遠雷の中



「おヒメ……!擬態装置貸してくれ……!」

「う〜!いいよォ〜〜!」



 拒否前提ダメもとで尋ねてみた正文に、意外や意外、母屋の居間にて乳酸飲料を飲んでいたティセリアは即決してくれた。


 あまりに潔いティセリアの決断に、正文は少々面食らってしまう。





「良いのかよ……?擬態装置なかったら外出れねぇだろ?」



 正文が言うと、ティセリアは突然、真面目な表情を作って見せた。



「いまからシュージやユキエと……おへやで対決たいけちゅだから、しばらくおそと出ないのョ」



 そう言ってティセリアは手に携えていた、掌大の、二頭身ロボットの玩具を正文に見せた。


【ビーダマシン】という、腹部からビー玉を射出する玩具だ。



「うゅ……!逃げられないうんめー……これがしゅくめーの戦い……!」



 子ども向けの競技大会も開催される程の人気玩具を見つめるティセリアの瞳は、今まで見たことのない闘志を帯びていて……正文は思わず唾を飲んだ。



「ティセリアちゃん……決着を付けよう!」

「…………!」



 突如声が響いて、ティセリアは戦慄の表情で振り向く。


 修二とゆきえが颯爽居間に現れた。其々の手にもビーダマシンが握られていて……二人もまた、猛々しい眼差しでもってティセリアと睨み合った。



「…………!」

「ゆきえちゃんが『ティセリア!先ずはあーしの《ヴァーストケルベロス》と勝負だよ!』だってさ!」

「うゅ……!あたしの《シャイニングフェニックしゅ》のシメウチシュートに勝てるかな?」

「おいらの《ガトリングワイバーン》も負けないよ!…ていうか二人のビーダマシンはおいらが貸してるヤツだからね!」



 一触即発の気配を伴って、ティセリアたち三人組は修二の子ども部屋を目指し、居間を後にした。


 勿論、去り際にティセリアは、自分の腕から外したリング型の擬態装置を正文に投げ渡し、貸してくれた。



「お昼までには返して欲しいのョ」



 そう言うティセリアに正文は「勿論だ……!」と頷きながら、手元の擬態装置を見つめた。




 これで……シェーレを少しだけでも外に出してやれたら……。





 ****





 正文は意気揚々と、シェーレのいる客室に続く渡り廊下を闊歩する。


 丁度、客室の戸が開いて、正直まさなおと卦院が出て来るのが見えた。


 シェーレの診察が終わったのかと、正文は推測した。



「ドクター、アイツの具合は?」



 シェーレの状態を知りたいあまり質問が若干無遠慮になってしまった正文に、父正直まさなおと卦院の好奇の目が集中した。



「健康状態は極めて良好だ」



 卦院のその一言だけで正文は心底安堵し、同時に……一瞬我を忘れてまで安堵してしまった自分を……ほんの少しだけ恥ずかしく思った。



「記憶の喪失は表層の……一時的なものだろう」

「時間が経てば治ると?」

「幾つか質問してみたが、返答の端々に喪失以前のものと思しき所作が見て取れた。短期間で回復する可能性が高いが……まぁ」

「そこから先はアイツ次第と……?」



 卦院の返答を先取りした正文に、卦院本人は呆れた笑みで頷いた。



「まぁ……後は美味い物食わせて……何か楽しいことでもさせておけ」



 卦院がそう言うと、傍らでずっと微笑を浮かべたまま立っていた正直まさなおが、優しく正文の肩を叩いた。



「女の子を楽しませるって……正文キミの専売特許じゃないか」



 肩から伝わる父の手の感触……。


 先日の……冤罪の鉄拳制裁を思い出した正文は条件反射で強張らせながら、青空の彼方……もうもうと沸き上がる入道雲を見上げ、自嘲の笑みを浮かべた。



「……律は楽しくなかったみたいだけどな……」





 ****




「良かったじゃねえか。あの先生、口は悪いが腕は猪苗代最高だ。診て貰って損はねえよ」



 蝉時雨が聞こえる客室の中で……。


 時緒たちと接している時とは全然違う、静かな声色で話しかける正文にーー



「ええ。本当に良かった」



 縁側に腰掛けながら、シェーレは正文を見上げ、儚く微笑んで頷いた。


 シェーレの腕には、正文がティセリアから借り受けた擬態装置が嵌められ、陽光を受けて眩しい光沢を放っていた。



「何ごとも身体が資本だ。身体さえ健康なら……記憶なんざ自ずと戻ってくるだろうぜ」

「……そう……ね」




 何故か、シェーレは少しだけ、顔を曇らせた。


 正文はその長身を屈め、擬態装置に触れる。


 使い方は、シーヴァンやカウナたちが使っている所を見ていたから、理解わかる。



「……装着者を対象……地球人へ……」



 正文が唱えると、擬態装置が甲高い駆動音を発して……ほんの一瞬、シェーレのシルエットをぼやけさせる。


 瞬きの間の後、正文の目の前にはーー



「……本当に人魚姫リトル・マーメイドだな……」



 血色と肉付きの良い、健康的な二本足を生やした……地球人へと擬態したシェーレの姿があった。



「これ……マサフミたちと同じ……足……!」



 シェーレは己の二本足を、目を見開いて、興奮気味に見つめ……。



「マサフミ……!見て……!これで私も歩ける……!」



 まるで、真新しい靴を買った少女のようだ。


 シェーレは足裏の全感覚を確かめながら、ゆっくりと、早く立ち上がりたい気持ちを抑えて、足に力を入れて……立って……



「あ……あぁっ……!?」



 しかし、シェーレの足は大きく震えて縺れ、彼女の身体そのものを転倒させる。


 笑顔から一転、失望の表情で、シェーレは正文に手を伸ばしーー



「シェーレッ!?」



 シェーレの肢体を、正文は慌てて引き寄せ、思わず……抱き締めた。



「……………………」



 シェーレを抱き締めたまま、正文は硬直してしまった。


 何を……やっているのか……?


 分からない……この、気持ちは……?


 この激しい昂りは……自分の鼓動モノか……シェーレの鼓動モノか……?


 シェーレは抗いもせず、正文の胸に全てを委ねたまま……。



「……………………」



 ふいに、蝉時雨は止み……。


 代わりに、遠雷の重低音が、二人を包み込んだ。





 続く

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