6章 ラグリース王国編

第161話 異世界生活本番

 教会が告げる朝の鐘でスッと目が覚めた。


 まるで小学生の遠足当日のような、どうにも気持ちが浮き立った落ち着かない朝。


 いつも通り1階で食事を摂り、部屋に戻って少し考えたのち改めて風呂に入る。


 これから当分の間お風呂はお預けかもしれない。


 ならば入れるうちに楽しんでおこうと、のんびり湯に浸かりながら考える。



(さーて、どこに行こうかねぇ)



 今日から俺は本格的に自由の身だ。


 ベザートを出る時は街道が北にしか延びていないこともあり、自然と向かう先はマルタに限定されていた。


 アマンダさんと商業ギルドに向かうという目的もあったので、それ以外の選択肢なんてなかったわけだ。


 だが今日からは北に向かおうが東に向かおうが、それこそ街道沿いを移動しなくても【飛行】を使えばどこへだって行ける。


 最悪野宿になる可能性はあるものの、そんなの2~3日程度なら何も問題はない。


 最初に森を彷徨った経験が、その日のうちに町へ辿り着かなくてもどうにかなるという、妙なタフネス精神を俺に植え付けていた。


 水は魔法で出せるし、食料も適当に現地調達して魔法で火を通せば何かは食える。


 それに困ったらマップを確認しながら最寄りの町へ戻ればいいわけだから、これからの旅はそれなりにイージーモードと言っていいだろう。



 風呂から上がり、相変わらず靴やら鞄といった女性物の荷物を詰め込んだ特大籠を背負って1階ロビーへ。


 するとなぜか、朝はいないはずのウィルズさんが今日はカウンターに立っていた。


「おはようございます~朝からここにいらっしゃるとは珍しいですね」


「おはようございます。本日はロキ様がご出立の日と伺っておりましたので」


「えぇ……そんな、お忙しいでしょうに」


 たぶんリステやリルの影響なんだろうと思うけど、どうしてここまでウィルズさんが俺を気に掛けてくれるのかがよく分からない。


 カウンターの人と代金の精算をしながら、他に何かあるだろうか? と考え込んでいると、ソッとウィルズさんが耳打ちをしてくる。


「昨日、監査院の者がロキ様の情報を探りにきました。もちろん何も知りませんから話すこともございませんでしたが――だいぶ焦っている様子が見て取れました」


「……ありがとうございます。またマルタに寄ることもあるでしょうから、その時は必ず利用させてもらいます」


「それが何よりの喜びでございます。またのお越しを心よりお待ちしておりますよ」



 一際大きく豪勢な建物。


 もし戦争となった時、他国の兵が真っ先に略奪や蹂躙をするのは、こんな目立つ建物なのだろうか?


 それとも住んでいる町民の私財や安全などは考慮されるもので、兵や王侯貴族だけで争うものなのだろうか?


 この世界の戦争とはどういうものなのか、平和な時代の日本で過ごした俺なんかにはさっぱり分からないことだ。


 そう、分からないけど――ウィルズさんは戦争なんかで死んでほしくないなと強く思ってしまう。


 (何かあった時は助けられたらいいんだけど……)


 ただ漠然と、そんなことを頭の中で描きながら、俺はしばらくお世話になったハンファレストを後にした。



 その後はハンターギルドのギルドマスター室へ。


 こちらは旅立つ事情を話しているので、依頼していた書状をオランドさんからサクッと受け取るだけで済む。


 人目の付かなそうな場所へ少し移動しながら、意味があるか分からない仮面を被り――


(あまり気を使ってもしょうがないし、もういいか)



――【飛行】――



 俺は町中から空へ飛んだ。


 国に俺が異世界人であることをバラし、宙に浮くところも見せた。


 ならばもう、遠慮する必要などない。


 他国の人間に知られる可能性もあるだろうけど、そんなことより、町中から【飛行】を使えるメリットの方がもう大きい。


 仮面越しに強い風を浴びながら、秋空とも言える高い雲を目指してグングン空へと舞い上がる。


 そしてマルタの全容が分かるくらいの高度になったところで、俺は仮面を外し、思いっきり空気を肺に吸い込んだ。


 すぅ――――……




「自由だぁあああああああああぁぁぁぁぁ~~~~~ッ!!!」




 これからが俺の異世界生活本番だ。


 序章で死んじゃってるところがザコいけど、ここからが旅のスタート。


 なんとなくそんな気がしてしまう。


 一切の障害がない大パノラマ世界。


 東方面には緑が拡がり、その先に見えるのは小高い山々。


 麓にあるのはお世話になったボイス湖畔だろう。


 対して西方面は茶と緑が入り混じった平地が続き、北は農耕地帯になるのか、人工的に区切られた畑がどこまでも広がり、その先にはかなり高そうな山々が薄っすらと見える。


 この視界に映るどの場所に向かうも俺の自由。


 その先で何をしようと、まぁ法が許す範疇での話だがそれもまた俺の自由だ。


 全てが自己責任の下、まだほんの一部しか分かっていないこの世界を巡る旅が始まると思うと、なんだか自然と身体が打ち震えてしまうのは、やっぱり俺がこの世界の仕組みを好きでたまらないからなのだろう。


