テスト・フォー・エコー
涼雨 零音
第1話
一人暮らしの薄暗い部屋でオンライン映像配信サービスを利用して映画を見るともなしに見ていたおれは、画面に入ってきた人物に目を奪われた。
物語は今、重要な局面を迎えていた。そうした場面においてはしばしば重要な決断を迫られる人物が現れる。その下すべき決断は大きな痛みを、主人公に近い誰かや視聴者に愛されているような誰かが傷ついたりあるいは失われたりするような痛みを伴うものだ。より大きな何かのためにその辛い代償を引き受けなければならないといった種類の決断だ。今、緊張感あふれるその場面に緊張感あふれる表情で登場した人物は、部屋のあちこちにいる部下と思しき人々からの報告を次々に受け、その表情をみるみる険しくした。物語を大きく左右する重大な決断を下すべく、眉間に考えうる限り最深のしわを寄せて大映しになっている。あろうことかその人物はおれだった。おれはもちろん目を疑ったが、疑うべきが目なのか脳なのかはたまたおれという意識だか自我だかなにかそういった現象なのかは定かではなかった。
「彼女をパージするしかありません」
「ミカを見捨てるってことですか」
「このままでは他の四人まで危険にさらすことになる」
「まだミカを救う道はあります」
「だめだ。リスクが大きすぎる」
「でも可能性はまだあるんです」
「だが失敗したときに失うものが大きすぎるんだ」
クローズアップで映っているおれを取り巻いて画面の外からいくつもの叫び声が飛び込んでくる。
時は今よりもたぶんけっこうな未来。精神感応によって衛星軌道上の設備を操作し、宇宙から飛来する情報を受信、解析するという仕組みが実用されているような時代。ブレインリンク、通称ブリンクシステムと呼ばれるその精神感応は思春期の多感な少年少女において最大の効果を発揮する。そのため適性の高い子どもたちを地上の施設に集め、交代でシステムを稼働させるような組織が存在している。数日前、映画の時間軸ではつい数分前のことだが、何十年も前に地球を飛び発った探査衛星が不意に太陽系外から戻ってきた。もちろん予定されていない挙動だ。正確な軌道で惑星間をスイングバイしながら確実に地球を目指している。この施設でもその衛星を追跡していた。少し前のシーンで突如この探査衛星が電波を発信し始めた。ブリンクシステムで受信した信号を解析してそれに応答したところ、衛星側からシステムが走査され、精神感応を切断する間もなく子どもの一人が脳神経にまで侵入されるという事態に至った。通常のセキュリティはいとも簡単に乗り越えられ、少女の一人が未知の信号に脳を掻きまわされているのだ。この事態に際して呼び出された組織の幹部らしき人物が、今険しい顔で画面を埋め尽くしているこの男、すなわちどう見てもおれに見えるこの男だった。このままでは同じシステムに繋がっている他の子どもたちにまで危険が及ぶ。最初に侵入されたミカという少女を切り離せば被害を彼女だけで食い止めることができる。しかし大急ぎで防壁を展開し、他の子どもたちの力も借りてミカを救い出すという選択肢も、大きなリスクを伴うもののまだ残っている。どちらを選ぶのか。その重大な決断をまさに今、アップで映っているおれが強いられているのだった。
ぼんやりとブランデーを舐めながら眺めていただけの映画だったのに、おれは急に注視せざるを得なくなった。なにしろおれが出演しているのだ。まったく身に覚えがないのに、まさに画面で眉間にしわを寄せているのはどう見てもおれであった。誰よりもおれを見慣れているおれが言うのだから間違いない。
「二番を」
画面のおれがさらにしわを深めながら唇を震わせて声を出した。
「パージしろ」
騒然としていたはずの効果音が消え、後ろで流れていた煽情的な音楽までもが中断した。ラップトップの冷却ファンの音だけがおれの質素なワンルームに置き去りにされた。
「ブリンクシステム、セカンドユニットを物理パージします」
沈黙をやぶって部下の一人が絶叫すると、同時に騒音も戻ってきた。冷却ファンの音は聞こえなくなった。
「ヤイリさん、本当にいいんですか」
ヤイリというのがどうやらおれの役名のようだ。画面のおれはヤイリと呼ばれてよりいっそうしわを深めた。おれはその表情を真似てみた。
「やむをえん」
十二指腸あたりから捻り出してきたような声で画面のおれが言った。画面は警告灯の点滅やら警報やら怒号やら悲鳴やらがちゃんやらばたんやらどたどたやらの大騒ぎで、テーブルに両手をついて虚空をにらみつけているおれの手前や後ろを同じ服を着た隊員っぽい連中があわただしく行き交っていた。おれは画面のヤイリであるところのおれと同じ表情でモニタをにらみつけながらブランデーを舐めた。画面内では人々があわただしく動き回り、カメラも手持ち風に揺れて臨場感を演出していた。モニタに表示されていた緑色のインジケータのうち一つが赤く変わる。不思議なもので赤い光は危機を表しているとなんの説明もないのにわかる。今赤に変化したあれが、ミカを収容しているセカンドユニットというものだろう。ミカは神経組織を未知の情報信号にいじくりまわされたままで仲間たちから切断されてしまった。彼女は生きているのだろうか。
「ミカのバイタル下がります」
「生命維持を最優先にしろ」
「やってます」
「衛星はどうなった」
「速度変わらないまま接近しています。現在の軌道を維持すると8時間24分後には地球周回軌道に入ります」
