生きた女神
ネパールの「クマリ」という存在をご存知の方も多いと思います。
女神の生まれ変わり、女神を宿す者、幼いうちに選ばれた少女が「クマリ」となり、人々の信仰の対象になります。今もネパールでは「クマリ」が存在します。
地域で選ばれる「ローカル・クマリ」と、首都カトマンドゥで王様より偉い存在の「ロイヤル・クマリ」がいるらしいですが、主に私の頭に浮かぶのはやはり「ロイヤル・クマリ」です。
だって、王様より偉い少女の神様なんて、なんだか鳥肌が立つような存在ですよ。
「いつかクマリのような生き神様のお話を」
そう思っていたのも、「黒のシャンタル」を題材として選んだ理由の一つです。
ネパールの「クマリ」は「銀細工師のカースト・サキヤ」から選ばれると、かなり昔、その存在を知った頃に聞いてこれもまたロマンチック、と感動したのですが、今調べてみたら「金細工師のカースト・サキヤ」とありました。私の覚え間違いなのかな? ですが、銀細工が好きな私の心に非常に刺さったのは「銀細工師のカースト」という部分だったので、気持ちの中では銀細工師でいこうと思います。
その「サキヤ」から選ばれたあらゆる条件を満たした少女が「クマリ」となり、初潮を迎えるまでその任に当たります。
さて、私が「クマリ」を神秘的と心を沸き立たせたさらに後年、たまたまですが、
「人に戻ったクマリ」
の番組をテレビで見ました。
「神が人に戻る」
これは、かなり重い出来事なのだ、とその時初めて知りました。
言われてみれば確かに、昨日まで神様と崇められていた少女が自分の家に戻り、今日からは人間として、家族の一員、学校に通う学生、そして自分の後継者の「女神」を崇めなければならないポジションに置かれるのですから、その心の中を推し量れる者は同じ立場であった「元クマリ」以外にはないでしょう。大概の人間には想像もつかない。
その番組で前任者の「元クマリ」は女子高生として生きていて、あまり細かいところまでは覚えていないのですが、ラストで「当代クマリ」を見て涙を流していました。その涙の意味を今も考えることがあります。
今は一女子高生として幸せな生活を送っていたらしいのですが、それでも自分がいた位置を見て、今そこに座る少女を見て涙を流す。悲しさ、悔しさ、もしかしたら自分と同じ気持ちをいつかは知る幼い少女への哀れみかも知れない。
そこまでを含めて「生きた女神様」というものを、いつかどんな形ででも書いてみたい、そう思ったから、今、私は「黒のシャンタル」を書いています。
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