第8話

「……って苦労?」


 僕はこんなに苦労しない、とリヒャルトは言った気がする。

 今、そんな話をしていただろうか? コリンナは家族の話をしていたわけで、それがリヒャルトの苦労話に繋がるとは思えずに首を傾げる。

 そんなコリンナの反応に気分を害したような様子もなく、リヒャルトは足を組み直しゆったりと口を開いた。

「リンハルト公爵家の薔薇を作ったのがうちの先祖なのは知ってるかな」


 ――リンハルト公爵家の薔薇。


 それをこの国の貴族で知らない者はいないだろう。数代前の国王が求婚の際にこれまでになかったうつくしい新種の薔薇を贈ったのだとか。その薔薇は王城とリンハルト公爵家にしか咲いていない。

 求婚の逸話が有名すぎて霞んでいるが、その薔薇を開発したのがグレーデン侯爵家であることもまた有名な話だ。

「ええ、それはもちろん」

 コリンナも公爵家のガーデンパーティーに招待され、その薔薇を見たことがある。咲いたばかりの頃は白い薔薇だが、徐々に薄紅色に色づいていく少し変わった薔薇だ。

「僕も数年前から薔薇の研究をしてる。新しい薔薇を作っているんだよ」

「……あ、あなたが?」

 コリンナは思わずリヒャルトの頭から爪先までをじっくりと眺めた。こんな人から綺麗な薔薇が生まれるのだと言われても正直まったくぴんとこない。

「そうだよ。これがまた予想通りにいかなくて苦戦してるんだ」

 そう答えるリヒャルトの顔はなんとなく楽しげだった。うまくいかないことすら楽しんでいるようで、研究に没頭することが好きなんだと思わせる。……とはいえ、彼の顔は髭のせいでほとんど見えないから、本当になんとなくそう見えただけだけど。

「薔薇を作るのってそんなに大変なことなんですね」

 コリンナには薔薇を作ると言われてもよくわからない。薔薇は庭で咲いているもの、部屋に飾られているもの。そういう認識だ。どうやって新しい薔薇を作っていくのかなんて想像もできなかった。

「新しい品種はそうそう作れないよ。あとは、そうだね。青い薔薇なんかは作ることすら不可能と言われている」

(……確かに青い薔薇なんて見たことないわ)

 ドレスの装飾で青い薔薇を模したものはあっても、本物の青い薔薇はない。

「色や形、香りだけではなく、寒さに強かったり、棘が少なかったり、そういう特徴も考え出すとキリがないね」

「考えるだけで私は面倒だわ……ってちょっと待ってくださる? それがうちの可愛いエミーリアの話とどう繋がるっていうの?」

 エミーリアはもちろん薔薇の花にも負けないほど愛らしいけれど、そういう話じゃないだろう。

「今の話を聞いていてわからなかったのかい? 人であろうと植物であろうと、受け継がれる要素っていうのは親だの親株からだけじゃないって話だよ」

「お、親株?」

(な、なんなのそれ?)

 親という言葉がつくのだから、植物にとっての親みたいなものだろうか?

 コリンナは困惑するけれど、リヒャルトは熱が入り始めたのか饒舌に語り始める。コリンナの声なんて聞こえていないみたいだ。

「新種の薔薇を作る時には色や形を選んだ違う薔薇同士を交配させて――」

「も、もういいわ! 私にはわからないってことがわかったから! つまりあなたも髪や目の色が親と違うのはおかしいって言った人は馬鹿だって言いたいんでしょ」

「まぁそういうことだね」

 しっかりとリヒャルトが頷いたのを見て、コリンナはふわりと胸の奥が浮き立つような心地がした。

 こんな話ができる人は家族以外にはいなかった。エミーリアを可哀想ねと言うのではなく、言った相手が無知なのだとこんなにはっきり言ってくれる人は初めてで、それが嬉しい。

 見た目が似ていなくたってエミーリアは可愛い妹だ。自慢の妹だ。それをわかってもらえるのが嬉しいのだ。


「……エミーリアならきっと、あなたの難しい話も喜ぶでしょうね。あの子、勉強が好きなの」

 頭のいいリヒャルトの話にエミーリアは夢中になるだろう。もう少しリヒャルトの見た目と生活態度が改善したら会わせてあげてもいいかもしれない。リヒャルトは鬱陶しい羽虫にはならないだろうから。

「それはそれは将来有望なお嬢さんだ。勉強熱心な子は嫌いじゃない」

「間違ってもあなたのもとには嫁がせないわ」

 コリンナが声を低くしてそう言うと、リヒャルトは「そういう意味合いはまったくないよ」と告げた。当たり前だ、リヒャルトは悪い人ではないかもしれないが、エミーリアの相手に……なんてとんでもない。

「気づいているかな。君、僕に対してけっこう口調が雑になってきているんだけど」

 くすりと笑いながらリヒャルトが呟く。

「……あら、ごめんなさい。ついうっかり」

 本当にコリンナに他意はなかった。

 猫を被る必要がないと思っているからか、つい気を抜いてしまう。淑女としてはあるまじき失態だ。

「まぁ気にしないけど。そのほうが君らしい」

「私らしいって……これでも私、社交界の花と呼ばれてるんですけど?」

 いつものコリンナは他人相手にここまでくだけた口調になったりしない。リヒャルト相手に気を抜いてしまうだけだ。

「それはそうだろう。君は綺麗だもの」

「……中身は綺麗じゃないっておっしゃりたいの?」

 見た目を褒められることには慣れているが、中身を貶されるとあればトゲトゲしい口調にもなる。きつい性格なのは自覚しているけれど、欠点になるほどでは……ないはずだ。

(別に、心も綺麗だなんて思われなくてもいいけど。私は天使でも聖女でもないし)

 そもそも中身まで清らかな人間なんてそういない。エミーリアは別だけど。

「さぁ、どうかな。中身がどうのっていうのは人によるんじゃないかい。僕はそういうきっぱりしている性格は嫌いじゃない」

「……そ、そう」

 嫌いじゃないという言葉に何故か胸の奥がむず痒くなる。

 これではまるでリヒャルトの言葉に喜んでいるみたいじゃない、とコリンナは落ち着かない気持ちを隠すみたいにきゅっと唇を引き結んだ。


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