第8話 アメリカ
これ以上の繁栄は望めまいと言うほど肥大化し贅の限りを尽くしたアメリカの首都NY。一部の選ばれた市民だけがセレブとして桁の違う高級品を身にまとい贅沢な食事を楽しんでいる反面少し郊外へ足を向けるとそこはドラッグと犯罪にまみれた汚染された地域が広がっていた。表向きは大統領制の統治が続く中世界各国で変わらず続くテロ行為に対抗するため軍の増強は絶えず行われ実際は軍の最高司令官である元帥がほとんどの大きな権力を握っているのが現状だった。軍の幹部はこの実権をより強固なものにするためイギリスが持っていた王権制度に目をつけ代々その王家の子孫を象徴として添える事で民衆に対し軍の指揮官の正当性を強めていった。つまり王族の命により軍部は動いていると言った表向きの体裁を整えるためだけに王族は存在していたのだった。都市圏の有力者や上層部の民衆はすでに富と権力を有していたので残された貴族と言う名誉を手に入れるためこの王家による統治をほぼ黙認していく形となったのである。
もはや世界に国連とは名ばかりで実質存在していないことは周知の事実でもあり同じようにアメリカの大統領とは名ばかりで軍部の最高権者が世を制していることも世界の常識となっていた。
このアメリカ王家の次世代をになう長男フレデリックの二十歳を祝う宴がイギリスの古城をまねた造りの真新しい城の中で行われていた。まばゆいシャンデリアが輝く高い天井に中世風の大理石で彫られた人の形をした彫刻が壁一面を飾っている。軍服にいくつもの勲章をつけ自慢そうに前に突き出した腹をさすりながらグラスを傾ける人々。美容整形により皆同じような顔作りになっている大勢の美女たちは細いカクテルグラスを片手に今年のファッションの話に夢中になっている。食べきれもしないご馳走の数々が次々に出されてはまたキッチンの方へ消えてゆく。ざわめく人々の意味の無い会話や感嘆符が延々と繰り広げられるこの広間の片隅に本日の宴の主人公でもあるフレデリックは座っていた。
フレデリック・アーサー・フィリップ。少しウエーブのかかった長いブロンドにブルーアイズ。面長な輪郭の中に鼻腔の無い鼻筋の通った横顔は美しかった。典型的な王家の特徴を持って生まれてきたフレデリックは自分の二十歳を呪っていた。当王家で成人になると言うことは正式にこのお飾りの跡継ぎとして世間に公に認められると言うことでもあった。すなわち現在の父親が没した後はフレデリックが軍のお飾りとしての一生を送ると言うことを約束するための式典であり、決してフレデリックの成長を皆が祝う為の会で無いことは周知の事実であったからだった。
「おめでとうございます。」
「皇太子さま、麗しゅうぞんじます。」
「よき日に乾杯ですな!」
聞き飽きたセリフの数々と作り笑いが会場いっぱいに渦巻く中誰一人フレデリックの苦悩を理解してはいなかった。フレデリックは全てのことに関心が無いといった冷たい眼差しでひな壇の上に設けられた自分の席に座り右手の壁側に刻んである天使の彫像だけをじっと見つめていた。
「皇太子お久しぶりでございます。本日はおめでたいことで何よりでございます。」
といきなりフレデリックの前にひざまずき挨拶をし始めたのは鷹派で有名な政治家ニコラスであった。これ以上前に出ることは無いだろうと思えるくらい出っ張った腹を窮屈そうにまげてフレデリックに対し必死でお辞儀をしている。脂ぎった赤い顔面からは汗がにじみ出ている。フレデリックは何の関心も無いと言った様子で微動だにせず右側の彫像を見つめたままだった。政治家ニコラスはお構いなしに続ける。
「本日の太子さまは一段と麗しゅう存じます。こちらに連れてまいりましたのは家の娘で太子様とは四つ違いの十六歳になりました。どうぞお見知りおきを・・・ささっ、お前も太子様に挨拶をするんだよ。」
政治家ニコラスの横には父親にカツラをかぶせたのかと思わせる太った赤い顔をした娘が突っ立っている。父親に背中を押されよろよろとフレデリックの前に歩み出ると抑揚の無い台詞回しで覚えたての言葉を並べ始めた。
「オハツニオメニカカリマス。ムスメノシャロントモウシマス。」
そう言うとその太った娘は深々と頭を下げた。そのあまりの棒読み台詞は逆にフレデリックの興味を引いたようだった。右側を向いていたフレデリックの顔がゆっくりと正面を向いた。と同時に娘が頭をあげフレデリックと目を合わせた。その瞬間「ひっ・・・」と娘がカナキリ声を上げる前の息をのむような声を上げた。思わず脇の父親が娘の口を押さえる。叫びたいともがく娘の口を押さえたまま流れるように汗をかきながら政治家ニコラスは何とか取り繕おうと懸命に言葉を続ける。
「た・・・太子様の威厳に娘は圧倒されたようでございます。ご無礼をお許し下さい。田舎者でございまして。えええ・・・」
続けようとする政治家ニコラスの言葉を左手でさえぎると表情を変えずにフレデリックは席を立った。と同時に周りを取り囲んでいた護衛兵がフレデリックに敬礼をする。最後にチラリと口を押さえられたままの娘に方に視線を落とされたフレデリックの眼差しは氷のように冷たかった。フレデリックは心の中で小さくつぶやいた。
(これが私の顔を見たときの当たり前の反応だろう・・・)
フレデリックの右半分の顔は皮膚が赤黒く変色していた。母親似の美しい整った面立ちだけにその右半分は痛々しく人の目には映った。生まれつきのもので現在の医学では移植手術をすることは不可能だった。
(驚き怖がる人間の方がまだ信用できると言うものだ。)
フレデリックはそう思っていた。フレデリックの周りにはこの顔を見ても仮面をつけたように表情ひとつ変えないように訓練された者たちしか集められていなかった。特別教育のため学校の同級生と言うものも知らない。母親はフレデリックを生んですぐに亡くなったので母親の愛情も知らない。顔半分が赤黒い子供にまったく興味を示さない父親はすぐに貴族の娘と再婚し三年後には子供を生ませる。後妻は自分の息子を継承者にしようと何時の日も早くフレデリックがいなくなってくれることを心から望んでいる。ありがちな腐ったようなこれまでの決められた二十年間と同じように繰り返されるであろうこれからの人生に彼は絶望以外の何も感じなかった。フレデリックはゆっくりと宴の会場を横切り護衛の目を盗み城の近くの森へ馬で遠乗りに出かけようと思っていた。
(夕暮れ前の五月の風が心地よいはずであろう。)
とほんの少しの慰めを期待しているフレデリックだった。
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