第159話 憂いの女神

「ロキ君、今日は私のためにわざわざありがとうございます」


 清涼感のある声に目を開ければ、まるで牧場のような長閑な風景に、地球や下界とは明らかに違う真っ白い空。


 そしていつもの白いワンピースを纏ったアリシア様が、今日は一人だけで目の前に立っていた。


 いつもの三人態勢とは違った対応。


 他の女神様達が配慮してくれた結果だ。


「こちらこそ急ですみません。リルから不貞寝していると聞いていたので、早々でいいものか迷ったんですが……」


「実際に寝ていたわけではありませんから大丈夫ですよ。さぁ、こちらへどうぞ」


 アリシア様が手を振りかざすと、突如として白い丸テーブルと2脚の椅子が出現し、テーブルの上には湯気の上がるカップまで置かれていた。


 これも【空間魔法】なのか?


 カップに飲み物が入った状態で出てくるとか斬新過ぎる。


「ありがとうございます」


「ロキ君、私も皆と同じで良いですよ? でないと、一人だけ壁があるようで寂しいですから」


「……んんっ! 分かったアリシア。これで良いかな?」


 さすがにこれで6人目。


 予想もしていたことだし、良し悪しは別として慣れたものである。


「えぇ。ありがとうございます」


「あれ? そういえばカップが一つしかないけど……」


「それはロキ君用ですよ。私はまだ飲み物を飲む習慣がありません」


「……」


 なぜか、俺の心が痛い。


 下界に降りた女神様達は、なんだかんだと皆美味しそうに食べていたし飲んでいたもんなぁ。


 もしや味を占めて、そのまま神界でも飲み食いを始めたのだろうか?


 そんな中、一人アリシアだけが羨ましそうに見ていたりとか、想像すると可哀想過ぎて涙が出そうだ。


「リルから下界に降りられない事情は聞いたよ。なんというか、頑張って対応していた人が損をするのはよくないと思ってさ」


「そうやって気遣ってくれるのはロキ君くらいですよ」


「そ、そっか……確認だけど、可能なら下界に降りてみたいんだよね?」


「そうですね。しかし私が降りれば、女神が下界に降りたという決定的な証拠を残す恐れがあります。結果大きな混乱を招くことでしょう。……私の望みだけでそのような事態を引き起こすわけにはいきません」


 なんとも真面目なリーダー役のアリシアっぽい回答だ。


 しかしその言葉は俺に説明するというより、口にすることによって自らを納得させようとしている気がしてならない。


 覚悟を決めた中に混ざる哀愁を帯びた表情。


 不貞寝していたくらいだし、本人もさほど隠す気はないんだろうな。



「俺ね、今日仮面を買ったんだ」


「仮面? 顔に付けるやつですか?」



 魂だけが呼ばれる神界でも、どういう仕組みなのか、その時身に着けている衣類がそのまま反映されることは分かっていた。


 そして今回俺は手に仮面も持っていたので、持ち物が全て反映されることを今更知った上でソレをテーブルに置く。


「そうそう。どうしても子供の姿だと舐められちゃって、高い物が買えなかったり色々不都合が多いからさ。なら隠せばいいかなってノリで買っちゃったんだけど……アリシアが仮面付けたらどうなると思う?」


「仮面……顔が隠せる……やはりそれでも厳しいと思います。リガルがスキルを覗かれたんですよね?」


「あーうん。【分体】の穴みたいなもんだよね」


「その結果、異世界人と勘違いされたと」


「異世界人と勘違いさせるしかなかったが正解かな。リルが女神様だとバレないように対処したから今回は大丈夫だろうけど、一人の時にバレると結構厄介だと思う」


「その件も報告は受けています。ロキ君が異世界人であることを公表してまで私達を最優先に考えてくれたと……本当に感謝しかありません」


「それは気にしなくていいよ? 別にもういいかなってって思っただけだから。おかげで遠慮せず【飛行】し放題~! ってね」


 笑いながらそう答えると、アリシアにもやっと砕けた笑顔が見られる。


 だが問題は何も解決していない。



「アリシアはさ。何がしたい? どんなことを望んでる?」


「えっ?」



 だからもっと踏み込んだ質問をした。


 不躾ではあるが、アリシアが望むことを実現可能か考えた方がてっとり早い。


 ダメならダメで妥協点も探れるはずだ。


「リアは俺が危険人物かどうかの監視、フィーリルは魔物調査とおまけのお風呂を気に入っていた。フェリンは食べ物だね。リステは人の住む街並みや生活への興味が強かったし、リルはまぁご存知の通り俺と戦うことが一番の優先事項だったと思う」


「そう、ですね」


「じゃあアリシアは? 下界でどんなことをしたいって思ってた?」


「私は――」


「うん」


「特にありません。ただ、ロキ君と一緒に居たいと思っていました」


「……」


「……」


「えっ? 今なんて?」


 おかしい。


 俺は難聴になったのか?


