第31話 混乱

フレデリック皇太子の城の中。イギリス調にデザインされた緑溢れる中庭、白一色のバラが整然と咲き誇り中心には白い石で飾られた噴水がある。噴水の水辺には黄色や緑色の羽をしたセキセインコが羽ばたきながらのどを潤している。噴水を中心に白い大理石で張られた一本の回廊が作られている。そのどこか浮世離れした風景の中にしっくりと溶け込んだ御伽噺の王子様のような風貌のフレデリックが白い回廊をまっすぐに進んでくる。少しウエーブのかかったブロンドのロングヘアーに端正な面立ち、ブルーの瞳、スラリと伸びた若々しい手足とそれを包み込む皇太子の衣装、そのどれをとってみてもまるで絵本の中から抜け出してきた王子様のように見えたことだろう。その美しい容姿とは裏腹にフレデリックの心中は穏やかではなかった。

(アコオ、あの女。精神状態が落ち着いてきたのはいいもののまったく自由人をおびえて話をしようともしない。まあサイモンにとっては願ったり叶ったりの状況とも言えるが・・・)

フレデリックは赤羽が落ち着きを取り戻し日常生活が出来るようになったのを待って自由人に面会させた日のことを思い出していた。


赤羽はフレデリックの屋敷の一角に引き取られて以来、順調に回復の兆しを見せていた。これまでのことはおろか自分の名前すら思い出せないではいたが日常生活を送ることは支障なくこなすようになっていた。特にお気に入りの人形のモデルであるフレデリックには心安い笑顔を見せ、しばらくすると少しずつではあるがフレデリックに話しかけるようになっていた。医者によると「退行作用」といって幼児期ぐらいの言語能力と思考回路しか持たない時期も出てくるということで、まさに今の赤羽はその退行作用を起こしている時期のようだった。赤羽は幼子のような眼差しでフレデリックを見つめまた自分をかばってくれている親鳥をしたう雛鳥のような態度でフレデリックに甘えてくるのだった。フレデリックはうっとうしさを感じながらも紫音と血のつながりがあるかもしれないこの女性にほんの少し同情の念を感じていたことも事実だった。しかしフレデリックの気持ちの中には赤羽は自由人に対する餌という考えの方が強かった。早く自由人に会わせその必要性を感じてもらうことが先決だと。つまりそうしてこそ自分の行ったこの状況に対し自由人が感謝の念を抱く事も計算の内に入っていたのだった。


自由人の体調も良くなり赤羽の順調な状態も医師ともどもに認めた上でフレデリックの屋敷内で自由人と赤羽を会わせることになった。

自由人は自分の立場をよく理解しておりフレデリックに対して赤羽を引き取ってくれたことをとても感謝していた。面会前に自由人はフレデリックに言った。

「太子このたびのことは誠に感謝しております。太子のご提案が無ければ赤羽は多分殺されていたことでしょう。もしかすると傷ついていた私ともどもに。赤羽はこの屋敷にずっと生活することが出来るのでしょうか?」

フレデリックはいつもの慈悲深い微笑を浮かべて自由人の肩へ手を置き言った。

「ジュード少尉あなたはアメリカの国民です。私にとっても必要な人間なのですよ。あなたの力になれる事は協力しようと言ったではないか。彼女はまだ時間がかかりそうだがゆっくりと記憶を取り戻せるまでこの屋敷で静養することをサイモン元師にも私から約束をしていますよ。」

自由人は跪き頭を垂れフレデリックに対して感謝と礼の言葉を述べたのだった。


「だが・・・」

フレデリックはその時のことを思い出しながらひとりごとのようにつぶやいた。

(あれ程までにあの女が自由人を恐れるとは・・・思いもよらぬ出来事に一番驚いたのはジュード本人だったのかもしれない。)

フレデリックは面食らったその場面をまた思い出していた。


その日自由人は久しぶりに会える赤羽をまるで少年のような輝く瞳で見つめていた。赤羽は入ってきた二人に気が付かない様子でお気に入りのフレデリック人形を相手に一人でままごと遊びをしているようだった。フレデリックが赤羽の横に跪きその頭を優しくなでて話しかける。フレデリックに気が付き赤羽はうれしそうにフレデリックを見上げる。