画面には救護班とみられる人たちがわらわらと登場する。白い服に赤い十字が描かれていれば救護班だ。なんの説明もなかろうと救護班なのである。いくつかのカプセル状の機器が並んでいて、救護班らしき人たちはその端から二番目のものに集まっている。あれがセカンドユニットだろう。あの中にミカが入っているのだ。いきなりカプセルを開けて引っ張り出すようなことはせず、カプセルに小型の端末を接続したりしてあれこれやりとりをしている。どうやらカプセルから外へ出すだけでもいろいろと手続きがあるようだ。このカプセルのある場所はさっき隊員たちが走り回っていたのとは別の場所のようで、場面が変わるとヤイリと呼ばれたおれらしき人物はさっきの部屋からモニタ越しにこの光景を見ていた。
なんでおれが映画に出ているんだ。おれは騒然となっている映画の画面を停止して、作品紹介のページへ戻った。『ウェルカムホーム』というタイトルの下にキャストや主要スタッフのリストがある。おれはヤイリ役のキャストを見た。
「茅ヶ崎時夫」
そこに書かれていた名前を読み上げた。おれは田神修一であって茅ヶ崎時夫ではない。その今初めて目にする名前をクリックすると、茅ヶ崎時夫が出演している他の作品がリストアップされた。今しがた見ていた『ウェルカムホーム』の他に、『リバーサルシティ』、『シークレット・マン』、『発掘所の男』という三つの作品があった。おれはほとんど迷わず一番古い『発掘所の男』を再生した。
画面にはやたら彩度の低い映像でどこかで見た町の廃墟が映し出された。見覚えのある景色だけれど地名までは思い出せない。そういう町だ。それが廃墟になっていて、人の気配はない。ありがちなディストピア的未来ものといったところだ。途中から折れた電波塔、骨組みだけになったガラス張りのビル、がれきから突き出る鉄筋、紙のように破れたトタンの看板、色褪せた百貨店のマーク、砕けた信号機、放置された自動車、ちぎれてぶら下がる電線。定型と化した「退廃」のイメージがぎっしり詰め込まれた景色だ。カメラはそのジオラマみたいな街を進み、暗がりへと続く階段を降りて行く。地下街の廃墟に点々とともる灯り。そのガス灯のような薄灯りに導かれて進むと古ぼけた蛍光管が明滅している。蛍光管の灯りに照らしだされる「情報発掘所」の文字。
なかなかおれが登場しない。いや、おれじゃない。茅ヶ崎時夫だ。おれは動画のタイムバーを引っ張って時間を進めた。すると白い灯りに照らされた茅ヶ崎時夫が映し出された。薄汚い服を着て白い灯りに照らされている。カメラが切り替わると白っぽく光るモニタの前に座ってなにやら作業をしているところだった。モニタには見たことのないインターフェイスが表示され、茅ヶ崎時夫は指先でそれを操作していた。廃墟の中に突如現れる場違いなほど先進的な設備。生き残ったごく少数の人類が文明を継承しているようだ。しかし地上があんなありさまで、このようなハイテク端末の部品はどこから調達するのか、どうやって生産するのか、そもそも電力はどこから来るのか。あらゆる考証は「なんとなくかっこいい」の向こう側へ押しやられ、映像のことしか考えない映像作家によって安易にビジュアライズされる。陳腐だがそんなものでもある程度の評価を得て、こうして配信されている。再びカメラが切り替わって茅ヶ崎時夫の顔が正面から表示された。おれは再生を一時停止して画面にはりついた。表示されている茅ヶ崎時夫の顔を隅々まで確認した。試しに手元の携帯端末で自分の顔を、画面の茅ヶ崎時夫となるべく同じような角度で写真に撮って比べてみた。目鼻立ちはもちろん、ほくろの位置や耳の形に至るまで、なにもかもが同じに見えた。出演した覚えがないというおれの記憶を除けば、茅ヶ崎時夫はおれであるという結論を否定する根拠は無さそうだった。
どうやらこの作品がこの茅ヶ崎時夫という男の初主演作品らしい。監督が自らクラウドファンディングで資金を調達して自主制作した低予算のインディ映画のようだ。遠い未来、人類の大半が死に絶えた世界で、生き残った人々は破壊されたデジタル機器の中に残されたデータを発掘してかつての世界を知ろうとしている。いわばデータの考古学だ。茅ヶ崎時夫が演じているこの男はその発掘作業をしていて、この作品は彼の日常を淡々と描くあまり起伏のない作品のようだ。
おれはひとしきり茅ヶ崎時夫の顔を観察した後、動画を停止した。改めて茅ヶ崎時夫についてネットで検索してみる。すると彼のプロフィールが見つかった。
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茅ヶ崎 時夫(ちがさき ときお 1997年6月13日 ― )
神奈川県横浜市出身。鎮鉾大学情報学部システム情報学科卒業後IT企業に勤務。2026年雑誌『ミドル・ダンディズム』の企画〈粗さが魅力! アラサーダンディ〉に読者公募枠で登場したのを機にモデルデビュー。2027年公開の千田万太郎監督による自主制作映画『発掘所の男』に主演して注目を集める。主な出演作品は『シークレット・マン』『リバーサルシティ』『ウロボロスの鱗』映像配信サービスNetFetixオリジナル作品『ウェルカムホーム』など。(株)ポテンシャルプロモーション所属。身長180cm体重72kg血液型B型。
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ここに書かれている芸能活動についてはまったく覚えがない。しかし生年月日や出身地、卒業大学、身長体重血液型など、全部おれのものだ。今はほとんど在宅だがIT企業に勤務しているというのもその通りだった。おれの頭は得られた情報から結論を出せずに判断を保留した。おれの知らないおれと同じプロフィールを持つおれと同じ顔をした男が俳優として映画に出ている。こいつはいったい誰なんだ。茅ヶ崎時夫とはいったい、誰なんだ。
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