フクス・ズィルバーの数奇な事件簿

ベルゼリウス

イルシオンシティ 劇場『カーテンコール』前 19:07 ①

そこは静かな場所だった。

 聞こえるのは冷たい雨の音。

 目の前に広がるのは、派手なネオンの明かりだけが唯一の大きな通り。

 車や人通りが無く、ただ雨がアスファルトに叩きつけられている。

 そんな中、ある一人の男が傘をささないまま、ある場所を目指していた。

 男の服装は黒スーツに黒のスラックス。

 政府のお偉いさんと言わんばかりの服装に黒のサングラスに金髪。

 肌から察するに白人のようだ。 そんな男が無人の通りを歩いている。

 

「ここか……」


 男が呟き、顔を上げる。

 そこには存在をアピールするかのように、明々と看板が光っていた。

 『ガーテンコール』と書かれた電子看板は虚しく点滅している。

 ここは小さな劇場で、どうやらこの男はここに用があるらしい。

 入り口には『部外者以外立ち入り禁止』と書かれた張り紙と、屈強そうな黒スーツを着た男が二人立っている。

 それにひるまず、男は中に入ろうとする。


「失礼。 ここは部外者立ち入り禁止です」

「おっと、忘れていた。 僕はこういうものなんだが……」


 男は懐から手帳を取り出す。

 そこには、男の顔写真と『国家認定特別監視官 フクス・ズィルバー』と書かれている名刺があった。


「失礼。 ここは部外者立ち入り禁止です」


 機械のように、先ほどと同じ言葉を繰り返す門番たち。

 どうやら、物で身分を証明してもだめらしい。

 ズィルバーと名乗った男はそれを聞いて、短いため息を吐いた。


「なあ、今この辺には誰も『部外者』はいないよね?」

「ええ、その通りです。 ここらでは人払いの結界を張っております」

「ならば……」


 ズィルバーはサングラスを取り、目を閉じて、意識を集中する。

 すると、ズィルバーに変化が起こった。

 まず変わったのは、口。

 先が伸び、犬のようなマズルが形成される。

 次第に顔周りに銀色の毛が伸び、横にあった耳も頭頂部へと移動していく。

 標準的な体格だった体が少し大きくなり、手も人間特有の毛のない手から、毛で黒く染まり、爪も鋭くなる。

 最後におまけと言わんばかりに、尻の方から銀色の尻尾が生えると、ズィルバーは息苦しそうにネクタイを緩めた。

 そこに立っていたのは銀狐の獣人だった。

 本来の姿に戻ったズィルバーは近くにあった鏡で、変化で崩れた服装を整える。


「これでどうかな?」

「お待ちしておりました、ズィルバー捜査官」


 突っぱねていた門番たちも、反応が柔らかくなる。

 確かにこの方法が人間たちだと完全にシャットダウンできるし、なにより安全だ。

 しかし、これをいちいちやっていては手間がかかるのでは?

