第十一話① あくまでこれは、書類不備です


 あの世界から帰ってきた私は、中央役所の窓口で呼ばれるのを、一人で待っていました。ジェイクさんは先に私の事務所兼自宅に向かい、ミヨさんは念のために洗浄をお願いしております。死ねないとはいえ、身体に不調があったら大変ですからね。


 そして、私には手続きが残っています。ミヨさんを連れて帰ったは良いのですが、リッチさんが提出したミヨさんに関する書類が、中央役所での決裁を終えている可能性があります。その場合、戸籍等での彼女の身分がややこしいことになってしまうので、何とかしておきたいんですが……。

 少しして、「こちらへどうぞですねー」と呼ばれましたので、私はねーねーさんが待つ窓口へと向かいました。


「お帰りなさいですねー。ちゃんと二人で帰ってきてくださって、嬉しいですねー」

「どうもです。それでその、リッチの提出した書類についてなのですが……」

「ああ、あの件ですねー。あれですねー、大丈夫ですねー。何故なら、まだ決裁が終わってませんからねー」

「……はい?」


 ねーねーさんがあっけらかんとそう言いました。まだ決裁が終わっていない、そんな馬鹿な。申請はとうの昔に出ていたはずです。最初にミヨさんが勝手に職業登録した時なんか、すぐに終わっていたじゃないですか。だからこそ、撤回する必要があると思っていたのですが。


「実は書類に不備がありましてねー、まだ回せてなかったんですよねー、見てください、この署名のとこですねー。ミヨちゃんの正式登録名は“被検体No.34”なのに、“被検体No.84”って書いてありますねー。これではミヨちゃんのことかどうかが解らないのですねー」

「……ん?」


 そう言いながら書類を見せてくれるねーねーさん。そこには確かに、“被検体No.84”と記載がありました。

 しかしそれを見た私には、一つの違和感が芽生えました。この“84”、まるで“34”に書き足したような感じが……。


「……あの、この記載についてですが……」


 そこまで言った時に、腰を上げたねーねーさんが私の唇に右の人差し指を置きました。指のひらが当たる感覚に、思わず言葉を引っ込めてしまいます。


「……私はですねー、静かな男性が好きなんですよねー。余計なことは言わずに、解ってるぞ、と背中で語ってくれるような……ランバージャックさんなら、私好みの男性であってくれますよねー?」


 ねーねーさんがニコっと微笑みます。それはまるで、みんなには内緒ですねー、とおっしゃっているような、そんな微笑みでした。すっ、と人差し指をどけると、再び席に座り直します。


「それとですねー。最近ステーション内に美味しいスイーツを出してくれるお店ができたんですよねー。でも一人で行くのも寂しいですよねー。誰か一緒に行ってくれる人、ランバージャックさんなら心当たりありますよねー?」


 こちらをチラチラと見ながら、ねーねーさんが勿体ぶっています。


「……ええ」


 全く、この人には敵いませんね。


「いい人を知っています。たくさんご馳走してくれると思いますよ。あと、今日のお仕事の後は空いていませんか? スラおばさんがパーティをすると言って張り切っていまして。もしお暇でしたら是非……」

「流石ですねー。お誘いも、是非是非受けさせていただきますねー。何せ、今日は定時退庁日ですからねー。

 とりあえず、このままリッチさんと連絡がつかなければ、書類は未決裁のまま、撤回されることになりますねー。その際には、ミヨちゃんはまたランバージャックさんのところで面倒を見てもらうことになりますので、よろしくお願いしますねー」

「承知いたしました……コトネさん」


 私は呼びました、大きな胸についているネームプレートに書いてある、彼女の名前を。


「……私を本名で呼ぶなんて珍しいですねー。はい、何でしょうかねー?」

「……ありがとうございました」

「……いえいえですねー」


 公衆の面前ということもあり、軽くしか頭を下げられなかった私でしたが、コトネさん……いえ、やはりいつもの方がしっくりきますね……ねーねーさんは、ニッコリと笑ってくださいました。


「……申請を一つ上げたいのですが、必要書類はこちらで大丈夫ですか? あとは氏名の変更届と、もう一つ。新たにターミナルに人を招く時に必要な書類は……」

「はい、そうですねー。書類はこちらで大丈夫ですねー。あと、変更届はこちらですねー。そして新たに人をお招きする場合は……」


 そうしていくらかのやりとりをした後、私はドアの予約まで終えてから、中央役所を後にしました。「また仕事が終わった後で伺いますねー」と、ねーねーさんから言葉が飛んできます。

 この後、外せない用事が入っていますからね。私もやることは、手早く終わらせてしまいましょう。


 ミヨさんの様子を見に行ったら、もう少しかかるみたいですね。なら、もう一人で行きましょう。終わったら、待合室に来るようにと彼女に言付けると、私はステーションへとやって来ました。

 今から異世界に飛び、一つ、やることがあります。タブレットに表示された予約番号をもとに、私はドアをくぐりました。

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