150 メイクール国の巫女
イーシェアは物静かでたおやかな女性であるが、その水色の瞳には決意が見え、少しの揺らぎも感じ取れなかった。
「イーシェア……、しかし、其方がウォーレッド国に参れば、メイクール国はどうなるのだ」
マディウスは突如客間に現れた巫女に、何とか思い止まってもらいたかった。
「マディウス王、確かに私の役目はこのメイクール国を護ることですが、それ以上に、私はアルタイア王子の命を護ることを優先したいのです。それは、私と、あの獣との約束なのです」
「約束――?」
「ええ、私をマディウス王に預けた獣は、もし、この国とアルタイア王子の命を天秤にかける日が来たらば、王子の命を優先させて欲しいと、獣は言いました」
「しかし、その時、イーシェア様はまだ赤子だった筈……」
カイルは二十年前の出来事を思い出していた。
白く輝く体と黄金色の翼を持つ獣が、戦争の最中、城の中に入り、まだ赤子のイーシェアを王へと託したのだ。
その時、獣はこう言っていた。
――この子は神の力を授かって生まれた、聖なる力を宿している巫女だ。神に愛され、同時に目を付けられている娘。
そして獣は行方を眩ます前に、言った。
――この娘がいなければ、メイクール国は滅びの運命を辿るであろう。しかし忘れてはならぬ。この後に生まれる、お前の子、その子を生かすために、この娘を授けるということを。
「ええ、そうです。私は、マディウス王に授けられた時、生まれて間もない赤子でした。ですが私には、獣と約束をした記憶があります」
イーシェアはゆっくりと言葉を紡いだ。
赤子だったので会話ではないが、イーシェアの頭に獣の思考が入り込んできた。
その思考は、獣がイーシェアに、都合の良いように己の考えを告げただけなのかも知れない。いや、悪いように考えれば、イーシェアを操ったとも取れる。
その獣は神ではない。
それでもイーシェアは、その獣が、多大な力を持ち、その力は神にも等しく、その心とて偉大であり、敬うべきものであることが分かっていた。
イーシェアは決意した。
アルタイア王子の命を何よりも優先させるという、獣の願いを聞き入れたのだ。その理由も聞かされずに。
イーシェアは、水の女神アクアの力を半分持って生まれたものだった。人から生まれた存在ではない。
アクアが、他の神々には秘密にして、己の力を半分分け与え、生み出した子だった。
アクアは、二十年前、神々には何も告げずにイーシェアを生み出し、こっそりと地上へと降ろした。
イーシェアに石を埋め込み、彼女が力を発揮する地、メイクール国の、そこに住む、子供のない夫婦の元へと授けようとしていた。
しかしそれを阻止したものがいた。
それが神ほどの力を持つ獣だった。
子供のいない夫婦の元へ届けられたイーシェアを、その黄金色の翼を持つ獣は、人の目に映らない光のような速さで素早くイーシェアを奪い、赤子の彼女をマディウスへと託した。
イーシェアは己が人ではないと知っていた。
(なぜ私は、これほどまでにその獣に惹かれているの?)
イーシェアにもその理由は分からない。
疑問に思っても、その謎を彼女は解明しようとは思わなかった。
(理由など、どうでもいい)
イーシェアにとって黄金色の翼の獣は、その存在を信じ崇拝するものであり、それはイーシェアに、自身の力を与えた水の女神アクアよりも、ずっと鮮明で確かな、身を捧げるものであった。
イーシェアはゆっくりと、魔のものである、ミザリーの元へと歩み寄った。
「さあ、私を連れて行きなさい」
「イーシェア様、あなたは本物の巫女ですね。メイクール国のために生きる、健気なお方……。では一緒に参りましょう、ウォーレッド国へ。これで私も、大人しく退散することができます。誰の命も奪うことにならずに済んで、本当に良かったです」
ミザリーはベールの下にうっすらと笑みを浮かべていた。しかしながらその赤い瞳は、人の血を欲しがっているようにも見え、その不気味な眼の輝きに、イーシェアも他の面々も、寒気がした。
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