第二十話 煤払い、豆まき節分、大晦日
江戸の大晦日はもちろん“年越し蕎麦”。そう思っている人は多いんじゃないだろうか。
ここでもう一度、このころのことについて注釈を入れたいと思う。皆さん歴史で習ったと思うが、江戸時代は暦の進み方が違う。
このころの暦が月の満ち欠けに応じて進んでいたのはご存じと思うが、それは「
俺たちが暮らしていた現代においては、四年に一度、二月の最後に一日足して暦を合わせていた。それは「
いわく、太陰太陽暦の数え方では、一年に十一日も暦がずれてしまうため、三年に一度、「閏月」を入れて、十三カ月で過ごすんだそうだ。
俺もまだよくわからないけど、なんでも日本の太陰太陽暦は何度もころころと数え方が変わっているという。元禄で使っている暦の数え方は、前の元号である「
そうなると、ついこの間おかねさんが、「もう十一月だし、新年になれば少しあったかくなるんだからさ。辛抱おしよ」と俺をなぐさめていた理由もわかる。暦が遅れていて、季節が進んでいるのだ。
つまり、元禄の十一月は現代の一月目前くらいで、そろそろ春という二月ころに新年が明ける計算になる。
どうりで、現代でも年賀状に“
話を戻そう。“年越し蕎麦”だ。
江戸時代と言えば「
冬の真夜中に布団に包まっていると、厳しい北風の音にまぎれて表通りから聴こえてくる、「そば~ぁ~」と尾を長くした売り声。それは、ただ寒くて眠れやしないだけの冬の中、「ああ、蕎麦屋だな」と思うだけで、どこかあたたかい気持ちになるものなのだ。と、そんな話を俺は聞いた。
しかし残念ながら、元禄時代に「蕎麦屋」なるものは存在しない。それに代わるのは、意外にも「うどん屋」なのだ。
どうやらこのころにはまだ蕎麦屋は一般的ではなかったようで、反対にうどん屋は江戸市中にいくらでもある。
江戸時代の蕎麦は食べられなかったけど、俺はおかねさんのお気に入りのうどん屋さんにたまに供に連れられて行って、もちろん「製麺所」なんてなかった時代の、美味しい手打ちうどんをよく食べている。
では、蕎麦がないなら大晦日には江戸の人はどうしていたのか。
豆まきである。
お聞き違いかと思われた方にもう一度言う。「豆まき」だ。
これははっきりとはしないけど、「どうやらそろそろ新暦の大晦日に近いんじゃないか?」と、俺が思っていたころの話だ。
その日、俺はいつも通り洗濯をして、お稽古が終わったおかねさんが買い物に行くのを見送った。
帰ってくるとおかねさんはおかずの荷物のほかに、紙包みなどを風呂敷の中から出して、こう言ったのだ。
「ほら、秋兵衛さん。お前さんの分。お前さんもやりたいだろう?」
俺が“何をやるのかな”と包みをとくと、そこには少しの炒り豆が入っていた。
「え、これ、食べるんですか?」
すると、おかねさんがぷっと噴き出す。
「何言ってんだい、まくんだよ。
おかねさんはそう言って、戸口に鰯の頭を刺した柊を飾る。俺は慌てて目の前にある豆を見つめた。
“えっ…つまりこれ…「節分」!?”
俺はなんとか内心の動揺を隠したけど、“これが本当に本来の意味で行われる豆まきなんだ”と思うと、感動すらおぼえた。
あとでわかったことだが、「節分」はもともとは一年に季節の数だけ四回あり、正月前の節分がやっぱり一番重視される、とのことだ。
少しだけあった豆はすぐになくなってしまったけど、俺とおかねさんは豆まきをして、おかねさんは「
それには、豆や梅干しなどが入っていたらしい。甘酸っぱくて、ちょっと慣れない味だった。
でも、おかねさんが福茶を飲みながらほっと一息吐くのを見ていた俺は、なんだか切ないような、嬉しいような気がして、少しだけ、「今はこのままがいいな」と思った。
それから、日にちがもっと前になるけど、「大掃除」にも俺はびっくりした。
俺は、「大掃除」は大晦日近くの空いた日に、適当にやるものだと思っていた。でも、江戸時代にはきっちり日にちも決められていて、使う道具についてもそうだった。
十二月の十三日に、まだ葉が残っている竹か、竹竿の先に
とかく江戸時代には、みんながきちんと行事の意味をわかっていて、まだまだちゃんと効力を発揮しているような気がする。
何も本当に神様が現れたり鬼が消えたりするわけじゃないけど、そうやって人々の心が季節の節目を越えていくのが、俺には見える。この時代のそういうところが、俺は好きかもしれない。
そして「煤払い」と「節分」が済んで、「
十二月三十一日、隣の家ではおそのさんが、「亭主が戻りましたら必ず…」と何度も繰り返して、商人への支払いをごまかしているようだった。
“五郎兵衛さんはどこに隠れているのかな”と他人事のように考えながらも、俺たちも一人一人「
驚くべきことに、おかねさんは贅沢をたまにしながらも、きっちりと年末の支払いができる分のお金を取っておいたのだ。
やっぱり女性はすごい。俺はなんとなく、そう思った。
そして掛け取りが皆帰ってしまうと、俺たちは「
おかねさんは、「こんな日にしか出さないけどさ」と言い、棚の奥から赤い漆塗りの小さな椀をいくつも出してきた。そしてそれに一人分ずつの料理を盛り付けて、それぞれの膳に置く。
それから神棚にも料理を少しずつお供えして、おかねさんは手を合わせた。俺もそれに倣い手を合わせて、心の中で“どうぞよろしくお願いします”と唱えていた。
その晩おかねさんと俺は、眠る前に一服しようと、煙草に火をつけていた。
部屋の隅にある行灯の灯りは薄赤く畳と壁を這い、反対の壁には行き着かずに薄れる。それでも俺たちの手元には火鉢があり、その中で真っ赤に焼けた炭は、手をかざせば温めてくれた。
「いい年になるといいねえ、ほんとにさ。明日の朝は初詣に行こう」
「ええ、そうですね」
俺はおかねさんの横顔を盗み見ながら、考えていることがあった。
“新しい年でも、あなたは、「あの人」のことを忘れないんですか”
当たり前かもしれない。愛しい人のあえない最期なんて、越えられるものじゃない。
だから、俺がどんなにおかねさんのことを夢に見ていても、彼女が抱く「哀しく美しい思い出」と、「下男である俺」なんて、比べるべくもないだろう。
俺が
それでも俺は、あなたの美しい時がこのまま哀しみのために流れ去ってしまうなんて、いやなのに。
「おかねさん」
俺は考えているうちにたまらなくなってしまって、思わず彼女に声を掛けた。するとすぐにおかねさんは煙管の口元から振り向いて、静かに笑った。
「なんだい?」
その時のおかねさんは、とても親しい男性に向かうように、俺に微笑みかけていた。俺はそれを見て胸が高鳴ったし、それで何も言えなくなってしまった。
「いえ、なんでもありません…私は、もう眠いので…」
「そうかい、じゃあ休みな」
「はい、おやすみなさい」
もしかしたら、彼女は俺のことをそう悪くも思っていないかもしれない。そう思ってしまうのも無理はなかった。でも結局、そうじゃなかったんだ。
つづく
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