「おうじさま・・・ごきげん・・よう」

にっこりと微笑むその笑顔はまるで少女のようにおさなく屈託の無いものだった。医師から容態は聞いていたもののやはり様子の違う赤羽に一瞬自由人は戸惑ったようだった。が気を取り直しフレデリックの背後から同じように跪いて赤羽の顔を覗き込んだ。赤羽はゆっくりとフレデリックから自由人へ視線を移す。自由人と視線が合ったその瞬間、赤羽の表情は凍りつき、まるでこの世の終わりかとでも言うような、どん底へ突き落とされたような恐怖の表情に変わりはてた。一瞬の間を空けてからこめかみの辺りを両手で押さえて大声で叫び始めた。

「ギャーーー!ウオオーーーー!オニ!オニーーーー!ギャアーーーー!」

その悲鳴とも嗚咽ともつかないまるで動物のような叫び声にフレデリックも自由人も思わず後ずさりした。赤羽は叫びながらしゃがみこみ、後ろへ後ずさりながら必死で自分の右手の緑色の指輪を取られないように守っている。と同時に数名の医師が飛び込んで赤羽を落ち着かせようと押さえつける。いつもは温和な医師があわてて鎮静剤を注射し始める。赤羽はその注射をも振り払おうともがき苦しんでいる。目は宙を泳ぎ明らかに常軌を逸している。部屋中に響き渡る赤羽の獣のような叫び声とその一変した狂人のような風体を目の当たりにして明らかに自由人はショックを受けていた。赤羽を取り押さえながらあわてて医師がフレデリックと自由人に向かって叫ぶ。

「早く部屋を出てください!特に少尉!あなたに興奮している!早く!出て!」

眼を見開いたまま赤羽を見つめたまま立ち尽くしている自由人の巨体をフレデリックは押し出すようにしてやっとのことで部屋から出した。部屋を出ても赤羽の叫び声はドア越しに聞こえていた。自由人は両手の拳を強く握り締めたまま自分の足元を見つめ立ち尽くしている。フレデリックは言葉に窮したが自由人の右肩を左手でやさしく掴んだ。フレデリックの左手には小刻みに震える自由人の体の震えが伝わってきた。フレデリックはそっと手を離すと赤羽の叫び声が聞こえない中庭まで自由人を案内した。


噴水の淵に腰をかけ両手で頭を抱え込んでいる自由人をフレデリックは正面に立って見下ろしていた。こういった場合、下手に声をかけるより様子を見守るのが無難な術だということをフレデリックは自分の経験を通して心得ていた。春の日差しの中ピピッチチッとさえずる小鳥の声と噴水の水の音だけが二人の間に流れていた。しばらくして自由人が顔を上げフレデリックに視線を向けた。フレデリックはここぞとばかりに同情と慮る気持ちを込めた視線を自由人に送る。そのフレデリックの瞳に安心したのか自由人はゆっくりと口を開いた。

「オニ・・・か。確かに俺はそうかもしれません。」

自由人のその言葉にフレデリックは訝しげな表情を浮かべた。

(“オニ“とは何なのだ?)

しかしフレデリックはあえてそのことを聞かなかった。自由人はフレデリックの表情を汲み取り言葉を続けた。

「オニって言うのはヤマトの中に伝わるモンスターです。決して笑顔で迎えられるとは思ってなかった・・・けど・・・あそこまで・・・」

そこまで言うと自由人は言葉に詰まった自分の口に左手をあてフレデリックから視線をはずした。フレデリックは自由人の前にしゃがみこみ自由人の顔をまっすぐにみてやさしく語り始めた。

「焦ることはないでしょう。彼女はこの一月でやっと言葉をしゃべれるようになったぐらいの状態だったのですよ。ゆっくりと時間をかけて見守っておあげなさい。この状況の中彼女にはあなたしか頼るべきものは無いのですから・・・」

フレデリックのその言葉に自由人はいささか慰められたようだった。寂しげに微笑むと本当に感謝をしていると礼を述べ赤羽とは直接は会わないがまた面会に来てもいいかと尋ねお互いの確認を取ったのだった。


