第13話 家族会議

 王太子殿下が再婚約を希望しているだなんて、どうしたものか。


 私は倒れそうになって、エレノアたちのもとへ戻ってきた。



「顔色が悪うございます。ダンスどころではないでしょう。ご自宅にお戻りになった方がよろしいのでは。お供いたします」


 駆け寄ってきたラルフが心配そうに言った。


 人のことなんて、どうでもいいあなたが心配ですか?


「君。公爵家の遠縁らしいが、男性が馬車に同乗するなどあってはならないことだ。エレノア嬢、一緒に帰って差し上げなさい」


 ビンセントがエレノアに指令を出した。


 理屈としては、ものすごく筋が通った命令なのだが、エレノアは当然ふくれあがった。大体、ビンセントから指示を出されること自体、すごく気に入らないんだと思う。


「私はまだダンスもしていないのよ! どうしてお姉さまのために帰らなくちゃいけないの?」


「君は姉上が心配ではないのかね?」


「どうしてみんなオーガスタのことばかり心配するの? 私のことは誰も心配してくれないの?」


 エレノアが泣き始めた。面倒くさい。


「よし、わかった」


 女に泣かれると条件反射でイライラするらしいビンセントが叫んだ。

 なにかしてくれるのかと、期待を込めてビンセントを見たエレノアに向かって、ビンセントは答えた。


「僕も馬車に乗って、リッチモンド公爵家までお送りしよう。それで君はここに残れるし一石二鳥だ」


「ベロス卿、あなたは今日会ったばかりの赤の他人なのですよ?」


 ラルフが冷たく注意したが、ビンセントは堂々と答えた。


「僕の出自に問題があるとでも? 生まれが貧乏だから、裕福な公爵家の跡取り娘を狙う怪しげな求婚者と二人で帰らせるより、三人の方が安全性を保障できるだろう」


 ワンフレーズによくもそこまで、問題点を的確に詰め込めるわね。

 エレノアがきょとんとしているじゃないの。


 ビンセントは私を抱きかかえるようにして、馬車に向かって歩き出した。ラルフは青筋を立てて後ろから付いてきた。


 結局、誰かが母を連れてきてくれて、過剰心配でとろけるようなセリフ回しのビンセントと、機嫌の悪そうなラルフという男二人と、狭い馬車に詰め込まれて帰る最悪の事態は回避出来た。




 だが、翌朝、前の晩夜遅く帰って来た父と母と私は、深刻な顔を突き合わせた。


 エレノアはまだ寝ていた。


 三人は、さわやかな朝の光で満ちあふれている食堂で、どんよりと憔悴しょうすいしきった様子で顔を見合わせた。


「ベロス公爵は本気だ。あの出来の悪いリリアン嬢を王太子妃に据えるつもりだ」


 疲れ切った様子の父は言った。父が帰って来たのは、三時過ぎだったらしい。


 母は、うっと顔をしかめた。


「エレノアのものだったはずなのに」


「一方でオーガスタには婚約者候補に戻れと言ったそうだな?」


 どうして父が知っているのかしら?


