第372話 深い、絶望の中で①
バリー・オーグの生み出した光玉で周囲を照らし、戦場に向かう、約1万のヴァルツ混成軍。
近づくにつれ、風に乗った熱波と強烈な異臭が顔を撫で、視界の先には道を塞ぐように数多の死体が赤々と燃え盛っていた。
だが、足を止めるわけにはいかない。
自ら先陣を切っていた総司令ガルファは、腕で顔を覆いながらも豪快に叫ぶ。
「バリー! この火をなんとかしてくれ! このままでは満足に近寄れん!」
「問題ない」
『水の精霊、鎮めよ、
その瞬間、上空から大量の水が降り注ぎ、一部の白く輝く火種を残して一気に鎮火していく。
【精霊魔法】であるが故に、範囲も広大。
だからこそ、2本の炎柱を従え移動していた対象の動きが止まり、混成軍の方へ振り向いた。
「戦場で、笑っている……?」
この時ガルファは、初めて火の光に照らされた異世界人の顔を見たが、直後には黒く塗り潰されたように見えなくなる。
「く、来るぞッ! 散開! 各員まずは異世界人の動きを止めろ! ルエルはあの炎柱だ!」
「分かっていますわ」
『十重に、閉ざせ、何をも通さぬ、不断の、"
ルエルは前方から迫る炎柱に両手を差し向け、行く手を遮るように巨大で重厚な氷の壁を生成。
地上からは盾を持って前面に立つ騎士部隊が、凄まじい勢いで飛来する男に向かって【威圧】や【挑発】を唱えるが。
「「「ぐぉあああああああっ!?」」」
「ッ……!」
ガルファが見たのは、悲鳴と共に宙へ吹き飛ばされていく数十名の騎士達。
そして直後には、後方の部隊を抉るように、その数倍という数の人間の身体を細切れにしながら衝撃が突き進んでゆく。
「なっ、なんですのあれは! まったく止まりませんわよ!?」
一方、後を追っていた炎柱の阻害も、効果はまったく得られていない。
一瞬で蒸発したように消えていく氷壁を見て思わず叫んだのはバリー・オーグだ。
「私が試す! おまえは本体を止めろッ!」
そして、奪った『破天の杖』を強く握り、唱えた。
『土の精霊、隔てよ、
ゴゴゴゴゴゴゴゴゴッ………………
「お、おぉ……」
それはあまりにも広域であり、山と呼んでも差し支えないほどの断崖だった。
使用したのは土属性の【精霊魔法】。
これにより、異世界人と炎柱の間に見上げるほどの巨大な土壁が生成され、見事分断に成功する。
僅かに上がる歓声。
しかし、すぐに呻きや悲鳴が、連続して轟く雷鳴と共に辺りを覆う。
結界を張り直せとガルファが叫び散らす中、この時ルエル・フェンシルは、未だかつてないほどの屈辱を味わっていた。
自分は魔法剣士であり、魔道の専門ではない。
そのような言い分があったとしても、秀でていると自負していた【氷魔法】が煙のように溶け、横のハーフエルフは見事に炎柱の分断を成功させている。
誰も気にしてはいないだろう、こんな状況なのだから。
それでも、これは、明らかな劣り。
初めて自らの行動が、一切の結果も伴わなかった事実に怒りが込み上げ、剣を握る手にも力が入る。
しかしそんな思考は、"音"の異変によって中断された。
ドン――ッ!
重く、響く音。
直後に轟く雷鳴は消え、連続して光と闇の矢が降り注ぐ。
始点は上空。
そのような芸当ができるのは、少なくともここではユークリッドのみであり、極大の魔弾をロキにぶつけ、"天雷"を中断させたが故の結果だった。
異世界人はまだ上空――でも、高さは少し見上げる程度。
ならば、捕まえられる。
よろめき、滞空している今しかない。
「舐めんじゃないですわぁああああッッ!!」
気付けば大声で、ルエル・フェンシルは叫んでいた。
『埋もれ、閉ざされ、絶望の中で、永遠なる、封縛の時を、"
視線は一点に。
理外の存在を捕らえるために。
『未曾有の、大水』『絶零の、凍結』『局地の、暴風』 ――『解放』――
そして横でも、その動きを補助するように、バリー・オーグが3種の魔法を同時に発動する。
ピキピキピキピキッ――……!
