三将が帰って来ましたぞ……」


 一族の大巫女であった姉。

 その予言を信じ、自らの魂を『黄泉の泉』の護岸とした同胞たちを想い、瞳を濡らす。


 その足元に、犬たちが寄って来た。

 いずれも影の如き姿で――大きな犬二匹と小さな犬二匹は、嬉しそうに吠える。

 その一匹の頭を撫で、翁は万感を込めてささやく。


「命が尽きるまで、彼らを導きましょうぞ……それが我が使命なり……」


 翁は誓い――山門を背に、道なき闇を歩き始めた。

 犬たちも、それに従う。

 真紅を帯びた月光が、彼らを照らす――。






「……うぁっ!?」

 和明殿は、目を覚ました。

 見ると、身の上にうちきが掛けられている。

 顔の上には、八の宮さまの侍従の困惑した顔がある。


「これは!?」

 見ると――八の宮さまと中将殿は寝入ったままで、共にうちきで覆われていた。


「不躾ながら、皆さまに声を掛けても、お目覚めになる気配が無かったので……」

 和明殿と変わらぬ年頃の侍従は、小声で耳打ちする。

 空の月は、天頂を過ぎて大きく傾いている。



「……お二人に白湯をお持ちせよ」

 和明殿は命じ、侍従は足音を忍ばせて去った。

 

 風は温かく、虫の音は止まぬ。

 だが――何かが違っている。

 寝入る前と、何かが変わっている。


 片膝を立てて座り、右手を見た。

 鞘を握った感触が、ありありと残っている。


「方丈の行者さま……?」

 

 夢で見た翁とは、以前にもお逢いした気がする――。

 そして、単衣ひとえ袴姿の女にも、不可思議なえにしを感じる。


 和明殿は欄干に寄り、池に映る月を眺めた。

 上弦の月は揺れ、時に望月のようにも見える。



 そして――確信する。

 我が名は『神名月かつなづき』だ、と。

 月の帝に与えられた誇り高き名だ、と。


 彼は烏帽子を外し、髪を解いた。

 肩の下まで届く髪がなびく。


 

 我は、神名月かみなづきの中将である――。

 近衛府の四将の剣士なり――。



  ―― 終 ――



 * * *

 


 サポーター様先行公開した『平安京897 ―始まりの物語―』は、これにて終わります。

 この後に、新規書き下ろしの『雪の宴』が続き、それを持って『悪霊まみれの彼女』が完結します。

 『雪の宴』の公開まで、しばしお待ちください。


 今回登場した『月影の御方』と呼ばれた女性は、続編では『黄泉姫』と呼ばれています。

 一応、人妻?ですので、続編途中からは『雨月の大将』は『黄泉の御方』と呼んでいます。


 彼女の衣装については――

 以前にエッセイ『春はあけぼの、夏は夜』にも記した『単袴姿』です。

 未見の方は、ぜひ画像検索してください。

 当時の衣装を忠実に再現した白黒写真が見られます。


 黒馬に騎乗中は『墨染めの袿を纏って』いますが、当然『僧衣』です。

 彼女の半身の『蓬莱の尼姫』の意思が働いているのでしょう。

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悪霊まみれの彼女 mamalica @mamalica

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