第10話

 グレーデン侯爵はシュタルク嬢におかしな薬でも飲ませているだの、洗脳しているだの、弱みを握っているだの。


「あなた、そんなふうに言われているんですよ!? ひっどいものですよ!」


 今日も五分ほどコリンナを待たせてリヒャルトは応接間にやってきた。髪がいつもより少しまともなので櫛で梳かしてきたのかもしれない。相変わらず髭はすごいが。

「そう? それは当たり前じゃないかな」

 夜会で聞こえてきたリヒャルトへのありもしない噂話を聞かせたのにも関わらず、本人はけろりとしていた。

「僕だって不思議で仕方ないくらいさ。君みたいな人が僕にこんなにかまけているなんて。下手すれば王妃にだってなれるかもしれないのに」

「王妃に? ……私が? ありえないわそれは」

 コリンナは目を丸くしたあとで、きっぱりとリヒャルトの言葉を否定した。今度はリヒャルトが目を丸くして驚く番だった。

「……身分的には問題ないだろう?」

 身分どころか、年齢的にも十分釣り合いは取れている。ありえないなんてことはないだろう。

 何より貴族の娘として生まれたからには、王妃の座は喉から手が出るほど欲しいもののはず。個人としても、家としても。

「私には王妃なんて無理よ。頭が良くないもの。父もそれがわかっているから王妃にしようなんて考えはとっくの昔に捨てたみたいだし」

 王妃ともなれば背負うべき責任の重さは計り知れない。それを背負えるほどの才覚はコリンナにはなかったし、コリンナ自身も王妃になりたいなんて思ったことはない。

 社交界デビューする前からうつくしい令嬢だと評判だったコリンナは、数年前までは王妃の有力候補としてよく名を挙げられていた。しかしそれも、ここしばらくはすっかり落ち着いている。コリンナが社交界デビューして数年経ってもそういう動きがまったくなかったからだ。

「その顔があれば頭が良くなくても十分なんじゃない?」

 うつくしいだけの王妃なんて過去に腐るほどいたよ、とリヒャルトは嫌味なのか悪口なのか、はたまた本心なのかわからない淡々とした口調で告げる。

(……失礼極まりない発言ではあるけど)

 たぶんこれは、ただ純粋にそう思っているだけなのだ。きっと。

 悪気がなかったとしても問題がまったくないわけではない。

「……あなた、よくこの顔を褒めてくださるけど、好きなの? こういう顔」

 コリンナが綺麗なのは当たり前のことだが、リヒャルトはことあるごとにコリンナの容姿を評価する発言をしている。

(この人、美人が好みっていうなら、お相手選びも大変なんじゃないかしら)

 なんせ本人の見た目はこれである。そもそも見目麗しい令嬢は早々に結婚しているか、婚約者が決まっていることがほとんどだ。


「綺麗なものが嫌いな人間がいるかい?」


 首を傾げ、リヒャルトはさも当然のことであるかのように告げる。

 いつもはボサボサの前髪が今日は梳いているせいか、さらりと揺れた。かすかに覗いた青い瞳と目が合って、どきりとする。まるで心臓を握られたみたいに。

「そ、それはそうでしょうけど……」

(この人、いつもさらっと人の顔を褒めるのよね……)

 コリンナがうつくしいのは当たり前だ。

 生まれ持ったこの顔はたいていの人が綺麗だと思うらしい。白銀の髪はこの王国では少し珍しい色で、それだけで人の目を惹く。

 当たり前だ、当たり前のことなのに。

(……侯爵に褒められるのは、悪い気がしないのよね)

 下心も打算もない純粋な賛美だから、コリンナも素直に受け取るだけでいい。

「君はけっこう世話焼きだよね」

 紅茶を飲みながらリヒャルトがくすりと笑う。

「……まぁ、そうね。否定はしないわ」

 他人にはあまり口出ししないようにしているものの、リヒャルトには隠しても無駄だろう。

 それにしたって世話を焼かれている自覚があるなら、もうちょっとどうにかしてほしい。

「こんなに根気強くうちに通うとは思わなかった」

「だってこのままあなたを放っておいて、あとでコロッと死んだなんて聞いたら『ああやっぱりあの時こうしていれば!』なんて思うかもしれないじゃない!」

 関わる前なら見知らぬ他人が死のうと「お気の毒に」で済んだかもしれないが、もうコリンナはリヒャルトを知ってしまった。知らなかった頃には戻れない以上、何もせずにはいられない。

 お気の毒に、で済ませられるほどコリンナは非情になれないのだ。

「いや、別に。他人だったらああやっぱりろくでもない死に方しかしなかったんだなと思うよ僕は」

「他人というか、あなたの話をしてるのよ私は」

 あまりにあっさりしているリヒャルトをじとりと睨みつけ、コリンナはため息を吐く。

「……半月後の建国祭の式典にはあなただって参加するんでしょう? ちゃんと準備していらっしゃるの?」

 王家が主催する重要な式典だ。夜には舞踏会もあり、この国の有力貴族はほとんどが参加するだろう。

「さすがに王家からの招待を蹴るほど非常識ではないよ。準備はしていないけど」

「しなさいよそこは!」

 思ったとおりやる気のないリヒャルトにコリンナは思わず声を荒らげる。

(……落ち着きなさい、コリンナ。髪や髭は今やってもどうせ当日にはめちゃくちゃになるわ)

 事前に必要なのは服装だ。女性であるなら半月前ではとても間に合わないと青ざめるところだが、男性ならどうにかなる。

「アヒム!」

 コリンナはキッと気合いを入れるとグレーデン侯爵家の家令を呼ぶ。

「はい」

「侯爵様の衣装を確認させてちょうだい! 最後に新調したのはいつ!? 体型変わっていたりしないでしょうね!?」

 新しい服を作らせる時間はない。持っているものでどうにかするしかないが、体型が変わっているのなら調整が必要になってくる。

 家令であるアヒムはコリンナの質問に丁寧に答え、あとでコリンナが衣装を確認できるようにと手配している。その光景に呆れていたのはこの屋敷の主人であるはずのリヒャルトだ。

「……君、いつの間にうちの使用人を手懐けたの?」

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