163 悲しみの時 前半
皆がそれぞれの地に向かってから、数時間が経った。
船は北西大陸に向けて海を走り続け、船の外はもう暗い。
(他のみんなは、もう目的地に着いているだろうか。もう魔族との戦いは始まったのか……?)
アルはパティの傍から離れ、甲板に出ていた。
ロゼスとイーシェアは、早めに各船室で体を休め、戦いの時に備えている。
特にイーシェアは早く体を回復する必要があるので、早めに休んでいた。
パティは目を覚まして立ち上がり、部屋の外へと出た。すぐにアルに会おうとは思わず、少しぼんやりとした頭を覚まそうとして、船の窓から海をじっと眺める。
月の光が海にぼんやりと映し出され、美しい。
パティは色々なことを思い出していた。
アルに出会う前にロゼスと旅をしたこと、その後、アルに会ってからのこと――。
アルと過ごした時は、パティにとってかけがえのない日々であり、愛しく、幸福な時間だった。
暫くそうして外を眺め、時間が経った頃、パティは月の光に導かれるように甲板へと出た。
月が白く輝いていた。
甲板では、ぼうっとした淡い月の光の中、アルは遠い異国の地にいるであろう仲間を思い、その身を案じていた。
「アル――」
パティはアルの背中に呼びかけた。
その声は、また拒否されたら――、という不安のために、少し震えていた。
声を聞くだけで、アルはパティを傷付け、悲しませていることを申し訳なく思い、心が締め付けられたが、顔には出さなかった。
「パティ、体調は大丈夫か?」
「は、はい。もう大丈夫です」
「それは、良かった」
「アル、みなさんは、どこへ行ったのでしょうか?」
「みんなは、二つの魔素の濃い場所に向かったよ。もう、高位魔族との戦いが始まるかも知れない」
「そうですか――」
パティは両手を重ねてぎゅっと握り、彼らの無事を祈った。大切な仲間たちのために何もできない自分が情けなく、心苦しかった。
「パティ、話があるんだ」
パティは顔を上げて、アルを見た。
アルは、この子をまた傷付けてしまう、という重荷と覚悟を背負い、パティの不思議な色合いの美しい瞳を見つめた。
「アル、あの、わたしから言わせてください。わたしも、アルにお伝えしたいことがあります」
アルがこれからいうことが分かっているのか、パティはアルの言葉を遮り、アルの傍に更に寄ってきて、その手を取った。
「アル……、わたし、あなたが好きです」
薄く月光の降り注ぐ船の甲板で、パティは出会った頃と変わらない、真っすぐで純粋な瞳をしていた。
その美しい眼にアルを映し、少し怖がってはいたが、躊躇うことなく、そう告げた。
「パティ……」
アルの目は、突然のパティの告白に、戸惑いに揺れた。
「ずっと、アルが好きでした。きっとあなたに出会った時から……。ですから、傍に、いさせてください。これから先もずっと。アル、お願いです」
アルは、震えるパティの手を振り解き、彼女から数歩下がった。その途端、パティは泣き出しそうな顔になった。
――パティ、ごめん……。
もうこれっきりだ。
もう君の前に現れることなどない。だから、これ以上、君を悲しませ、傷つけることなどないから――。
「この間、言っただろう。僕は君のことなど何とも思っていない」
アルは心とは裏腹の、感情のない、冷たい声で言った。
パティの顔が凍り付く。
「パティ、僕たちの旅はもう終わったんだ。君は天世界へ帰るんだ。それが一番いい。パティも、地上が危険なところだと分かっているね。……ここは、君の住む世界じゃない」
「例え危険だとしても!……わたし、アルとずっと一緒にいたいのです……。アルの傍にいられるように、努力します。悪いところも直します! だから、傍に、いさせてください」
パティの頬に、涙の雫が伝い降りた。
「無理だ。君と一緒にはいられない。僕は、三年後には王となる資格を得て、そして遠くない未来、メイクール国の発展のために、王族の姫か貴族の令嬢と結婚をする。君が傍にいては、僕の願いは叶わない」
本当は、アルは結婚を決意してはいなかったが、敢えてそう言った。
アルが言ったことで、パティは黙り込む。
彼女の瞳にはいつの間にか涙が溜まり、パティは俯いた。
「――君が傍にいることは、迷惑だと言っている」
既に大きなショックを受けているパティに、アルは更に辛辣な言葉を浴びせた。
もうアルに何を言っても駄目なのだと知り、パティは涙が溜まった目元を擦った。
「……分かりました。わたし、天世界に戻ります」
パティは初めて感情を殺し、アルの目を見ずに言った。
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