 そうズィルバーの脳内に浮かんだが、外に吐き出すのは止めることにした。


「隊長が中でお待ちしてます、どうぞこちらへ」


 そういって、門番たちはドアを開ける。

 だが、開けた瞬間、異様な臭いに身をたじろいだ。


「うっ……」


 ズィルバーの鼻に刺激を与えたのは濃厚な血の匂い。

 犬科でもある狐は鼻がいい。 だが、ここまで臭ってしまうと人間でもすぐにわかるだろう。


「まあ、あいつが出張っているなら予想できるな……」


 幸い、ここの劇場はホールが一つしかないらしい。

 そこが現場のようでこの臭いもそこから来ているようだ。

 進んでズィルバーは先に進みたくはなかった。

 というのも、おそらくこの先にいる悪友は血の気が多く、あまり関わり合いたくない人物でもある。

 だからこそ、この先の惨状が見なくとも手に取るように理解できた。

 少し歩くとホールに続くドアが見えてきた。

 ご丁寧に大量の血もそこから続いている。

 嫌々ながらも、ドアに近づきドアノブに手を掛ける。

 そして、決心してドアを開けた。


「.......うっ」


 外よりもむせ返るほどの濃厚な血の匂い。

 まるで大気中の血をずっと喉に押し込まれているかのよう。

 顔を腕で覆いながら少し歩き、ふと観客席の方へ視線を向ける。

 そこには確かに観客がいた。

 だが、彼らはズィルバーたちのような人外を見ても何も驚きはせず、ただ何も言わない。

 当然だ。 彼らは何も見えなければ、何も言えない。 それに必要な器官がきれいに無くなっていた。

 きっと、切断された直後はさぞかし赤い血をまき散らす噴水のようになっていただろう。

 いまはさすがに血が止まっているようだった。

 たまらず、ズィルバーは視線を逸らす。

 すると、正面には役者たちが役を演じるためのステージが見えた。 血まみれで、朱に染まっている。

 そして、ステージ上に獣人が何かを並べている。

 何をならべているかは……あまり凝視したくない。

 そこで指揮しているのが、ウィルを呼び出した張本人、マルダーだ。 罵声交じりの声がホールに響いている。

 そのまま、ウィルはマルダーに近づこうとステージに向かう。 

 


「マルダー!!」


 ズィルバーはたまらず叫ぶ。

 すると、マルダーと呼ばれた獣人がこちらに振り向いた。


「おお、ギンちゃ~ん!! やっときたんか!!」


 迷彩服を着た獣人が顔を歪ませ、まるで子供がはしゃぐように駆け寄ってくる。

 最初に出会ったころから、ズィルバーはギン、と呼ばれていた。

 だが、その呼び方が気に食わないのか、もしくはこの凄惨な光景を見て気分を害したのか――おそらく後者だろう――ズィルバーは肝を舐めたかのように苦い表情をしていた。


「これ、おまえらがやったのか」

「そや。 こうしたほうが手っ取り早いしのう」


 ガハハハッ、と豪快な笑いが劇場内に響く。 彼は狸の獣人だった。

 マルダ―はズィルバーの旧友で、時折連絡を交わしていた仲でもある。


「それで? 僕を呼び出した要件は? まさか、こんな惨劇の跡で昔話、というわけでもあるまい?」

「おお、そやったそやった。 俺ら『シャルフリヒター』がなんでも屋のギンちゃんをよんだんはちょっとしたトラブルが発生したんでな、それの助言をもらいにや」


 マルダ―はそう言いながら手招きをしてステージ下の舞台裏に行こうとする。

 どうやらついてこい、ということらしい。

 そんな中、なんでも屋、という単語にズィルバーはムッとした。

 が、否定はできないと諦めたのか、深いため息を吐いてマルダーについていくことにした。


「……しかし、これは一体なんだ? なにがあった?」

「ギンちゃん、ワシらの仕事を知っているやろ? ワシらの仕事は獣人を人間から、もしくは人間を獣人から守ることや。 実はな、ここは獣人を人身売買するオークションが行われていたんや。 もちろん、そんなの禁止されている。 やから、事前にオークションに乗っ取り、餌に引っ掛かった馬鹿どもを粛正しただけやで」

「だからと言って、あれは……」

「あのな、ギンちゃん。 ああゆう大して苦労もしん金持ちのやつらはな、金でなんでも買えると思ってる。 だから、何言っても中身は腐っとる。 何度忠告したところで同じや。 昔からそうゆうもんやろ?」


 反論出来なかった。

 それにマルダ―はズィルバーより、裏の社会のことを知り尽くしている。

 きっと、裏でもいろんなものを見てきたはずだ。 だからこそ、こういった輩は許せないのだろう。


「それにな、ギンちゃん、この稼業はなんでも許される。 犯罪者がなくなればそれでもええ、というのが上からの命令や」

「じゃあ、あれはどう説明がつく?」


 ズィルバーはステージ上に並べられた『元』観客たちに指さす。


「ああ、あれか。 あれはちゃんと獲物を仕留めたかをチェックするためや。 それと後で俺らが変化しやすいよう骸に変えるためや」

「なんだって?」


 聞き直すと、マルダ―は嗤った。


「そりゃ、あいつらの金をすべて搾り取るためよ。 ほれ、俺らは変化するのが得意じゃろ? やから、こいつらに化けて有り金全部俺らのもんにして、社会貢献に役立てるちゅうわけ」


 確かに昔から狸狐の部類の獣人は、殺した人間の頭蓋骨を加工してそれを利用し、人間に化けるという幻術がある。

 こうすることで、確実に殺した相手の姿になれるし、変化が下手な者でも簡単に術が解けることはない。

 しかし、相手の命を奪う術であるため、獣人の中でも禁術とされてきた。

 ……そこまでやるのか、こいつらは。 

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