第30話 静かな変化

 


「相変わらず閉じこもって土いじりかい? 物好きだね君も」

「ウェルジオ様。ようこそいらっしゃいました。わざわざありがとうございます」

「父上に頼まれただけだ。何度も運んでいたから僕のほうがいいだろうってね」


 うまい具合に押し付けられたと愚痴る彼の額には、隠すこともできない汗が滲んでいる。


「ウェルジオ様、よければこちらを」

「…………すまない、助かる」


 冷やしたミントティーと一緒にタオルを差しだす。

 去年も渡したペパーミントの冷えタオル。けだるげに汗を拭うそんな姿さえ無駄に整っていて思わず見惚れてしまう。何をしても絵になるなんて、美少年は得だな。


「君はちゃんと外に出ているのか? 日がな一日こんなところに閉じこもって……倒れても知らないぞ」

「その辺りは母も家のものも目を光らせてますから、心配は要りませんわ」

「別に……。君が倒れでもしたらセシルが心配するからね」

「君が元気に笑っている姿を見れないのは辛いんだ、僕のためにも無理はしないでくれ……くらい言ってみなよ色男」

「ぶふぅーーーーっ!?」

「きゃあぁっ!!」

「やだーお兄様ったらきたなーい」

「やだージオったらきたなーい」


 横合いから突然かけられた声に、飲んでいたミントティーを思いっきり吹き出した。


 声をかけた本人はセシルと一緒になってそんな姿をおちょくるが、当の本人は鼻にまで入ってしまったせいで言い返すこともできずにゲハゲハむせるしかできない。

 その姿はさっきまで無駄にキラキラしていた美少年とは大違い……。うん、何をしても絵になるってのはちょっと言い過ぎだったかな。


 苦しそうに咳き込みながらも視線を上げた彼は、そこにいるはずもない友人の姿を見つけて、ぎょっと目を見開いた。


「まっ……、はぁっ!? お前、なんでここにいる!?」

「お邪魔してるからだよ」

「見張りの奴らはどうした!?」

「一年にも渡る度重なるバトルの末、ようやく勝利を得たのさ☆」

「――――〜〜どうして……っ、どうして大人しくしててくれないんだ、お前はっ!!」


 ガクガクガクと思いっきり揺さぶられてもやっぱりレグはどこ吹く風。

 …………なんだろうこの光景、ものすごいデジャヴ感じる。


「ウェルジオ様、落ち着いてくださいませ。……この人は単に食べ物をたかりに来ているだけですから」

「俺の胃を満たしてくれるアヴィはベストフレンド」

「お前はもっと周りの胃をいたわれ!」


 本当にな。普通はしないよ。伯爵邸に食事をたかりに来るなんて。


「んじゃ優しい俺がお疲れのジオに胃に優しい食事を出してあげるよ。はいこれ」

「ちょっ、それは……!」


 そう言って、レグは煮物の盛り付けられた器をウェルジオに差し出した。


「なんだ……? このごちゃごちゃした食べ物は」

「煮物っていう異国の食べ物なんだ。アヴィなら作れるんじゃないかなと思って頼んでみたら、本当に作ってくれたんだよ」

「…………彼女が?」

「言ったろ。彼女は俺と同じ。俺の気持ちを理解してくれるはずだって」

「…………」


 心なしかウェルジオの口調が硬くなる。みるみるうちに眉間に皺が寄っていって顔が強張っていく。ああ、ほらやっぱり! 舌の肥えた公爵家のおぼっちゃまに煮物はさすがにないわよね!?


「美味しいわよ煮物。絶対お兄様も好きな味だと思うわ」

「セシル、そんな強引に……。ウェルジオ様、お気になさらないでください、見慣れないものでしょうし……」

「えー、いいじゃん食べてもらえば。妹ちゃんもこう言ってることだしさー」

「ハウス!」

「いっだ! 足痛いってば!」

「いいから、あなたちょっと黙ってて!」

「……!」


 彼の機嫌が下がっていることぐらい、見れば分かるでしょうに。

 おまけに何その会話……、詳しく掘り下げられたらどうするの! なんて言ってごまかすのよ!

 前世云々夢の世界云々など、口にしたら最後、頭を心配されるだけじゃないか。


 天然クラッシャーがこれ以上余計なことを言わないように思いっきり足を踏んづけて黙らせた。

 そんな私の顔を、ウェルジオがひどく驚いた顔で見つめる。


「……? どうかなさいましたか?」

「…………いや。…………君は……」


 戸惑うように、彼が口を開く。


「君は、そんな風に喋るんだな……」

「!」


 しまった――――!!

 私ったら、公爵家のご令息の前でなんて無礼な姿を!?


