第5話

 それからしばらくして、お腹も満たされお互いに喋りたいことは喋ったので解散をすることにした。

 その際、帰りに連絡先の交換を行う。

「えっ、なんで連絡先を交換するの?」

「だって一緒の職場になる可能性があるでしょ」

「いやいやないない。絶対にどちらか落ちているでしょ」

 当然、内心では藤白の方が落ちている。そう思っている。

 それでそのまま、さようならしても良かったが、藤代とは実家が近い。さらに彼女の家はお金持ちなので今後の就職活動をする上で何か役に立つかもしれない。そう思い連絡先を交換することにした。

 それから私は帰路につく。ベッドの上で大の字になって寝る。

 仮にエンペストに受かったとしても、働きたくはないな。

 これが正直な感想である。もし実家の蛇口を捻ってジャブジャブと札束が出るのであればこのような面接などすることなかっただろうし、働くということをしようとはしない。働くことに対してやりがいがあるだとか、自己成長のためとかいう人がいるけどその気持ちが微塵たりとも理解ができなかった。

 お金があれば働く必要などないのではないか。

 仮にエンペストに受かっていたとして、内定承諾をするのかどうかというのは怪しいところである。いやいや、仮にエンペストを蹴ったとして自分は一体どこに行く?

 ふとそのような疑問が思い浮かびあがる。

 そうだ。特にやりたいことがない私にとってそれは重大な問題だ。

 ここを蹴ったとして、自分は営業職をしたいというわけではない。志望している事務職だって別段特別に野望があってそこをしたいというわけではない。ただ、ただ楽そうだから。それだけの理由である。

 私は携帯を取り出す。

 そういえば就職支援のおっさんと連絡先を交換したのであった。そして何かあったらここに連絡をしろと言っていた。正直言えば連絡をするのは躊躇ってしまう。私だってまだ20代である。それがただ就職支援で働いているとしか分からない素性の知らない40代の男に電話するなんて……そんなの、蟻地獄に無警戒でハマってしまう蟻ではないか。そんな気がしてならない。

 とはいえ、崖の隅にまで追い込まれた私はもうこれしか手段がなく就職支援のおっさん……名前は多分内田と言った……に、電話をすることにした。

 内田はすぐに出た。まるで電話を待っていたかのようで少し不信感を覚える。

「どうした。こんな夜遅くに。確かにいつでも電話してもいいって言っていたけど私にもプライベートの時間というものがあって」

「うるさいな。どうせあなたは独身で仕事がプライベートみたいなものでしょ」

「……それだけ性格が悪いから君は人生が暗いんだよ」

「それが就職支援の人の台詞? こんなダメ人間でも助けるのがあなたたちの仕事でしょ」

「もっとも、今の俺は勤務時間外であるけどな」

 と、そこではぁと凄く大きなため息が聞こえた。受話器の向こうからテレビの音が大音量で聞こえて、それ以外の音が存在をしていないため本当に彼は結婚をしていないのだろう。同性の友達がいない可能性だってある。これだけ性格が悪いのだから。

「それでこんな時間に電話をしてどうした」

「いや、悩み事。エンペストに行こうかどうか?」

「おや、受かったのか?」

「いや、結果はまだ」

「アホか」

 電話越しに嘲笑をする声が聞こえる。

「いや、でもほぼほぼ受かっていると思う」

「自惚れるな。社会なんてそんな甘くねぇ。……まぁ一応聞いてやる。どうしてエンペストに行きたくない」

「よくよく考えたら自分のやりたいことじゃなかった」

 自分は文章を書くのが好きである。幼少期から様々な小説を読み、大学もそれ関連の学問に行き……そしてその中で輝いていたと思う。

 だから自分は、絶対に将来文章に囲まれた仕事をするんだ。それ以外の未来は考えられない。周囲が進路に困っている時も、学生時代それに困ることはない。もう学生の時から、もっと大袈裟に言えば生まれた時からしたいことは既に決まっていたのだから。

 それなのに、大学4回生に私は現実に落とされた。ビルの屋上から落とされたような痛み。いや、痛みだけではすまない。我の崩壊である。

 ごとごとく、出版社や書店。文字を扱う仕事の面接に落ちて私の行くべくはずの道が土砂で埋められてしまう。あれもダメ、これも通行止め。

 ようやく得た職種というのも別に文字に関係などないものであった。不満である。その不満は周囲に漏らさないように蓋をし、真面目に働いた。真面目に働いて首になった。クビになって今迷っている。迷っているからこうやって内田に電話をしている。

 成り行きで、エンペストを受けたがよくよく考えたらそこには私のやりたい文字の仕事などなかった。文字を書くことなどないだろう。自分が大学生まで培ってきた文字を書く能力を生かすことなどそこでできないだろう。出来たとして、顛末書を書くぐらい。そんなことでそのような能力を使っても無駄ではないか。そもそも顛末書を書くようなことをする前提ではないか。

