第10話

この法律の怖いところを、ひとつ忘れていた。



それを思い出したのは担任の男性教師が教室に入ってきた時だった。



教卓の前に立つ先生はいつもより険しい表情をしていて、挨拶をしているときにもニコリともしなかった。



その雰囲気に圧倒されてクラスは静まりかえっている。



「今日は月曜日だ」



先生がいつもよりも深刻な声色で言い、その声は教室に大きく響くように聞こえた。



「また、商品が変更された」



先生の言葉にまた背中に汗が流れ始めた。



そうだった。



毎週月曜日になると、誰が商品に選ばれたのか各教室で発表されるのだ。



これはすべての学校で義務付けされていることだった。



学校だけじゃない、会社やニュースでも名前が読み上げられているはずだ。



しかし、毎回聞いても知らない名前ばかりだから、特に気にも留めていなかった。



そして先生は全国500人の子供たちの名前を挙げ始めた。



淡々と、抑揚のない声で。



ほとんどの生徒がこの話を聞いてなんかいない。



知らない子の名前だし、500人分なんて覚えていられないし、なにより自分には関係ないからだ。



でも、今は違う。



じきに自分の名前を呼ばれると思ったら呼吸も苦しくなる思いだ。



チラリと目だけで聡介を見てみると、聡介もあたしと同じでジッとうつむき机を睨みつけている。



そしてついに……。



「次に、北上恵美と河南聡介だ」



よりによって最後にまとめて呼ばれるなんて……!



一瞬にして教室がざわめいた。



あたしは顔を上げることができなくて膝の上に作った拳を見つめる。



手の平にはジットリと汗が滲んでいて気持ちが悪い。



「嘘でしょあの2人が?」



「なんで? あの2人って付き合ってるんだよね?」



「ランダムじゃなかったのかよ」



教室のあちこちで声が聞こえてくるけれど、そのどれもに返事はできなかった。



「みんな静かに! こんな偶然があるんだな。先生も驚いたよ。だけどこれはただの偶然だ」



ただの偶然……。



そう。



あたしも聡介も偶然選ばれただけ。



偶然選ばれたから、人権を剥奪されただけ……。



やり場のない気持ちに下唇をかみ締める。



「とにかく、この2人は普段と同じように授業を受ける。だからみんなも、授業中は手出ししないようにな」



『授業中は』という言葉に体が震えた。



じゃあそれ以外の時間はどうなの?



人権を失っているから、なにをしてもいいってこと?



あたしたちが日常を過ごせる時間は、授業中だけってこと?



質問したいことは沢山あった。



だけど聞けない。



そんなことを聞けば休憩中はなにをしてもいいのだと思われてしまう。



だから黙っているしかない。



そしてホームルームは終わった。



いつもならすぐに近づいてくるエリカが近づいてこない。



聡介のまわりにも友人たちは誰も近づいていない。



けれど話声だけは確かに聞こえてきている。



「人権を剥奪されたってことだよね?」



「殺してもいいってこと?」



「そうだけど。まさかそんなことしないでしょ」



「しないけど。人を殺しても罪にならないってすごいよね」



みんなが興味を持っているのが痛いほどに伝わってくる。



エリカへ視線を向けてみると、一瞬視線がぶつかった。



エリカは何か言いたそうに口を開いたけれど、結局何も言わないまま閉じて、視線をそらしてしまった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る