 グルリと視界を一周。


 とりあえず、向かう先は――



「やっぱり北、かな?」



 別に西でも東でもいい。最終的には全部回るのだから、どこから手を付けようが大差はない。


 ただ南のベザート以外に次の町がおおよそ分かっているのは、以前ホリオさんから聞いていた北方面だけだった。


 たしか次がミールという町で、その先がDランク狩場のあるリプサムという町だったはず。


 ならば寄り道しながらDランク狩場でスキル収集に勤しみ、そのまま王都あたりまで行ってから次の行き先を考えよう。


 腕時計をチラリと確認し、北方面へ伸びる街道を眼下に見下ろしながら、俺の空旅はスタートした。





 ▽ ▼ ▽ ▼ ▽





 視界の先に見えたのは、マルタの10分の1にも満たない小規模な建造物群。


 かなり高いところから俯瞰しているため、手を伸ばせば掴み取れるのではないかと勘違いしてしまいそうになるほど小さな町だった。


「まぁ規模は措いておいても、約1時間弱で次の町に着いたのならだいぶ上等かな」


【雷魔法】Lv7を取得したことによって、以前よりも魔力放出とはどういうものかが自分なりに分かってきた。


 手や腕だけでなく、胴体部分まで広げるように意識しながら手の一点に。


【雷魔法】を発動すれば自然と感じられる、あの吸い上げられるような感覚を利用しながら、まとめてドンッ! と放出するイメージを作ると―――



「おっほほー速い速いっ!」



 リルと<デボアの大穴>に向かった時の速度には到底及ばない。


 それでも体感で言えば時速50km以上は確実で、しかし時速100kmまでは絶対に出ていない。


 そんな、十分満足できる心地良い速さだ。



 上空でマップを広げ、マッピング状況を確認したのち、滑り降りるように降下を開始。


 大きそうな建物の屋根にソッと着地後、人があまりいないタイミングを見計らって横の脇道まで降りる。


 これなら何か突っ込まれても、一時的に屋根に上っていた謎の人で通せる気がしなくもない。


 世の中そんなに空を見上げている人もいないだろう。


 現に数人が屋根から飛び降りるところを見ていたが、少し不思議そうな顔をする程度なので作戦は成功だったと言える。


(さてさて、この建物は当たりかな?)


 宿屋かハンターギルドだったら成功。


 町長の家なんかだったら大失敗と思って正面入り口を探してみれば、俺が求めていた剣と杖と盾のマークが描かれた看板が掲げられていた。


「いぇーい! ビンゴッ!」


 デカい建物はやっぱり宿屋かハンターギルドだよね。


 他はベザートとマルタしか知らないけど、特に小さい町はその傾向が強いと思ってよさそうだ。



 時刻はまだ午前中。


 上手くいけば今日中に1ヵ所くらいは狩場を回れる。


 そう思って意気揚々とギルド内部に突撃した俺は、なんともいえない寂れた雰囲気に戸惑いを覚えてしまった。


 初見の飲食店に入ったら客が誰もいなかった――まんまそれと同じ感覚である。


 カウンターは1つのみで、そこに座る30代半ばくらいの女性は、魂が抜けたように頬杖を突きながらホゲーッとしていた。


 俺が入ってきたことにも気付いている様子がない。


 この時間帯だから人がいないだけかもしれないが……


 入り口横にある依頼ボードの内容を見れば、GランクかFランク依頼が数枚貼り出されているだけ。


 この町と比べれば、ベザートはまだ賑わっていたんだなと今更ながらに思ってしまう。


 まぁそれでも、近場に知らない魔物が生息している狩場があれば俺はそれでいい。


 なぜかお姉さん? の放心状態を邪魔しちゃいけないと忍び足で資料室に足を運び、今までよりもだいぶ薄そうな本を手にする。


 そして―――こりゃアカンと悟った。


 ホリオさんがなんで北のリプサムに移動したのかを思い出してしまったのだ。


(そういえば付近にFランク狩場が一つだけって言ってたなぁ……そりゃ地元ハンターくらいしか寄りつかんわ。ってか、地元ハンターも兼業ハンターでもなければどこかに移動しちゃうよね)


 ペラペラと捲るほどの枚数もない資料を眺めると、そのFランク狩場 《トラン森林》には、ゴブリン、ファンビー、そしてコボルトが出現魔物として記載されている。


 コボルト。


 そこそこメジャーなやつの登場ではあるが、いまいちスキルが連想できないな。


 犬っぽいイメージだから、なんとなく所持しているのは【噛みつき】あたりだろうか?