 そのようなことで、帰宅してからエンペストでやりたいことというのは日本とブラジルほどかけ離れていることが分かった。中には馬鹿でかい宇宙の中ではこの二つは近い方だという人もいるかもしれない。まぁ、確かに同じ仕事というくぐりで考えれば近いかもしれない。

「それって単にあなたが仕事をしたくないだけではないか?」

「いや、ただこの仕事が自分に合っていないだけで」

「だから自惚れるなよ。大した実力のない奴が自分に合っている職場とかあるわけないだろ。自分でその仕事に合わせるしかないんだよ」

「自分に仕事を合わせる?」

「そうだよ。自分で書いた小説が箸にも棒にも引っかかることがなかったらそれはもう才能ないということだよ」

「なっ、なんでそれを」

 部屋の隅を見る。そこには私がかつて書いていた、いや、書こうと思っていた未完の小説たちの原稿が散らばっている。書こう、書こう。書いて小説家になろうと思っていたがどれも中途半端なところで飽きてしまって賞に投稿することすらもなかった。稚拙で子供っぽい文章がどうしても気にならなくてどうも、いつも途中で投げ捨ててしまうのだ。

「才能ないのに、延々と投稿し続ける。それは馬鹿がやることだ」

「別に馬鹿でもいい。やりたいことで生きていけるのならなんでもいいじゃないか」

「そうだ。だけどお前は生きていけていない。その趣味では生きていけないから諦めなければいけない。人様に迷惑をかけない馬鹿なら俺たちに何ら影響がないから問題ないけど、あなたみたいな馬鹿は違う。親や誰かに援助をしてもらい、どこかで上手くいかなくなったら恐らく誰かに八つ当たりをして傷つけて。麻薬と一緒。別に人様に迷惑をかけないのなら、傷つくのが自分だけだったら勝手にしてろという話だ。しかしそうじゃない。大麻をやることで周囲が傷つく。裏の世界にお金が渡ってしまう。だから禁止されている。大麻はダメなのである。馬鹿が一匹増えたところで、世界に影響ないなら別段問題はないけど少なからずの悪影響は与えるからな」

「私は、そんな悪影響を与えるバカじゃ……」

「まぁ、世界に少なからず何かしらの影響を与えているというのはプラス思考で考えることできるがな。とにかく、もしやりたい仕事ができなくて困っている。文章書きたい仕事につきたいと思っているのなら、その今書いている小説を破り捨てろ」

「そんなの」

「それじゃ、そのアパートで餓死をして白骨化した状態で発見されろ」

「それは嫌だ」

「好きな仕事をしたいのなら、それぐらいの覚悟がないとダメだ。漠然とした曖昧模糊な夢を描くぐらいならどうせその夢は叶わないから、そこら辺のトイレ掃除でもした方がマシだ」

「就職支援の仕事をしているならもっと甘い言葉をかけてもいいんじゃない?」

「就職支援の仕事をしているからこそだ。甘い蜜を吸おうとして蜘蛛の巣に引っかかるバカを何人も見たことがあるからこそ言っているんだよ。それにエンペストって凄くブラックだと思っているか?」

「まぁ、思っているね。とてつもないブラックと」

「それなら大丈夫だ。そこに行っても。何も期待していなければその期待よりも下回ることないから。失望する感情が既にないということだから」

 だからもし内定もらったらそこに就職をしろ。以上。

 それが内田の言葉だった。随分と人事のようにも思える。

 部屋の隅へ行く。そこにはたくさんの辞書が置いてある。よく見ると真っ白で使用した形跡などない。いつか、小説を書くときに使用するかもしれない。だからとっておこう。そう思って残していたものである。使うことはなかった。

 更にその横にはワープロで描かれた紙が分厚くタワーのようになっていた。もっともそれに文章的価値などは一円たりともない。

 駄文に駄文を重ね、風が吹いたらすぐ飛ばされて消えるし、小雨が降ったら紙としての性質が失われる、そんな紙のタワーが立っていた。

 それを手に取る。大学の時間。1人で、授業の合間に黙々切磋琢磨に書いた小説は果たして自分の人生に何の影響を与えたのだろうか。分からない。しかし、これを描き続けるとそれは足枷のように人生を引きずってしまう。それは分かる。だからどこかで断ち切らないといけない。

 その紙、数枚持ったまま外に出る。

 先日まで寒波が酷い冬であった。しかし今はどこからか、生暖かいような、気持ち悪い風が吹いている。

 その遠くには無数のビルが灯りを灯していた。高層マンションたちだ。それらは距離にして2キロほど。遠くはない。だけどそれは私からすれば月と地球である。近い、近いと言えど数万キロ離れている。でも肉眼ではっきりと見える。そこにたどり着くことはできない。

 あれは蜃気楼だ。蜃気楼など追いかけても、追いかけても届くはずなどない。それを私はどこか知っていた。だけど信じたくなかった。

 もうやめよう。自分を信じるのをやめよう。

 ビリビリと。手に持っていた小説の紙を2枚に破いた。

 私には文章を書く仕事の可能性はほとんどない。

 だから新しい可能性を見つけよう。

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