あれから二週間たっていた。赤羽はまた以前の小康状態を取り戻していたが医師から自由人との直接の面会は当分の間禁じられていた。自由人は時間がある時はガラス越しに赤羽を見舞い帰って行くという方法をとっていた。

(この状況は吉と出るのか凶と出るのか・・・)

フレデリックは思いもよらない展開にもどかしさを感じ苛立ちながらあそこまで自由人を恐怖する赤羽の態度にも懸念を抱いていた。

(あの砂漠の襲撃の時に実際に何があったのか?あの女があれほどにジュードを恐怖し忌み嫌う事があの時起こったのだ。)

好きな女を手に入れるため同胞を捨ててまで執拗に追尾した自由人だけに赤羽に対しひどい仕打ちをしたとはフレデリックには想像できなかった。その証拠に自由人の多大な負傷に対し赤羽は麻酔銃以外ほとんど無傷で助かっているではないか。思い巡らしても答えの出ない思考にフレデリックはかぶりを振り足早に赤羽のいる部屋へと向かっていた。その時庭の右手からフレデリックを呼び止める声がした。

「おうじ・・さま!」

赤羽が少女のような眼差しでフレデリックを見つめ庭右手の芝生の上に腰をおろしフレデリックに向けて手を振っている。フレデリックは少し驚いたが横にいる医師を見つけほっと胸をなでおろした。二人の方へ歩み寄ると医師がいつもの温和な笑顔でフレデリックを迎え入れた。

「おはようございます。太子。このところお忙しいようでなかなかお見えになりませんでしたな。」

医師の笑顔にフレデリックもつられて微笑みながら答えた。

「ええ何かと立て込んでおりまして。彼女はもう庭に出てもいい位の?」

フレデリックの懸念を察し医師が病状を説明した。赤羽は日常生活はまったく滞りなくすごせるほどの状態まで回復している。精神年齢は十歳程度と思っていい。しかしこれまでの自分に起こったことはもちろん覚えておらず名前も“アコオ“と教えても違うの一点張りでよほど過去の自分を否定したいのだろうという大筋だった。その医師の説明に面食らって立ち尽くしているフレデリックに対し赤羽はフレデリックの上着のすそを引っ張って何やらつぶやいている。フレデリックがしゃがみこんでその声に耳を傾けると赤羽はうれしそうに微笑んで言った。

「おうじさ・・ま?わたしにおなまえをつけてください。わたし・・・おなまえがないの。」

戸惑って医師に視線を向けるフレデリックに対し医師は小声で耳打ちをした。

「名前をつけておやりなさい。しばらくは過去の自分と離れる時間を持つのも彼女にとっては必要なことなのです。」

フレデリックはうなずいて視線を落として少し考える様子を見せた。そしてゆっくりと赤羽の方へ視線を移すと優しい声で告げた。

「お前は今日から“リリア”だ。」

それはフレデリックを生んですぐに亡くなってしまった母親の名前だった。何故その名前にしたのかフレデリックは自分自身でも解らなかった。何の思い出も面影も無い、写真でしか見たことの無い母親の具体的な象徴が欲しかったのか、葬り去られたこの名前を単に読んでみたかっただけなのか自分でも理解できなかったが思い浮かんだ女性の名前がこれだけだったのである。そうとは知らない医師が赤羽の頭を撫でてやさしく話しかけている。

「ああよかったね。君は今日から“リリア”だよ。言ってごらん。“私の名前はリリアです”」

医師の口をまねて赤羽がつぶやく。

「わたし・・のなまえは・・リリア・・です・・」

微笑む医師と笑い転げる“リリア”を見つめながらフレデリックは肩を落として去っていった自由人の後姿を思い浮かべていた。一瞬ではあるがそれは紫音を手に入れた後の自分の後姿とも重なるような気がしたのだった。誰かを手に入れたい、受け入れてほしいと望む気持ちが強くなればなるほど相手から拒絶されるかもしれないという恐怖も強くなるということを覚えたフレデリックだった。暖かい春の日差しとは裏腹にリリアを見つめるフレデリックの眼差しは冷たく暗く凍り付いていくのだった。

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