第9話 『傲慢』な交渉
「……うむ、戻りつつある」
ムールの報告を聞いて飛び起きる。
寝ぼけ眼のまま彼女の肩に触れた。
「10分の接触で、約1時間無効化が持続したな。接触箇所、接触面積で如何に変化するかもデータを取りたい」
額を押し付けるように、俺の胸に潜り込んできたムールを抱きとめる。
「傲慢は消えた、力の方は消えるまで……9、10秒だ。『加虐』の時はもう少し早く消えたのだな? 」
カレンに虐められていた時の事を思い出して、なるべく詳細にメモに書き出す。
「そうだな、正確には断言出来ないけど……身体能力はムールより早く無くなった。2、3秒くらいか」
これは実験らしい。
抱き合いながらムールは只管データを取る。
「能力の強弱で時間が変わるようだな……『加虐』はそれを知らず、我の返り討ちにあったと言う訳だ。恐らく最初で最後のチャンスであったろうに、馬鹿なヤツめ」
後数秒、カレンの攻撃が遅れていればムールは死んでいた……
早ければ、ムールの力は充分に残っておりカレンが死んでいた。
カレンとムール、2人とも生き残る唯一のタイミングを偶然にも的中させる事が出来たらしい。
運が良いのか悪いのかは、まだ分からないが。
「ふぅ……次は30分、いや1時間だ」
心地良さそうに、ムールは腕を俺の背中に回す。
「嗚呼、何度経験しても素晴らしい感覚だ……癖になる。いや中毒と言ってもいい……ギンジの『赦し』は」
ムールは実験を始めた頃から、俺の異能を『赦し』と呼び始めた。
魔人の『罪』を消す故に、赦しなのだと。
「そんなに良い物なのか? だって弱くなる訳だろう」
「当たり前だろう。ギンジと触れ合っていると赦されるのだ……我の場合は『傲慢』であれと言う罪を犯さなくても良くなる」
俺を抱き締めながら部屋を見渡すムールの目は、辺りの黄金よりもずっと輝いていた。
初めて家の外に出た幼子のようだった。
「下らない、汚らしく、弱々しい。そう見下す事しか出来なかった世界が、こんなにも……美しい」
少しだけ、魔人という生き物に同情する。
罪を犯し、その罪に由来する能力を振るう事を義務付けられた怪物……
深い所まで思考が及んでしまいそうになり、頭を振った。
同情しちゃいけない、深く考えて魔人寄りの思想になっちゃいけない。
人類は滅亡寸前で、敵であるこいつらに情をかけている暇はない。
この魔人を利用して、人類を何とかしないと……
「……ムールの権限でこの戦争を止めさせる事って出来ないのか」
「難しい。我は四天王という大仰な役職を与えられているが、基本的に決定権は魔王が有している」
やっぱり居たのか魔王。
ただの噂じゃなかったんだな。
「……意見具申とか、議会みたいな場は無いのか? 」
「命令が下る事と、報告を上げる事はあるが……全て魔王が取り仕切っている、我が人類侵攻に口出し出来る余地は無い」
「魔王に会えないか? 」
ムールは渋い顔で否定する。
「魔王は用心深い。会えるのは報告と命令を兼ねた時だけで、会えるのも四天王に限定される。我のように、献上品に紛れてという手は使えんぞ? 」
「あ、ああ……」
カレンの思惑を言い当てて悪戯っぽく笑うと、ムールは神妙な顔をして向き直る。
「ギンジ。魔界には一つだけ明文された法律が存在する」
「へぇ、意外だ」
力による上下関係以外は存在しない無法地帯だと思っていたのに、ちゃんと決まり事があるんだ。
「奴隷……人間の所有に関してのみ、魔王は厳正な報告と管理を義務付けている。生きている人間をどれ程所有しているか、どこで管理しているのか……それ以外何も定めていないのにそこだけ神経質に……」
食っても殺しても痛ぶるのも自由な
クセに、何故そんな事を気にしてるんだろう。
「まぁとにかくだ。魔界の法に則る限り、ギンジはカレンの物となっておる。我でもそれには抗えん……それでだ、ギンジよ……」
モニュモニュと、珍しく歯切れの悪いムールが暫くしてようやく切り出した。
「なあ、正式に我の物になれギンジ。少なくとも『加虐』より良い生活を約束しよう。魔王も、戦争も、全て忘れて幸せな思いをさせてやろう」
「忘れてって……」
「ギンジ、無理だ。お前には地球を救えない……『加虐』には奴隷で村でも作ってやると言われたか? 我なら1万まで奴隷を所有して良い事になっている。全てお前の為に使おう」
話についていけず呆然とする。
慌てて言葉を出そうとして、それすら制された。
「忘れるんだ。誰がお前を責めれる? お前の目的はなんだ? 1万人の人類を救った英雄は、お前には不満なのか?
