第7話 新たなる敵、発見

 翌日は天気のいい日で、私たちは朝早くに王都を出発して、父が所有している田舎の別邸を目指した。


 父の別邸のあるあたりは、王都から近いくせに、雰囲気はいかにも田舎で、解放感を味わえると人気の地だった。


 遠乗りは楽しかった。


 あの面倒くさい宮廷から遠く離れている。


 もちろん、宮廷だって考えようによってはなかなか楽しかった。


 基本、私は公爵令嬢の上、王太子妃の最右翼。どこの家の令嬢も夫人も尊重して、失礼がないよう気を使ってくれていた。


 もちろん、その分、こちらも気を遣うことおびただしい。特に公式行事はへとへとになる。


 でも、社交界の中に親しい友人もいたし、私は、ことに宮廷の使用人たちから好かれていた。


 理由は無茶を言わないから。彼らを虫けらのように扱わないから。

 そんな態度の貴族も多いのだ。たとえば……私の妹のように。




「ラルフ、行ってみましょうよ」


 私は久しぶりにウマに乗れて、すっかりはしゃいだ気分になって、ラルフに声をかけた。

 下心満載だったとしても、さすがに長年の付き合いだ。ラルフは私の好みを熟知しているし、気楽だ。


「オーガスタ嬢、危ないですよ?」


 後ろから楽々と私に付いてきて、ラルフは注意した。でも、珍しく顔が笑っている。彼も政治の場を離れて楽しいのだろう。


「ラルフ、私はもう王太子妃候補ではないのだから、オーガスタと呼んでいただいて結構よ」


 ラルフには意外だったらしい。彼は急に真面目な顔になった。


「もしかすると、あなたが公爵家の養子に入って、私はどこか修道院にでも行くかも知れませんし。そうしたら私は平民の身分になりますもの」


 私は笑って言った。風に吹かれて馬を走らせるのは楽しかった。身分や宮廷なんかどうでもいい。

 妹も好きにすればいいのだ。


「あなたのように美しくて才能あふれる方が修道院入りなど……」


 ラルフが定型文で答えてきた。


「修道院を見下してはいけませんわ。他国に嫁ぐ可能性だって捨てきれませんわ」


「とんでもありません。そんなことになったら、私は……」



 だが彼は最後まで言えなかった。


 同じように遠乗りに来たらしい貴族の二人連れを見つけたからだ。


「あら?」


「誰だろう?」


 ラルフは警戒したらしかった。


「きっとカーネル卿よ。この近くにお住まいなの。乗馬が趣味で……」


 だが、その様子はカーネル卿ではないようだった。二人連れで、明らかに様子がおかしかった。


 こちらに気付いたらしかったが、こそこそと姿を消そうとしていた。


 まあ、私たちも目立ちたくはない。ラルフと一緒に出掛けたと知られたら、余計な噂になるだろう。


 だが、その二人連れは、私たちよりよほど事情がありそうだった。彼らは馬首をくるりと翻すと、全速力で逃げ出そうとしていた。


 私は呆れた。


 その先は岩場である。ウマが嫌がるだろう。


「変ね。誰かしら。このあたりの地形をご存じないようね」


「危ないですよ」


 と、言っている間になにかアクシデントが起きたらしかった。

 女性の方がウマの上から姿が見えなくなったのである。

 同時に小さな悲鳴が聞こえた。


 ラルフはさすがだった。見事な手綱さばきで、声がした方へ馬を走らせた。


 私もあわてて後を追った。


「どうされました?」


 ラルフはウマから降りながら、落馬した女性に声をかけた。


「立てますか?」


 女性の方は癇に障ったかのような声で答えた。


「立てるけど痛いのよ」


 ラルフは辛抱強く女性に向かって言った。


「すぐ近くに知り合いの別邸があります。そこで医者を呼んでもらいましょう」


「ダメだ」


 女性の連れの男がウマを急いで戻って来た。そしてあせったように言い出した。


 私はその声に覚えがあった。


 なんてことだ。


 王太子殿下その人だった。


「殿下」


 私は呆れ返って殿下を見た。


 殿下の方も私の顔を見てびっくりしていた。


「オーガスタ嬢……なぜここに?」


 それはこっちのセリフだと私は思ったが、じゃあ、一緒に居た女性は誰だったんだろう?


