第66話 ニア、虐めさせる


「うぅ……!」


 廊下を歩いていると、眠気が襲ってきた。


 ニアに呼ばれているのである。


 僕に対価を支払わせたいのだろう。


「なんで……いきなり……!」


 いつもなら僕が自分から眠るまでは待ってくれるのに、どうして今回に限ってこんなことをしてくるのだろうか?


 ……考えていても仕方がない。


 僕は、少しの間眠っていても問題なさそうな場所を探す。


 そして、誰も居ない空き部屋を見つけ、そこへゆっくりと腰を下ろして眠りについた。


 *


「お兄様ぁっ……!」


 目を覚ますと、いきなりニアが抱きついてきた。


 いつものことだけど、たまには普通に接してほしい。


「はいはい……それで、どうして僕が眠るまで待ってくれなかったの?」

「あのね、ニアは良いこと思いついちゃって、我慢できなかったの……!」


 目をキラキラと輝かせながら、僕のことを見つめてくるニア。


「………………」


 とても嫌な予感がする。


「ごめんねお兄様……でも、どうか今すぐニアのお願いを聞いて……?」

「……うん」


 僕は仕方なく頷いた。拒否するという選択肢は存在しない。


「それじゃあ、ニアをいっぱい虐めて……っ!」

「………………はい?」


 毎度のことながら、ニアがお願いしてくることには驚かされる。


 どうして、そんなにおかしなお願いばかり思いつくのだろうか?


「さっきのお兄様……ちょっと怖かったけど、すごく良かったよ……! だから、ニアもあのベラとかいう人達みたいに乱暴にされたい!」


 どうやら、魔法の影響で乱暴になった僕が、ベラさん達を脅すという野蛮な行為をしてしまったせいで、ニアがおかしな方向に目覚めてしまったようだ。


 ニアは元からちょっとおかしいけど……。


「で、でも……ニアを虐めるなんて出来ないよ!」

「嫌だったらやらなくても良いんだよ? そしたら、ニアはずっとお兄様と一緒に居られるから!」


 ――もし、ニアのお願いを断った場合、僕の精神はずっとここに閉じ込められ、あっちの体はニアに取られることになる。


 だけど、ニアはずっとここで僕と一緒に過ごすつもりらしい。


 ……もしそうなったらと考えると、正直ぞっとする。


 だから、そもそも僕に選択肢なんてないのだ。


「分かった……やるよ。具体的にどうすれば良いの?」

「ニアの首を絞めて……お尻を叩いて……! 耳元でいっぱいニアのことを罵って!」

「せめてどれか一つにして……」

「やだ、全部やってね……!」

「………………」


 どれも今まで散々ハウラさんにされてきたことだ。


 悲しいけど、やり方は理解している。


「……じゃあ、壁に手をついて」

「うん♪」


 ニアは嬉しそうに僕の言うことに従い、それからお尻を突き出す。


 僕は立ち上がって、ゆっくりと右手を振り上げた。


「ニアを満足させてね、お兄様♪」

「………………っ!」


 手加減はするなという意味だろう。


 僕はハウラさんがやるみたいに、右手を思いきりニアのお尻に振り下ろした。


「んんっ!」


 身体をぴんと硬直させ、痛みに耐えるニア。


「はぁっ、はぁっ、もっと、いっぱいやってぇ……っ!」


 僕はニアが言う通りにした。僕が叩く度に、ニアは小さな声で悲鳴を上げて、涙目でこちらを見てくる。


 その姿を見ていると、背筋がぞくぞくして変な気分になった。


「はぁ、はぁ……お兄様が……楽しそうで……っ、ニアも嬉しいよ……っ!」

「え…………?」


 ニアの言葉を聞いて、僕ははっとする。


 ……嫌々させられていたはずなのに、いつの間にかニアを叩いて楽しんでいたのだ。


「分かったよね、お兄様……? ニアとお兄様の間には愛があるから大丈夫だけど……ハウラはただお兄様を虐めて楽しんでただけなの……お兄様は都合よく扱われてたんだよ」


 ……そうか。


 ハウラさんは僕のためを思ってお仕置きしてたわけじゃなかったんだ。


 そんな最悪な事実に今さら気付かされて、僕はとても悲しい気持ちになった。


 心のどこかで、まだハウラさんのことを信じてたから……。


「……だから、ハウラのことなんか忘れて……空いた心でニアのことを考えてね……」

「…………!」


 そこで、ようやく僕はニアの狙いを理解する。


 ニアはそうやって余計なことを教えて、僕の心にある大切な思い出を全て壊してしまうつもりなのだ。


 そして、僕がニアのこと以外考えられなくなるのが望みなのだろう。


「メイベルも、ソフィアも、エリーも、オリヴィアもみんなそう。ただお兄様を都合良く扱ってるだけなの。……本当にお兄様を愛しているのは……お兄様を理解してあげられるのは、ニアだけなんだよ♪」

「……みんな追放された僕をわざわざ追いかけてきてくれたんだ。そんなことはあり得ないよ……お願いだからもう何も――」

「違うよ! あいつらはなお兄様に甘えてるだけ! ワガママで自分のことしか考えてないの! だからみんな死んじゃえば良いよ!」

「うるさいッ!」

「きゃあっ!」


 気がつくと、僕はニアを押し倒して首を絞めていた。


「ぐうぅっ……!」

「一番ワガママなのはニアだろ? 僕にこんな事させて、なにが楽しいんだよ!」

「けほっ、けほっ、悪い子で……ごめんね……お兄様ぁ……♪」


 そう言って嬉しそうに笑うニアの顔を見て、僕は正気に戻った。


「ご、ごめんなさい……こんなつもりじゃ……!」

「うぐっ、げほっ、げほぉっ! ……ふふふ、ニア以外のワガママな妹達にこんなことしたら……きっと嫌われちゃうよね? あいつらは優しいお兄様しか知らないもんね……?」


 青白い顔を赤くして、僕に微笑みかけるニア。


「……ご、ごめんなさい……ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさいごめんなさい」

「…………お兄様に虐められても嬉しいから、だいじょぶだよ♪」


 そう言って、ニアは僕のことを抱きしめてくる。


「お兄様は、都合のいいお兄様をやらされてかわいそうだね……」

「お願い……もうやめて……」

「お兄様の醜いところもちゃんと愛せるのはニアだけなんだよ?」 

「ごめんなさい……」

「――どんなことがあっても、ニアはお兄様をとっても愛しているの。それだけは分かってね?」


 そう言って、ニアは僕の涙を舐めとった。


「泣き虫で弱虫なお兄様を愛せるのも、ニアだけだよ♪」

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