「……俺は、そういう事が言いたい訳じゃ」
ここまで捲し立てる様に話していたムールは、落ち着いたのか瞳を伏せた。
黄金の瞳が伏せられると、そこにはただの漆黒しか存在していない。
「すまない。話が飛躍したな……」
「つまり、俺に正式にムールの奴隷になれって言う事なんだな? 」
「うむ、うむ。そうだ、それまでの間はまた『加虐』の元に居ることになるだろう、彼奴からの迎えもそろそろ来る頃合だ」
迎え……カレンの顔が浮かんで、理由は分からないが罪悪感が湧き出てきた。
「暫くしたらまた迎えに行く、だからそれまで待っていてくれ」
その後、ムールはたっぷりと接触を続けデータを取り続けた。
名残惜しむように、正確さよりも接触回数と時間を優先して。
そして、半日程度が経つ。
唐突に実験途中だったムールが鋭い目付きを扉に向けた。
「….…あぁ、来たな」
「え? 」
ムールが初めて自分から離れる。
若干寝不足気味のまま、釣られて扉に目を向けた。
遠くから、微かに何かの揺らぐ音が聞こえてくる。
「随分ご立腹だ。まぁ、そうであろうなぁ」
「む、ムール……おい」
恐怖が腹の底から這い上がってくる。
これはカレンにでは無く、ムールに対する恐怖。
俺を守るように立ち塞がる彼女が、俺にとっての最大の恐怖だった。
「さて……」
建物全体の揺らぎはどんどん大きくなり、とうとう部屋の直前まで近付いて……
扉が思いっ切り蹴破られる。
魔人、『加虐』のカレン。
以前見た時と同じ、赤黒いオーラを纏った彼女は相変わらず恐ろしく。
そして、1歩も動けなくなるほどに暴力的だった。
「ムー……」
グルグルと唸りながら、何かを言おうとしたカレン。
その顔面を、ムールはなんの躊躇もなく殴り飛ばした。
本当に殴り飛ばした。
首から先が腐ったトマトみたいに部屋中に飛び散り、カレンだった物の四肢から力が抜ける。
「カレ……え、し、死んだ……? 」
「ん? はは、まさか」
首なし死体、カレンは倒れずにそのまま1歩、歩みを進めた
「さて……『加虐』」
「……だま、れぇ」
カレンは死んでいなかった。
出来の悪いCGのように、再生が始まる。
中途半端に再生した顎で悪態をつくが、赤黒いオーラは止み顔色は若干悪い。
呆然としている俺を見て、ムールはクスリと笑う。
「ふふ、安心しろギンジ。魔人は死なん、理屈ではなくそういう存在だ。故に今から行うのは我流の……交渉だよ」
黄金の瞳に柔らかな笑みを浮かべたまま、再度ムールは拳を振るった。
俺の異能のというイレギュラーは存在しない、どこか緩慢で隙だらけで何よりも『傲慢』な拳。
再生に気を取られていたカレンは再度、頭部を吹き飛ばされた。
先程より少し時間がかかって再生した頭部を、また砕く。
それを数度繰り返し、カレンが膝を着くと今度は頭部だけでなく胴体までグチャグチャに撒き散らした。
丹念に、周到に、カレンは圧倒的な暴力によって何度も何度も砕かれていく。
「も、もうやめ」
「いやまだだ、こいつは頑固だからな」
過去にもカレンをこうした事があったのだろう。
手馴れた様子で、定められた手順があるかのようにムールの動きには淀みがない。
「さて、そろそろ頭の血が抜けて大人しくなる頃合だ」
おぞましい程の返り血を浴びて、漆黒の魔人は『傲慢』に笑う。
俺に向けられた物ではないはずなのに、恐ろしくて声も出なかった。
ムールの目の前には自らの血でドロドロに汚れたカレンが。
『加虐』とは程遠い、弱々しい姿で座り込んでいた。
「下準備はこのくらいで良かろう。さあカレン、話をしようか」
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