第366話 英雄に安息を

「すごい数だな……」


 人生でここまでの人を一度に見るのは、間違いなく初めてのことだと思う。


 王都の東に広がる広大な平野には、地面を覆うほどの人だかりができていた。


 北と南側からも続々と兵は戻ってきており、合流することで波のように蠢いてゆく。


 でも、よほど混乱しているのか。


 相手は軍隊であるはずなのに、場は雑然としていて。


 隊列など関係なく立つ兵士達の中に、傭兵か、もしくは遠距離部隊なのか。


 たぶん革鎧やローブといった色違いの装備を纏う者達も混ざっていたりと、何か理由があって統率を欠いているような、そんな様子が感じられた。


 そして、ヴァルツ兵は王都の中に入れていない。


 それは一目見て分かったが、ばあさんがいったいどこで戦っているのか。


 辺りを見渡しても、滞留する兵には大きな動きが見られないため、その所在すら分からずにいた。



(この辺りじゃないにしても、どこに移動すれば――)



 そんな時、不思議な現象が俺の身に起きる。



「君の位置から見て南東、人があまりいない箇所があるでしょ? そこをよく見てみなよ」


「?」



 若い男の声は、真正面から聞こえた。


 俺は上空におり、当然、人は目の前になどいない。


 思わず後方へ振り返るも、やはり、誰もいなかった。


 なんだ、これは?


 すぐ近くでしゃべりかけられた。


 明らかにそれと同じ感覚。


 僅かに動揺するも、何もないのであれば、視線は言われた通り、南東の方へ向く。


 するとたしかに、小さな円を描いたように人影の少ない地帯があり、あれは、煙か……?


 青い煙のようなモノが、上空に向かって薄く漂っていた。



 男から続く言葉はなく。


 行けと言われてもいない。


 罠、その可能性も十分にあるが。


 でもきっと、あそこにばあさんがいる。


 そんな確信めいた予感から向かえば――。



「ばあさん……?」



 周囲をヴァルツ兵が見張るその中央には、磔にされた、一体の腐乱した何かが存在していた。


 両の目にそれぞれ一本。


 残っている手足や腹には、数えるのも面倒なほどの槍が地面まで突き刺さり、身動きが取れないようにされている。


 でも、俺と同じくらいの背格好に、だいぶ抜け落ちているけどこの長い白髪は、見慣れたばあさんとしか思えなくて。



(なぜ、ここまでのことをする必要がある……)



 そう思うも、すぐ横には頭部を欠損した兵の死体がいくつも転がっているのだから、たぶんこのような状態にされていく中でも動き、そして暴れたのだろう。



「まだ、生きてるんだね」



 今もまだ身体からは、綺麗な青紫の魔力が湧き上がるように放出されているんだ。


 それに僅かだが、身動ぎもしていた。



「凄いでしょ? 頭部まで侵食されてやっと動きが鈍くなったけど、それまでは肉が溶けようとお構いなしに暴れ回っていたんだ。お陰でうちの上位傭兵が一人やられちゃったよ」


「なぜ僕が来ることを――というより、まずあなたは誰なんですか?」


「頭を貫いても生きてるからアンデッドの類かと思いきや、体内に魔石が生み出されたわけでもない。かなり不思議な現象だから、できれば『最後』があるのか見届けてから始めたいんだけど、どうかな? ってごめんごめん。スキルを使ってるから

会話は一方通行でね。賛同してもらえるなら上空に適当な魔法でも撃ってよ」


「……」



 一方的にベラベラと、煩い野郎だ……


 賛同なんてするわけねぇだろうが。


 なぜ魔力が自然放出されるほど生み出されているのか。


 原理や理屈なんて分からないし、この場で知りたいとも思わない。


 でもこの現象を引き起こしている原因は、体内に食い込んでいる見覚えのない首飾りをしているのだから見当もつく。


 それに、使った理由も。


 だからこそ、なんとかしてあげたい、けど。



(これは、無理だ……)