 それだけならかなり微妙なところだけど、期待を良い意味で裏切ってくれたファンビーという存在もいたのだ。


 そんな予想外は大好物なので、手を出したことのない魔物というだけで否応なしに期待が高まってくる。



 トコトコと、暇の極致に達していそうなギリギリお姉さんの下へ向かい、トラン森林の場所を確認。


 ミールの町から東に徒歩で30分程度ということなので、近いことに喜びながら早速現地へと向かった。




 そして10分後。


 俺は無表情に寄ってくるコボルトを斬っていた。


 コイツは、この世界に居てはいてはいけない魔物だ。


 恨めしい気持ちを込めながら斬る、斬る、気分転換に――フンッ! とグーパンチして、また斬る。


 ギルドの資料本には肉が臭過ぎて食用には向かず、皮は薄いので日用品にも転用しづらいと記載されていた。


 唯一価値が見出せるのは魔石くらいで、しかし所詮はFランクということもあり小さく、大して金になるものではない。


 付加価値の付く属性魔石でもなかった。


 もうこの時点でゴブリンみたいなものなのだが、十数体を倒した結果、悲しいことにコボルトはスキル構成までゴブリンと一緒だということが分かってしまう。


 つまり所持スキル無し。


 もう価値が無さ過ぎて笑えてくる魔物だ。


【噛みつき】だけだったら微妙~とか言っていたちょっと前の自分を殴りたい。


 あるだけマシじゃねーか、と。


 まぁここまで無い無い尽くしも稀だろうけど、5匹倒して得られるものが何も無いなんてケースはなんだか久々だ。


 ポジティブに考えれば、俺が成長するほどこのような事態が増えていくのだろうから、初っ端で洗礼食らっておいて良かったねってところだろう。


 そして洗礼ついでに、トラン森林では思わぬ収穫もあった。


 もしやゴブリンと一緒なら、剣や斧なんかを所持したスキル持ちコボルトが現れるんじゃ? と、徒労が悔しくて少しだけ粘っていたところ、遠目にここに来て初めてとなるパーティを見かけた。


 視界に入るのは3人で、前衛に槍を持った男が一人。


 その後ろに後衛職の男女が一人ずつおり、対峙するゴブリンを危なげなく倒している。


 その中で、槍を持った前衛の男の顔に、俺は薄っすらと見覚えがあった。



(あれ、ルルブで俺を見殺しにしたやつか……?)



 ふいに記憶が蘇る。


 アルバさんを含む4人パーティがオーク2体に襲われ、助っ人として戦闘に加わったら擦り付けられてそのまま逃走。


 あの時アルバさんは謝罪してくれたのですぐに許したけど、残り3人は報復を恐れてベザートから逃亡したと言われていたんだった。


 なるほど……そうかそうか。


 マルタを敢えて通過し、ミールに隠れるとはなかなか考えている。


 マルタでは俺がベザートから活動拠点を移した場合に見つかる可能性が高いと思ったのだろう。


 だがマルタに来るくらいなら、わざわざFランク狩場一つしかないミールで活動するとは普通思わない。


 特にこんな狩場で遭遇するなんて、まったく3人は考えてもいなかっただろうな。



【気配察知】に引っかかったファンビーを片手間に倒しながら、どうするべきか考えを巡らす。


 そして出た結論は―――



「…………まぁ、いいか」



 放置だった。


 あの時は見つけたらボコボコにしてやると本気で思っていた。


 初のオーク戦だったわけだし、実際ポイズンマウスで盛った防御力がなかったら危険だったのは間違いない。


 リアがいたから死ぬことはなかっただろうけど、ボコボコにされて見た目中学生の少女に助けてもらうという、恥ずかしい姿を見せていたかもしれないのだ。



「はぁ。これ以上の収穫はなさそうだし、もうリプサムに行くか」



 森の中から【飛行】を使い、上昇しながら三人の姿を眺める。


 やられた側はその仕打ちを忘れないものだ。


 久しぶりに顔を見て、その上で今更になっても俺は許すつもりが無いんだなということが自分でも分かった。


 だからこその放置。


 これがあの3人にとって一番つらい結果を生むことになる。


 今となってはボコボコにするのなんてたぶん簡単な事で、ほんの数秒もあれば成し遂げられる自信がある。


 だが、さすがにあの3人を殺すなんて発想が無い以上は、ボコボコにすればそれまで。


 彼らはきっと俺がもういないと分かったベザートへ戻ることになる。


 そして癒えた身体で元の生活に近い環境を取り戻すだろう。



 だからこそ放置して、このままあの3人をミールに縛った。



 俺が何もしなければ彼らは動けない。


 報酬に魅力もないFランク狩場一つの小さい町で、元の仲間や友人達、はたまたベザートが出身なら親兄弟と会うことも叶わず、細々とこの狩場へ通い続けることになる。


 さすがに一生ということはないだろうけど、あと数年ここに留まるというだけでも相当な罰になるはずだ。


 身をもって擦り付けたことを後悔すればいい。



(リルは俺の事を優し過ぎるとか言っていたけど、どこが? って話だな……)



 ――良くしてくれる相手には相応の対応を。


 ――害意や悪意を持つ相手にも相応の対応を。



 リルの教えというよりは、学生の頃の後悔をこの世界で繰り返さないように。


 そのために俺は、屈しない強さを手に入れたいんだ。



 成果が得られなかった落胆は消え、妙なやる気を滾らせながら俺はさらに北上。


 リプサムの町を目指して街道上空を飛び続けた。

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