「本当か?」


 父に聞かれて、私は泣きたいくらいだった。


 この、点々と候補者が変わっていく王太子殿下の婚約者騒動。エレノアは泣いているし、リリアン嬢は居丈高に迫ってくる。


 最後にお鉢が回って来たのは私だ。殿下なんか大嫌い。やっと逃れられたと言うのに。


「ベロス公爵は王太子妃の地位を手に入れたい。娘を傷物にされたと国王陛下に迫っているそうだ」


「どう言うことですの? 傷物だなんて」


 母が驚いて聞いた。


「三日前から昨日まで、ベロス公爵家の海辺の別邸に、リリアン嬢と殿下は秘密裏に泊まっていたらしい」


「誰からの情報ですか?」


母が確認した。


「ラルフとゲイリーだな。ゲイリーは王太子付きの騎士だから王太子の動向は把握している」


 隣の領地のチェスター卿の長男ゲイリーは、優秀な騎士で、我が公爵家の忠実な味方だ。彼の騎士学校への費用は父が立て替えたくらいだ。

 今、ゲイリーは王太子殿下の護衛騎士を務めている。


 その一方で、ベロス家から紹介された者も王太子殿下の護衛として働いている。


 王太子殿下の動静は、両勢力からきっちり把握されているのだ。



「王太子殿下がベロス家の馬車で出かけられた当日は、我が家の手の騎士たちは全員非番だった。もう後の祭りだ」


「国王陛下はベロス嬢にお怒りなのではないでしょうか?」


 母の問いに父は渋い顔をした。


「怒ってはいる。しかし、調子に乗って出かけたのは王太子殿下なのだ。殿下が絶対に嫌だと言えば、こんなことにはならない」


「では……」


「そうだ。エレノアはかわいそうだが、王太子妃にはなれない。ベロス公爵家の勝ちだな」


「傷物……」


 私はつぶやいた。嫌な言葉だ。お互いが好きあっていたなら、いいのだが。


「エレノアは別の縁談を探せばいいではありませんか」


 父は怒ったように私の顔を見た。


「そもそもオーガスタが殿下を熱愛すればこんなことにはならなかったはずだ。お前が殿下を嫌うから……」


「お父さま! リリアン嬢とお似合いの程度の殿下なのですよ? 好きになんかなれませんわ。せいぜいが我慢するくらいですわ。エレノアがいいと言いだしたのは殿下ですし、エレノアからさんざん魅力がないから捨てられたのだと言われていた時も、お父さまは何もおっしゃらなかったではありませんか」


「エレノアに口答えしても、どうせわからないから黙っていただけだ」


 親子喧嘩けんかの真っ最中に、恐縮しきった様子の執事のセバスが、おそるおそる食堂のドアをノックして入ってきて、手紙を差し出した。


「なんだ。後には出来ないのか?」


 父が不愛想にセバスに聞いた。いつもは使用人にあんな声は出さないのに。


「申し訳ございません。どうしても早くお渡しした方がよいとラルフ様から言いつかりましたので」


「ラルフが?」


 父が意外そうに軽く眉を上げて、銀の盆に乗った手紙を取ろうとしたが、セバスが首を振った。


「いえ。オーガスタ様あてのお手紙でございます」


「私あて?」


「はい」


 嫌な予感しかない。


 金の縁取りの高そうな封筒を、汚いものでもつまみ上げるように盆から取ると、案の定、キラキラした封印が目についた。


「王太子殿下の封印……」


 全員がぐったりした。


「早く開けてお読みなさい」


 母が命令した。


「ラルフが急いで開封しろと言うなら、何か大事なことが書いてあるのでしょう」


 何かとても嫌なことが書いてあるに違いない。


『リッチモンド公爵令嬢

 来週の母のお茶会にぜひ参加されたし。婚約者として両親に紹介したい。二人ともとても喜んでいる』


 全員が沈黙した。


「あのう、実はお手紙は、ほかにもございまして」


 セバスが控えめに告げた。


 疲れ切った父は目だけぎろりとこちらに向けてきた。

 母は心配そうだった。


 私は、銀の盆から、もう一通封筒をつまみ上げた。


 そちらのお手紙とやらも、なかなか豪華な装丁の封書だった。

 殿下の封書が立派過ぎて、その下に隠れていたが、やはり金縁の上質なもので、ベロス公爵家の紋章が堂々と描かれていた。


「ベロス公爵家からのものですわ」


「開けなさい」


『親愛なるオーガスタ嬢

 時下ますますご健勝のこととお慶び申し上げます。

 昨夜は、貴嬢のあでやかなお姿に感動いたしました。

 残念ながら、ダンスの機会こそ逸しましたが、(中略)次回こそ(後略)当家へおみ足をお運びいただきたく(以下略)……(略) ……

 ビンセント・アーサー・ベルトラン・ベロス』


 貴族らしいまっとうな文章だ。したがって長い。


 殿下の手紙は頭がおかしい。ふつう貴族同士で、あんな手紙は書かない。簡潔で用件が良く分かったが。


「その手紙は何が言いたいの?」


 母が苛立ったように尋ねた。


「デートのお誘いです」


 両方ともデートのお誘いだ。

 なかなか用件まで辿たどり着けない、美辞麗句を連ねた、いかにも貴族らしい長文に、うっかり寝落ちしかかっていた父が目覚めた。


「ビンセントはベロス家の長男だ。ちょっと変わっていると言う噂があるが、頭はいいらしい。父親とは不仲だとも聞いているが、そう言えば婚約破棄してすぐの頃、オーガスタと婚約したいと手紙が来ていた」


「あなた……いくら何でも、ベロス家との婚約はないでしょう?」


 母が眉を吊り上げた。


「落ち着いてからでないとわからないな。ベロス公爵は強硬な男だ。娘の方と似ているらしい」


 大事なのは最初の手紙の方だ。


 私は殿下なんか、大嫌いなのだ。


 いつかラルフにも言ったけど、私は大事に思えるたった一人の人とステキな恋をして、平凡に結婚して平凡な家庭を作りたいだけなのだ。


 王家に嫁いだり、ダンスパーティに出かけて真紅のドレスで、出席者全員をあっと言わせたりしたいわけじゃないのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る