82 故郷

「ダン!」

「パティ、どうして――」

 クルミはダンの名を呼び、アルはパティの名を呼んだ。


 ダンは鎖鎌を背負い、パティはその手にメイクール王家の武器、十字剣を抱えている。

「アル、約束を破ってすみません。ですけど、わたしどうしても心配で、ダンに頼んでついて来たのです」

 パティはぎゅっと十字剣を握り、申し訳なさそうに言った。


 ダンは城へ入って状況の悪さをすぐに把握していた。魔物がうろつき、倒れた者が数多くいた。

 パティたちが泊まる予定だった客間の近くを通りがかると、パティはアルの武器を持っていくと言い出した。魔族との戦いになると予想していたダンは、それを了承した。

 パティは魔の巣窟のようなこの城内で徐々に魔の気配に慣れ、最も大きく邪悪な気配を放つ魔族シスの居所を察知していた。

 その目的地――、玉座の間へ近づくにつれ、段々魔物が多くなっていったので、二人の子分はダンたちを先に行かせた。

 彼らはトラヴィス海賊団の中でも腕が立ち、頼りになる。簡単にやられはしない。 


「酒場にいた男ね。素晴らしいコントロールね。驚いたわ、ただの人間のくせに」

 ダンたちを見て次に口火を切ったのはメイリンだった。


 メイリンが落とした短剣を拾ったことで、ダンはすぐにダッシュでアイビーたちの前に立ち、メイリンと対峙した。近くに倒れるクルミを見て、

「クルミ、大丈夫か?」

 と声をかけると彼女は頷いた。

「なんとかね。ダン、来てくれたんだ。でも状況は最悪だよ。あたしはもう片足が動かないし、王妃たちを逃がす隙もない」

「逃がす機会は何とか作る。だが勝てるかはわからねえな。あんな化物、俺も初めて見る」

 ダンは魔族を眺めて言った。


「女子供を殺そうとするとはとんでもねえな」

 視線を魔族から踊り子姿の女に向け、目の前に立ち、じろりと睨んでいるメイリンにダンは言った。


「お前、やっぱりどこかで――」

 ダンはメイリンの顔をまじまじと見た。

「そうか、お前、ファントン国の王女か」

 

 ダンの脳裏に不意に記憶が蘇った。

 南西大陸に位置する、今はウォーレッド第二帝国となった国、ファントン国。

 そこはダンが幼い頃に過ごした国であり故郷だった。

 ファントン国の王女は奴隷となり、雇い主を殺した後行方不明になり、死んだと噂されていた。髪や眼の色は違うが、昔見たその王族の少女に目の前の女が瓜二つだということにダンは気付いた。


「メイリン王女だな。生きていたのか。感じが変わったな」

「お前なんか知らないわ」

「そりゃそうだろ。俺は一市民で、お前は王族。ガキの頃に故郷で何度か見かけただけだからな」


「ファントンの出身者か。国を護れなかった元王族に恨み言でもあるのか?」

 元王族と言われたことでメイリンは王女であった頃を思い出し、口調が王族の頃に戻っていた。


「そうじゃない。よせよ、馬鹿な真似は。俺が言いたいのはそれだけだ」

 ダンはメイリンを憐れんで言った。

「そこをどけ。グリーンビュー国の王族を殺した後はアルタイアを殺す。お前などに構っている暇はない」

 メイリンの眼は血走っていた。ダンの落ち着いた様子が彼女を苛立たせ、怒らせていた。 


「アルタイア王子を? 恨みか。くだらねえな」

 ダンはため息交じりに言った。

「お前のような輩に何が解る? 私は……復讐のためだけに生きてきた。私の家族を死に追いやった者の一族は殺してやる!」

 メイリンは短剣を前に突き出しアルを睨み、シスは腕を組んで面白そうに事の成り行きを眺めていた。


「家族を殺されたからそいつの家族を殺すのか? もともと親なしの俺にとっちゃ、くだらねえさ」

 蔑むでも怒るでもなく、ダンは淡々と言った。


「俺は故郷にいた頃、その日食べるためのパンを探して朝から晩まで走り回っていた。飯を食うことだけを目的に生きてきた奴には、復讐なんて考える間もねえんだ。お前みたいに生きる以外に目を向けることができた奴は、余裕があるんだよ」

 ダンは遠い目をしていた。

 彼は故郷の地を思い出していた。


 ファントン国は自然豊かな地で、昔ながらの秩序を保ち、主に畑仕事や原石の採掘で市民は生活を成り立たせていた。

 ダンは物心ついた頃には孤児院で育ち、同じような子供に囲まれ、腹を空かせることもあったがそれなりに幸福に暮らしていた。だがその平穏な日々は突如破られた。


 八年前、ダンが十三歳の時、大国ウォーレッドに目を付けられ、ファントン国は偽りで固められた理由により標的にされたのだ。

『ファントン国はウォーレッドを乗っ取ろうとしている』

 そんな途方もない噂を流され、しかし噂の出所がファントンの城内部だったため、言い逃れが出来ず、ファントン国はウォーレッド国に戦争を宣言された。   

 ――そして地獄のような戦が始まった。


 戦争で派遣されたウォーレッドの傭兵はダンのいた施設にも火を放ち、世話をしていた修道女だけではなく、逃げ遅れた子供たちも炎に巻かれ、その多くが帰らぬ人となった。

 孤児院が焼かれた後、ダンは逃げた子供たちと身を寄せ合い助け合って暮らしていたが、それは悲惨な生活だった。

 戦争の最中であるため働き口がないだけではなく、食べ物もほとんど出回っていなかった。そんな中で、ダンは先頭を切って仲間のために何とか少ない食料を盗み、分け与えていたが、それも空しく、ほとんどの子供たちは栄養失調や病院に行けずに病で死んだ。