 腕を一本失ったとか、そんな程度の話ではないのだ。


 首飾りの周辺だけがまだマシというくらいで、手足は骨が露出するほど肉が溶け落ちているところも多い。


 それに眼窩を貫いた2本の槍は後頭部を抜けて地面に突き刺さっており、俺のスキルでどうにかできるであろう範疇を明らかに超えていた。


 可能性があるとすれば、一つだけ。


 ばあさんをこのまま拠点に連れていけば、もしかしたらフィーリルがどうにかできるかもしれない。


 でもたぶん、仮にできたとしても、やってはくれない。


 明らかに、下界への干渉に当たるだろうから。


 その確認も、避難所の相談で【神通】を既に使ってしまっている以上は、一度拠点に戻る必要がある。


 そして俺やばあさんがいなくなれば、この場で敵はいなくなるのだ。


 まず王都は襲われる。


 オルグさんの言葉が過るも――。



「ばあ、さん……」



 ――気付けば、僅かに震える自分自身の手を見つめていた。


 俺にできるがどうしても一つしか思い浮かばず、ギュッと胸を締め付けられたように苦しくなる。




「 」


「?」



 その時、微かに何かが聞こえた。


 でも声じゃない。


 何かが、擦れる音。


 慌てて顔を上げれば、ばあさんの口が僅かに動いていた。



「ばあさん!」


「 」



 何かを言おうとしている。


 それは分かるけど、声にはなっていなかった。        



「……?」



 でもなぜか、言いたいことは理解できる。


 うわ言のように「すまない」と、それだけを繰り返していた。


 何に謝っているのか。


 実際のところは分からない。


 けど。


 もし、この状況に対しての謝罪ならば……



 震えていた手は、自然と強く握り込まれる。



「ふざけんなよ……」



 口を衝いて出たのはばあさんにではなく、あまりにも腑に落ちないこの言葉に対しての不満であり怒り。


 なんでこの王都を、ひいては国を護ろうと、こんな状態になってまで戦ったばあさんが謝らなければいけない。


 誰に看取られるでもなく、身体中に穴を開けられて。


 そんな状態になってもまだ、恨言を吐くでもなく誰かに謝罪をしている。


 それはきっと、後悔から。


 ばあさんなら、護り切れなかったこの現状を憂いている。


 そんな気がするけど。



「ばあさん、心配しなくていいから」



 俺にできることは少ない。


 ばあさんが護ろうとしたモノを、俺が代わりに守れるとも思えない。


 それでも……せめてここまでが無駄じゃなかったって思ってもらえるように、ばあさんがやろうとしたことくらいは俺が引き継ぐよ。


 だから。



「もう大丈夫。大丈夫だから、安心して、眠ってください」



 そう言葉を投げかけながら、一番腐敗の進行が遅い箇所。


 肉に食い込む首飾りをソッと引き剥がせば、すぐに放出されていた魔力は勢いをなくし、残された肉の一部が溶けるように土へと還っていく。




「  」


「大丈夫だよ」




『【鑑定】Lv5を取得しました』


『【裁縫】Lv6を取得しました』


『【魔力纏術】Lv2を取得しました』


『【魔力纏術】Lv3を取得しました』


『【魔力纏術】Lv4を取得しました』


『【魔力纏術】Lv5を取得しました』


『【庭師】Lv3を取得しました』


『【庭師】Lv4を取得しました』


『【魔力譲渡】Lv5を取得しました』


『【指揮】Lv7を取得しました』




 その場に残る骨と首飾りを『収納』しながら周囲を見渡せば、マルタと同じ。


 多勢に無勢と舐め腐った顔をしたヤツもいれば、武器を握り覚悟の決まった眼差しを向けるヤツ、怯えからすぐに目を逸らすヤツと、様々な表情をした連中がズラりと並ぶ。


 まぁいい。


 どちらにせよ、たぶん


 それを経験上理解しながら、それでも俺は上空へ。


 遥か彼方まで広がる群衆に向かって宣告した。



 ――【拡声】――



「最初で最後の通告です」



 チャンスは一度だけだ。



「僕はロキ、奪うために侵攻を続けるあなた達を『悪』と判断し、これ以上攻め入る者を『執行』の対象とします」



 俺だって何が正解かは分からない。


 マルタと同じように考えるなら、王都までの道中に存在した町や村は蹂躙された『キプロ』のように壊滅的な打撃を受けていて。


 兵をただで帰すなと、怒り狂う人達だってきっといると思う。


 でも、俺の納得できるやり方はこれしかなくて。


 もしかしたら、望まずに戦地へ送られた人達が、大勢いるのかもしれない。


 だから一度きりのチャンスを。


 敵となれば、容赦はしない。


 この一度で、自分の人生を決めろ。



「なので死にたくない者は東へ。今すぐ自分達の国に帰ってください」



 ……このように告げても、想定以上に混乱はない。


 まるで分かっていたような。


 アトナーの時と同じ空気を感じる中――群衆の中から、凄まじい大声が響き渡る。




「諸君! あれが此度の戦争における最大の難敵! しかし討ち滅ぼせばラグリースの土地は我が国のモノとなり、大陸中央を纏め上げる大きな足掛かりとなるであろう!」



 ……――ウォオオオ――……!




「人間を至上とする思想も、その思想を守ろうとする異世界人もこの世界には不要! 我が国を貶めた仇敵に浄化の時が来たのだ!」



 ……―――ウォオオオオオッ―――……!!




「奮い立てぇ! 止めを刺した者には望む褒美を与えると我らが王は仰せだッ!! 国の傾廃を止めるは皆の力ぞ!」



 ……――――ウォオオオオオアアアアア――――ッッ!!




 それは一つじゃない。


 呼応するように、奮起を促す言葉が次々に続いていくも、掴めるのはおおよその方角くらい。


 同じように使われた【拡声】は、扇動の意味も含めながら、立場ある者の所在を隠す効果も与えていた。


 敢えて隊列を崩しているのも、姿をくらますことが目的か。


 そして、この男も。



「あれれ、ニーヴァル嬢は君が止めを刺しちゃったんだ? 国を護るために、これ以上ないほど身体を張った英雄に酷いことするねぇ」



 相変わらず、若い男の声は目の前から。


 少なくともばあさんの状態を確認できる立ち位置にはいるのだろうが、先ほどとは違って方角の見当を付けることさえできない。


 だがまぁ、いずれ辿り着く。


 たぶんこいつが2位――言わばここの実質的なボスだろう。


 ならば、どうあっても殺す。


 ばあさんの死を侮辱する、このクズ野郎は確実に。




「それじゃあ始めようか」


「……」




「ここからは『ヴァルツ王国全軍』対『君』との総力戦だ」

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