 私は振り返って女性が誰だか確認した。目と目が合って、私は震え上がった。


 リリアン・ベロス公爵令嬢。


 これは恐ろしい場面に遭遇してしまった。



 彼女はベロス公爵家の長女で、美貌とともに苛烈な性格で有名だった。


 たまに一緒の会に出ることがあっても、意図的に避けていた。

 だって、怖いんだもん。


 ベロス公爵家は、なかなかどうして立派な貴族だ。


 公爵に叙爵されたのは先代が大活躍したからで、公爵家としての歴史は浅いが、古くから続く貴族の家柄だ。北部地方に広い領地を持ち、父のように政界で活躍している訳ではないがその勢力は大きい。


 もし、殿下がベロス嬢と親しいと言うなら……。もしかして、エレノアではなくベロス嬢を「真実の愛の相手」として選ぼうとしているのだとしたら……。


 それは一挙に宮廷の勢力図が変わる出来事だ。



 ベロス公爵令嬢は、殿下と同い年。すらりとした体つきと妍のある美貌の持ち主で、その顔にはエレノアにはない意志の強さが現れていた。


 うん。これはなかなかの強敵だ。私の表情筋が動かないのはいい仕事をしてくれている。そうでなければ、私は驚きと困惑を隠せなかっただろう。



 だが、その時突然、私は後ろから抱きしめられた。


「どうか、殿下、このことはご内密に」


 ラルフの腕だった。突然のことにびっくりして抵抗も出来なかった。


 何ッ? 何をご内密?


「長年、オーガスタ嬢に求婚するお許しを、父上のリッチモンド公爵に懇願していました」


 え? そんな話は聞いていない。あ、婚約者に立候補したと聞いてはいるわ。


 婚約者に立候補したら、抱きしめていいものなの? 違うでしょ!


 だが、ラルフの胸板は私の背中をすっぽり包んでいて、すごく失礼なことに腕ががっちりと腰を抑え込んでいた。これ、ダメなやつでしょう!


「オーガスタ嬢をこの海辺の別邸に誘ったことは、どうか、リッチモンド公爵にはご内密に」


 ちょっと、ちょっと、ちょっと!

 なに? その二人で合意して、父の公爵には秘密でやって来たみたいな言い方!


 父は知っているし、うちの別邸に私が行く分には何の問題もない筈よ?


 なんだか、自分の家の別邸に誘ったみたいなこと、言ってるけど? 誤解を呼ぶわ。まるで何か深い関係でもあるみたいに聞こえるじゃないの。



 貧乏伯爵家が別邸なんか持ってないことを、殿下もご存じですわよね?


 ……と思って、殿下の顔を見たが、殿下はこれまで私が見たことのないような顔をしていた。


「オーガスタがそんなことを……」


 そんなことをって、殿下、あなたは婚約破棄を申し出たでしょう? 


 私がどんなことを仕出かそうと、どうでもいいじゃないですか?

 何、ショック受けたみたいな顔しているの。


 なんなの? その驚いたような、心の底から寒そうながっかりしたような変な顔は?


「お連れのご令嬢も、まことに申し訳ないことながら、このことは内密にお願いできないでしょうか。わたくし共もことが露見することを望んでいないので」


 ラルフがいかにも気まずそうな調子でしゃべり始めた。


 何が露見するって?


 さすがに看過できない。何か言おうと、身じろぎしたがラルフにギュッと余計抱きしめられた。

 男性の力は強い。全然動けない。


「黙っておいて差し上げますわ」


 偉そうで高飛車な声が聞こえた。


「リッチモンド嬢も落ちたものね。殿下には棄てられる。挙句にこのような貧相な男の別邸に連れ込まれるとは」


 どっから突っ込んだらいいのかわからない!


 令嬢は殿下に手を伸ばし、ようやく我に返った殿下はリリアン嬢の手を取った。


「王都に戻りましょう、殿下」


 なんとなく逆らうのが怖い気のする声だった。

 殿下は大人しくリリアン嬢の言うとおりになっていた。


 殿下の従僕が走り寄り、殿下ではなくリリアン嬢が従僕に命令していた。

 リリアン嬢は殿下を連れて、待たせていたらしい馬車の方へ消え去って行った。


 ラルフはニヤリとした。そして言った。


「うまく行きましたね」


「え? 何が? どこが?」


 私は頭に血が上るのを覚えた。

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