 顔見知りや近所に住んでいる者も、次の日にはもう死んでいた。戦争とはそれが日常だった。

 生きる意味を考える間もなく、恨みを抱く余裕も気力もなかった。がむしゃらにただその日を生き延び、子供だったダンのナイフの腕はウォーレッドの兵士をも凌ぐものになっていた。


 後に知ったことだが、ファントン国内部でウォーレッド国と戦争を起こすと言いふらしていたのは、金に執着している、城へ出入りしていたある占い師が流したデマだった。

 その者はウォーレッドの中枢部の者と通じていたらしい。全てが明るみになったのはその男が処刑された後で、ウォーレッド国は決してそのことを認めなかったが。


 ダンにとって故郷は、血生臭い戦乱と悲しく暗い思い出の地だ。だが自分を救ってもくれたところだ。  

 悪運尽き、ウォーレッドの兵士に殺されそうになったところを、海賊に救われた。

 ダンの度胸と腕を気に入った海賊の長、トラヴィスは彼を拾い、ダンは仲間も一緒だということを条件に海賊となった。


 パティもクルミも、ダンが語った初めて聞く壮絶な過去に胸が痛んだ。

 しかしそれはもう過去のことだと、ダンは肩を竦めた。



「話は終わったか?」

 魔族は話を聞くことに飽き、大剣を引き抜きアイビーたちの前にいるダンに近づいた。

「埒が明かないな。やはり王族は俺が殺す。この剣もまた血を吸いたがっている」

 シスは剣を一振りした。

「メイリン、もう良い。好きにやれ。だが俺の邪魔はするなよ」

 メイリンははい、と言った。


(来る――)


 ダンはシスから殺気を感じた。 

「魔族は俺が引き受ける! 残りはお前らで何とかしろ!」

 ダンはアルとネオに向かって叫び、背中の鎖鎌を構えた。

「俺を引き受けるだと? 俺は三大魔族の王、ビクスバイト様直属の部下だ! 人間如きが相手になるか!」

 シスは殺気を振り撒き、周囲の空気をびりびりと震わせ、風を切り、ダンに向かい走ってくる。


(よし、俺を標的にした)


 ダンは迫りくるシスを鋭く睨んだ。

 それは獲物を射るハンターのような、冷静で隙のない眼だった。


「王妃様、セトラ、戦いが始まったらオリオン王子を連れて逃げてください!」

「アル」

「いいですね」

 戸惑うセトラたちにアルは有無を言わさぬ口調で言い、すぐに視線を前方に戻した。


 パティはアルに何とかこの十字剣を渡そうと考えたが、一刻も早くアルの手元に届けるには、走るよりも投げた方が早いのでは、と思い至った。

「アル、受け取ってください!」

「駄目だ、パティ!」

 アルはパティがしようとしたことを察知し、叫び返したが、時既に遅し、パティは十字剣を前方へ投げた。


 パティの力ではあまり飛ぶように思えなかったが、十字剣は軽い力でも早く飛ぶ。ぎゅるる、と音を立てて、その武器は鋭く前に前に飛んでいく。

 アルは十字剣を熟知している。

 パティが投げた手首の角度や力加減でそれがどこへどうやって飛ぶのか解った。

 十字剣は壁伝いに不規則に飛び、倒れているクルミに向かっていく。

「危ない!」

 ネオが叫んだが、アルは十字剣はクルミの元へは行かないと知っていた。


 アルが腕を真上に伸ばそうとした時、メイリンが飛び出した。

「させるか!」

 メイリンは短剣を振り降ろすが、アルは剣で受け止めた。その隙に十字剣はセトラの方へ飛んでいく。

「セトラ、屈むんだ!」

 アルがメイリンの攻撃を受けつつ、セトラに叫んだ。

 セトラはアルの声に反応し、咄嗟に屈んだ。

 十字剣は壁にぶつかり、ガガガッ、と壁を抉って削り取り、跳ね返ってきた。アルはメイリンの剣を受け流して彼女の体制を崩し、その間に十字剣を掴み取った。


 ダンは迫り来るシスを迎え撃つべく、鎌の柄を持ち、鎖をひゅんひゅんと宙で回した。

 シスが大剣をダンに向かって振り下ろした時、ダンは鎖を投げ、剣を絡め取る。


「今だ、逃げろ!」

 ダンが叫ぶと、アイビーたちは出口の扉に駆け出し、ネオもクルミを被害のない場所に避難すべく、彼女の肩を支えた。

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