 何やら愛の告白めいたものを聞いた気がする……


 視線をアリシアに向ければ、自分の発言が爆弾だったことに気付いたのか、顔が急速に赤くなる真っ最中といったところ。


 勘弁してくれ。


 そんな姿を見たら俺まで真っ赤になってしまう。顔が熱いし隠したい。あっ、お面被ろう。


「ち、違うんですよ! 皆が下界の出来事を楽しそうに語るので、ロキ君と行動を共にすれば何か違った景色が見えるのかなと! そっ、それだけですからね!」


「は、はい……」


 なんだこりゃ。


 普通にしていれば、女神様達の中で一番美人と可愛いのバランスが取れていそうなウルトラクラスの顔面偏差値なのに、天然で、なんか不幸で、鞭を持たせりゃドSで、庇護欲を掻き立てられるような可憐さも有り、おまけに今はツンデレか?


 いったいどれだけ属性持ってんだよ?


 一人で七変化でもするつもりだろうか?


「つまりあれかな? 下界の人達がいるような場所に行かなくも問題無いってこと?」


「そうですね。それでも良いと思っています」


「ん~……なら簡単じゃない? 人の住んでいるところなんて逆に限られているし、俺が人のいないところに行けばいつでも【分体】降ろせるでしょ? まぁそこで何するってのはあるけどさ」


「言われてみればたしかに……」


「リステやリルみたいにアリシアもすぐ飛べるんだろうから、【飛行】で高い位置から町を眺めることだって可能だし、食事したいなら俺が町で買ってくることもできるし」


 想像したのだろうか?


 アリシアは表情がパーッと明るくなるが、それも束の間。


「あっ」という呟きと共に、すぐ元の気落ちした表情へと戻ってしまう。


「ん? どうしたの?」


「いえ……ロキ君はいずれ、気に入った国、気に入った町で拠点を構えるんですよね?」


「そうなると思うけど……あー……」


 前にリステが言っていたことか。


 拠点というか家というか、いつまでも宿暮らしというのもおかしいし、いずれ定住できる場所は決めることになる。


 その時遊びに行っていいか? と言われたので、できれば一緒に住みたいという願望を持ちながらも俺は良いよと答えた。


 そしてリステは他の女神様達も楽しみにしていると――そう言っていたはずだ。


 その中に、アリシアは含まれていたのだろうか?


 リルとリア、それにフィーリルやフェリンも含まれていたことは分かったが、アリシアだけはよく分からなかった記憶がある。


「もし俺がどこかに家を建てたら、遊びに来たいって思ってくれる?」


「も、もちろんです。ご迷惑じゃなければ……」


 その返答を聞いて、仮面の下で赤面しつつ何もない白い空を眺める。


 アリシアは俺と一緒であればいいと言った。


 それは恋愛感情というより、一緒に居れば今まで経験したことのない何かを得られるという興味や好奇心からだろう。


 なんだかんだと地球の話を一番聞きたがるのはアリシアだし、今までの雰囲気からするとそんな気がする。


 そして、このままいけばアリシアだけは、満足に下界という管理世界を楽しむことができない。


 いや……違うな。


【分体】という特性を考えれば、女神様達全員が行動に大きな制限とリスクを抱えることになる。


 人がいるから……俺がどこか気に入った町に住もうとしているから……


 至極当たり前に思っていたこと。地球なら当然のように考えること。


 だが―――


「……」


「……」


「ねぇ、アリシア」


「なんでしょう?」


「アリシアは下界に興味がある。それは間違いないよね?」


「はい、間違いありません」


「何かに特別興味があるわけではないけど、色々なことを経験してみたい。そして自分が強く興味を抱く何かを探してみたい。そんな感じ?」


「そ、それです! そう言われると凄くしっくり来る気がします!」


「そっかそっか。ならさ」


「はい」


「一緒に、作ってみる?」

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