第10話
その部屋で大崎を出迎えたのは四十代ぐらいの女だった。大崎には意外だった。女は子どもの授業参観にでも行くような服装をしていた。
「こちら、大崎さんです」
ミサが大崎を紹介した。
「どうも、はじめまして。大崎と申します」
江原仲信は、大崎という男はこの隠れ家に潜んでいた人物が予想に反して女だったとき、どういう態度を取るだろうかと考えた。大崎には実は秘密があり、それもこれも全部江原は知っている。この時点で大崎にとって意外なのは相手が女だったことだけだ。しかし大崎にはこの女をも出し抜く用意がある。まだ手の内は見せない。観客もろとも騙して置く必要があるのだ。大崎がこの場面で無意識に見せてしまうのはなんだろうか。不安か、不満か、あるいは失望。大崎はきっと目の前のこの女をほとんど意識することもなく見下すのではないか。そう考えた江原は相手から目を離さないまま形だけ軽く会釈するような、少々非礼な態度をとった。
「私は池上といいます。あなたのことはそれなりに調べがついています。今後はわたしどもと行動を共にしたほうが良いでしょう」
池上と名乗った女は大崎の非礼な態度には顔色ひとつ変えず、淡々と話した。
「どうぞ、そこへおかけください」
大崎が勧められたスツールに腰掛けるのを見届けるとミサは部屋から出ていき、池上はその背中を見送ってから大崎とテーブルを挟んで反対側のソファに腰をおろした。ミサが去った途端に部屋の空気が冷えたようだった。
江原は肘を膝の上について両手を組み、そこに顎を乗せた。大崎はまだ何も見せない。何もわかりませんという顔をしておく。江原はこの先の台本をすでに読んでいるからこのあと池上が何を話すのかすべてわかっているし、この物語がどこへ着地するのかもわかっている。しかし大崎は今初めて池上に会ったし、池上が女であることもたった今知ったばかりだ。それに観客もまだ、大崎の正体を知らない。江原は池上がこれから話す言葉、江原にはすでにわかっていて大崎も予想しているが、観客が思う大崎には想像もできないであろう言葉を受け取る準備をした。
「わたしたちの活動は明るみに出てはいけません。それは、あなたにもわかりますね」
池上が話し始める。大崎にはまだ池上が何を言っているのかわからない。観客にはそう思わせておく必要がある。江原は、わかっていないけれどわかることにしておいたほうが良さそうだ、というふうに大崎の判断を想定して小刻みに頷いて見せた。あくまでも池上より大崎の立場が下のように見せておくのだ。
「あなたもご存知のように、わたしたちは同じ意思によって個別に送り込まれてきました。個別だったのは、わたしたちが互いに連絡を取り合う必要はないと想定されていたからです」
この辺の芝居は難しい。大崎はこのとき自分が何者であるかも、池上が何を言っているのかも全部わかっていながらわかっていないような風を装っている。ミサに導かれるままにここへ来て、ミサとも話を合わせていただけで、自分が何らかの秘密に加担しているらしいということを知ったにすぎないという、そんな状態に見せようとする。江原はセリフのない芝居でどこまでそれを見せられるか試みた。
「ところが事態は思わぬ展開を見せました。この世界に、わたしたちの存在に気づくものが現れたのです」
大崎の意思が江原の意図を上書きしていく。江原は大崎に身体を空け渡したような気がした。大崎がこれまでとは異なる声で言った。
「それで?」
池上は右の眉をつり上げた。
「それで、わたしたちは連携することにしました。まずは仲間を探すことから始めたのです。わたしたちはもともと正体を隠して活動していました。だから仲間といえども簡単には見つけられません。あなたを見つけるのにも苦労しました」
「それは、ご苦労なことで」
大崎の目に急に自信が宿る。池上と大崎の立場が逆転したことを部屋全体が知った。
「ところで、あなたの使命はなんです? 池上さん」
池上はまた右の眉をつり上げる。
「もちろんそれは、あなたと同じです」
「ええ。そう言いますね、あなたは。ではあなたは、この私に与えられた仕事はあなたのものと同じだと、そう思っているわけですね」
池上は眉を上げたまま黙っている。
「あなたがたは、世界を正そうとしている」
池上の様子は変わらない。
「もちろん、それは善き行いだ。そうですね」
「むろんです」
「ひとつ質問させてくださいよ、池上さん。なぜ私があなたがたの仲間だとわかったんです?」
「それは、あなたが敵に追われていたからです。我々の敵にです」
「池上さん、あなたはいったい敵をどういうものだと思っているんです?」
「どういうもの?」
「あなたがたは、あなたの感覚では私も同じなんでしょうが、秘密の使命を帯びたなにかですね。私が思ってる通りなら、あなたがたは今この時にはまだ存在しない世界から来た。そんな連中が互いを見分けられないのに、なんで敵は見分けて尾行できるんです?」
「それは…」
池上は言葉に詰まった。
大崎は頭の中が凪いでいくのを感じた。かつて感じたことのないような落ち着きが大崎を支配していた。
「この世界にあなたがたの存在に気づくものがあらわれたんじゃない。あなたがたと同じ世界から、あなたがたを止めるために送り込まれてきたやつらがいるということです。それが池上さん、あなたの言う敵ですよ」
池上は黙っている。言葉を失ったようだった。
「ねえ池上さん。あなた、もしあなたが敵の立場だったらどうしますかね。あなたのような、善意で行っていることはなんであれ肯定されるべきで、それによってどんな悪影響があろうとも目を瞑るべきだと思っているような、なりふり構わない危険な連中を束ねるようなリーダーをあぶり出そうと思ったら。あなたならどうしますか」
池上の顔から血の気が引いていく。
「あなたはなかなかしっぽを掴ませない。でもあなたは、同じ思いでここへ来た仲間を探している。なぜならあなたは善意の人だからだ。仲間かどうかの判断はどうするんでしたっけ? 同じ敵? 同じ敵に追われてれば仲間なんでしたか」
大崎は立ち上がるとその身長からはっきりと池上を見下ろした。
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