第四十七話 遊び
「みんなで金を貯めよう」と決めてからひと月半して、俺達はとうとう六両の金を貯めた。
次郎にみんなの銭を渡すと、次郎は大きな体を一生懸命縮めておいおいと泣き、喜んでくれた。
「一両余計にあるんだから、おめえは働きに出ねえで、うちでお袋の看病をしろよ」
俺達がそう言うと、次郎はまたあっという間に涙をこぼし、慌ててそれを拭う。
「すまねえ!すまねえ、みんな…!俺、こんなに有難い事なんか、他にねえよ…!」
「いいから、おめえはうち
「ありがとう…!」
顔を擦り回して次郎は立ち上がり、「必ずこの恩は
次郎のお袋さんはすぐに良くなったわけじゃなかったが、効くのに時間が掛かる薬だという事だった。ふた月程は次郎はつきっきりでお袋さんの看病をしていて、俺達はたまにそれを手伝いに行った。次郎のお袋さんはだんだん良くなっているのが分かり、俺達はそれを喜んでいた。
お袋さんは床に起き直って自分で粥をすすっていたりも出来るようになったが、ある時は茶を入れに火鉢の鉄瓶に手を伸ばそうとしたので、俺はそれを慌てて止めた。
三月経って、俺達は次郎を飯屋に呼んで酒を飲ませていた。
「あんなに元気をなくしちまってたお袋が…すっかり良くなって、おめえらのお陰で…!俺…!」
次郎は泣いて泣いて口も利けなくなり、太い腕で四角張った顔をまた擦っていた。俺達は「とにかくよかった」と胸を撫で下ろしたんだ。
俺は、働き始めてちょっとしてから、吉原へも辰巳へも行っていなかった。だから、「久しぶりに」と浅草へえっちらおっちら歩き、見返り柳からすぐの小店へ、前と同じように入って行った。
「おや、旦那、これはお久しぶりのお越しで。花魁がお待ちかねですよ。もう酷いありさまでして」
「へえ、そいつぁいい」
俺は、若い者の言う事なんか真に受けていなかった。でも、遊びは楽しまなきゃ損だ。
いつも名指す女は、愛嬌があって、嬉しい事を言ってくれる。「年が開けたら主のところへ参りんすから、わちき以外を名指したりしないでおくんなまし」と言う時に、本当に嬉しそうに笑う。俺はいつも「しつこいな、わかったよ」と返したけど、とにかくいい気分になれるのはいいもんだ。でも、その日は違った。
俺が女の寝間へ呼ばれて行くと、襖を開けた瞬間から、もう何かが違うのが分かった。
いつもなら、俺を見てにこにこっと笑うはずの女が、こちらを見ない。店の者が後を閉めてくれて俺が一歩踏み出した途端、鏡台の前に居た女は、わっと泣き出した。
「おい、どうしたよ」
俺は、“さては金でも要るのかな”なんて考えていた。いつもなら白粉を叩き直して上機嫌に振り向く女が、化粧の崩れるのも構わず、泣きっぱなしなのだ。
俺は傍へ屈んで女の肩を引いたが、そうすると女は俺の胸へ顔をうずめ、俺にしがみついて泣いた。
「何かあったのか」
俺がそう聞くと、体を震わせ泣いたまま、女は顔を上げる。そして口を大きく開け、こう叫んだ。
「どうしてこんなに来てくれなかったんでありんすか!おかげでわちきは…わちきは…!」
女があんまり泣くもんだから、俺はしばらく何も聞けなかった。でも、その内に女は、次から次へと溢れてくる涙を拭いながら、話をした。
女の話によると、大層気に入って女をいつも名指していた男が、「商売で大きく儲けたから」と、強引に身請けの話を決めてしまい、迎えの籠屋が来るのは明日だと言う。
「
そう言って俺を見つめた女の目は、本当だった。
それから数日してその店にまた行くと、話の通りに女は居ず、店の者に聞くと、やっぱり「花魁は身請けをされました」とだけ返ってきた。
俺は、「せめて最後に」と言い、俺の胸の中で幸せそうに、悲しそうに笑っていた女の顔がちらついて、その後、吉原へ行かなくなってしまった。
つづく
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