 今更ながらに自分の失態を悟る。

 レグと一緒にいると、どうしても伯爵令嬢アヴィリアよりも広沢咲良としての部分が強く出てしまっていけない。

 だがそれは、自分よりも立場が上の人物に対して、けして見せてはいけない部分だ。

 全身から血の気が引いた。


「やだなジオ。友人なんだから別にこのくらい普通だろ?」

「……………………へぇ。この短期間で、随分打ち解けたんだな」

「まーね」


 不快そうに眉を寄せる。

 へぇ、の声が普段より1オクターブ以上低かったような……!?

 おかしいわね。外の天気はいいはずなのに温室の気温が急激に下がった気がする。


「その友人が俺の頼みを聞いて俺のために作ってくれた料理だよ? 是非とも広めたいじゃないか。ジオ食べたことないだろ? …………アヴィの手料理なんて」


 だから何でそう気分を逆撫でるようなことばっかり言うかなあんたは! この真冬並みに下がった空気に気づかないの? ほらぁ、ウェルジオ少年の額に青筋が!


「あ、ぁあの……、すみません今すぐにお下げしますから……っ」


 なんかもう自分の声が震えてるのが嫌でも分かる。それが寒さによるものか恐怖によるものかは不明だけども。とにかく今は全ての原因をさっさと回収してしまいたい。レグに言われるままに煮物を作ったことを本気で後悔した。


 しかし、私の手が煮物の入った器を回収するよりも早く、一回り大きな手がそれを奪い取る。


「ウェルジオ様……?」

「…………」


 しばらくの間、無言で煮物の入った器を睨み続けていた彼は、やがておもむろに口を開くと煮物を口に運びはじめた。


 そんな姿を、私は信じられないもののように見ていることしかできなかった。

 だって、まさか、本当に食べるとは思わなかったんだもの。

 ポカンとみっともなく口を開けて呆然としたまま、一言も喋らず黙々と煮物を食べ続ける姿を見ていた私は、唐突にずいっと器を突き返されてようやく我に返った。


「…………悪くはない」


 器の中身は、綺麗に平らげられていた。

 思いっきり顔を背けて放たれるぶっきらぼうな言葉と、通常のそれよりも色づいた彼の耳元。



『あいつ、暑くなってからずっと君のミントティーを愛用してるよ。城での訓練中もよく飲んでる。それに、コロッケを気に入ってるのだって俺だけじゃないよ。食事にコロッケが出るとさ、あいつ必ずおかわりするんだよ』



 先程、こっそりと告げられたレグの言葉は、簡単には信じ難いものだった。

 彼がセシルのお供として何度も「ハーバル・ガーデン」を訪れてくれていることは知っていたけど、店の商品を手に取ってくれたという話は聞いたことがなかったから。

 彼が好むものではないのだろうと、ずっとそう思っていた。

 でも、本当は。


「ウェルジオ様……」


 こっそり買ってくれてたのかな。

 そうだったら、嬉しいな。


「あの、ありが」

「どーよジオ。アヴィの料理美味しいだろう? いやー、料理できる女の子ってほんっとポイント高いよねー?」

「わわ、ちょっと!」


 いきなり肩に腕を回して飛びかかる勢いでレグに抱きつかれた。

 ――――――危ないじゃないのっ。

 危うくよろけて転びそうになって。非難の意味も込めてその青い瞳をじろりと睨みつけてやるも、それすらも殊更楽しそうに笑って受け流された。

 おかげでこちらは完全に出鼻をくじかれてしまい、結局いつものように脱力したため息が漏れるだけに終わってしまう。


 遮られてしまった言葉は、改めて言うのも気恥ずかしくて、結局言えずじまい。

 でも、ま。そのついでとばかりに、冷たい場の雰囲気も壊してくれたんだから、今回ばかりはいい仕事をしてくれたということで、納得してやりますか。

 そう思って、肩の上で揺れる漆黒の髪に手を伸ばした。


(手のかかる弟……って、こんな感じなのかな)


 前世でも今世でも一人っ子の私は、この男に振り回されながらも、この関係を意外に楽しんでいる自分がいることにも気付いていた。

 それを認めてやるのはなんだか癪だけどね。


「ひぇっ!?」


 しかし、そんな様子を見ていたウェルジオの表情には気づかなかった。


 さっきまでは絵に描いたような微笑ましいツンデレ少年そのものだったというのに、彼の表情にはいつのまにかツンデレとは程遠い地獄のハデスが降臨しているではないか。


(なにゆえ!?)


 この一瞬の間に、彼の身にいったい何が起きたというのでしょう。

 誰か教えてくださいな。切に!


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