「ルエル! やつは火を纏う! ひたすら唱え続けないと瞬く間に溶かされるぞ!!」
「魔力が尽きるまでやってやりますわよ!!」
並び立つ二人が夜空に舞うほどの濃密な魔力を放出し続ければ、急速に競り上がった氷塊は異世界人の足を掴み、瞬く間に降り注いだ水は氷へと変化し、局地的な吹雪の中で身体の過半を覆っていく。
となれば、当然この男も黙っていない。
「ここだぁあああああ!! ありったけを撃ち込めぇええええええええええええッッ!!」
「「「「「「うぉおおおおぁあああああああッ!!」」」」」
全域に響き渡るほどの、魂を込めたガルファの叫び。
これに対し、地鳴りのような呼応と共に、周囲を取り囲んだ者達からの一斉射撃が開始される。
各々が撃てる、最も得意で、最も威力の出る魔法を。
対象はただ一人なのだから、他と足並みを揃える必要もない。
そして撃ち込まれている魔法は、攻撃に類するモノだけではなかった。
「氷の捕縛が弱まった時のために【闇魔法】で足止めし続けます!」
「同じく、詠唱阻害もたぶん成功しているから、このまま撃ち続けるぞ!」
「【時魔法】も同じく! しかしどれほど速度を落とせているかは分かりません!」
「【呪術魔法】も同じです! 毒と麻痺を入れていますが結果は不明!」
後続からは【闇魔法】と【時魔法】による行動阻害と【呪術魔法】による状態異常が撃ち込まれて、上空からも鳥に【騎乗】したユークリッドが、矢に纏わせた【闇魔法】で、着弾を早めながら行動と詠唱の阻害を狙い続けていた。
飛来する魔法があまりにも多過ぎて、対象を完全に見失うほどの弾幕。
しかし手を止め生死を確認するなどという愚行を犯す者などおらず、ここでもし逃したら手が付けられなくなる――。
誰もがその思いだけで、全てを懸けるように撃ち込んでいく中。
「ロブザレフ! お前くらいしかこの状況では近寄れん! 魔法の勢いが衰えたと感じたら一気に首を刎ねろ!」
「ふん、分かっとるわい」
ガルファに投げやりな言葉を返しながらも、剣聖ロブザレフは腰を落とし、剣を構えながらジッと様子を窺っていた。
どれほど続くか分からない集中砲火の終わりを待つつもりはない。
そんな不確かなモノより、自らの剣で首を落とした方が確実と、愛剣『刻踏残刃』を一撫でし。
自分が踏み込める程度の"切れ目"を探りながら、獣のような瞳で全体を見通していたからこそ―――、僅かな異変に気付けたのかもしれない。
「弾いとるのか……?」
不思議な現象だった。
一瞬空気が波打つように歪んだかと思うと、魔法がまったく別の場所へ飛んでいく。
そんな異変に眉を顰めた時には、既に周囲の喚声は悲鳴へと変わっていた。
と同時に地中から湧き出るかの如く出現したのは、周囲を絶望へ追いやる悪夢のような2本の炎柱。
すぐに赤熱の炎は白く輝き、周囲を飲み込みながら、付近にいた者達を発火させつつゆっくりと動き始めていた。
加えて白炎の柱に住まう龍はその身体も白く煌めき、捕食のために飛び出せばその周囲まで燃やしていく。
巨大な断崖を通過したなんてことはなく、この場にいるのは騎士であり魔導士であり傭兵であり……
戦いを生業にしている者達だからこそ、これが再発動であることを誰もがすぐに理解してしまった。
以前のように距離がある中での隔離はもう難しく、多くの者達が密集しているこの状況で戦わなければいけないことも――。
「あづァ…ッ!」
「だすけ…て……」
何より、隔離を成功させた者。
先ほど大地を分断するほどの巨大な壁を生成したバリー・オーグは、この時、思考が停止したように動きが止まっていた。
「ま、まさか、アレも、持っているのか……?」
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