第15話 A.I


 「なるほど。

 それじゃあボクと別れて早々、”ルーラー”であるア=ルエゴのメトトとの接触に成功し、”言霊”を使って瞬く間に一団が信仰していた女神として君臨した、と。

 そこまでは良かったけれど、『厄災が目覚める兆しがあるから、今こそ聖なるお役目を果たしてください!』なんてお願いされちゃって、意味も分からないままホイホイ安請け合いしていたら、いつの間にか自分が聖なる生贄として崇められていたことに気付いちゃった。こんな感じ?」


 「私の一か月の頑張りをそんなあっさりとまとめないで!」


 広場から離れ、宮家の一室で二人きりになったテンシーとエーナインは、それぞれの一か月間の活動成果を報告し合っていた。


 エーナインは憤慨していたが、実態としてはおおむねテンシーがまとめたとおりだった。

 テンシーが成り行きでレルルを助けたところから草の根的に人々の信頼を得ていったのとは逆に、エーナインはシレイの目的である”ルーラー”である可能性の最も高いア=ルエゴをターゲットに定め、最短でことの解決を図ったのだ。


 「前にも云ったけどさ。ほんとエーナイン、よくそれで今までやってこれたよね。素直にすごいと思う」


 「うっさいっ。話を聞いたらあんただって結局似たようなものじゃない。”勇気の儀”が何なのかも知らずにホイホイ受けちゃって。いくら未開の地の儀式だからって普通あんな危険極まりないこと、疑いもなくやる奴なんていないわよ」


 言い返そうとしたテンシーだったが、思い直して顔をぷいとそむけるだけに留める。

 そむけた顔の先には、一向に治まる様子のない広場の喧騒が遠く響いていた。


 「”厄災”を鎮めるための生贄に、ボクとエーナインが、ねぇ」


 テンシーが他人事のように呟く。

 何一つとして気負うところがなく。憤りも、恨みの類も一切なく。

 ただ、いつもの眠そうな気怠さの中には、かすかなもの悲しさが混じっていた。


 あの後、テンシーはア=ルエゴや宮家のババたちから、改めて”勇気の儀”の真実を知った。あの儀式には、メトトの中で最も勇気あるものとしての身の証を立てるのと同時に、共同体を代表するものとして、有事の際には己が血で災いを贖う生贄を選定する意味もあったのだった。


 もっとも、エーナインは野蛮な風習だと愚痴をこぼしていたものの、テンシーの考えはそうではなかった。

 生贄と聞くと物騒なイメエジがつきまとうが、彼らにとって生贄はたいへん重要で神聖なものだと云うのが、人々の表情から容易に読み取れたのだ。

 事実、彼らはテンシーとエーナインが生贄としての役を――本人たちは一言も承諾していなかったが――甘んじて受けたというア=ルエゴの宣言を訊くと、狂乱とも云うべき大歓声をもって応えた。

 ただしそこには、自分たちが死を免れうることへの喜び以外にも、メトトの中でもっとも勇敢で高潔な人物が、共同体のためにその身を捧げてくれることへの無限の感謝と尊敬、そして慚愧があった。


 神聖行為としての生贄。

 それは小さなコミュニティで生きる彼らにとって、まさに究極の家族愛。究極の自己犠牲とも云える行為に他ならない。

 云ってみればそれが、文字すら持たない彼らが敷き、連綿と紡がれてきた【ルール】だったのだ。


 先ほど垣間見たレルルの記憶がよみがえる。


 「レルルのお姉さんも、生贄としてこういう体験をしたんだ」


 そして、それがもとで、レルルは今も苦しんでいる。

 永遠だと思っていた大切な人との日々を、突然あっけなく奪われて。

 当たり前と思う日々への感謝も、少しずつ降り積もっていく小さな違和感を明らかにしていくゆとりもなく。

 いつまでも忘れることのできぬ思い出の海と停滞の憂みに沈んでいく日々を思う。


 他ならぬ、不文律としての【法】に縛られて。


 「ああ、あんたが助けたあの女の子。ずいぶん肩入れしているみたいじゃない」


 「そういうエーナインだって。生贄として拝まれていたのに気づいてもすぐに逃げ出さなかったのも、見捨てておけないって思ったからなんじゃないの?」


 「はっ、じょーだん。それもこれも、アイからシレイを託されたエーとしての沽券の問題よ。ア=ルエゴだって、はじめはちょっとはまともかと思っていたけど、日に日に私への小言が多くなってくるし」


 「言霊の使いすぎだよ。もうみんなエーナインのこと、何でも面倒見てくれるお母さんかなにかだと刷り込まれちゃってるんだと思うな……よい、しょっと」


 「ちょっと、誰も膝枕したげるなんて言ってないわよ。それにだれがお母さんよっ。女神さまだっての! っていうか、あんた相変わらずのんきね。このままだと私たち生贄確定なのよ? 真面目に考えなさい、真面目に」


 テンシーは怒られても体を起こそうとはしなかった。

 それどころか今度は目まで閉じて、すっかり眠る準備を整えているかのようにさえ見える。


 エーナインはと云えば、形の良い眉を少々困ったようにハの字にし渋面を作るだけで、テンシーを引っぺがそうとまではしなかった。それは、動きたいのに子猫が自分の膝の上で眠っていて動けない時の人間の心情に似ていた。


 「およ? テンシー様はもう、おねむのお時間ですかの?」

 

 入口でジジと一緒に見張りをしていたおきなさんが、ふよふよと近づいてくる。

 

 「どれ、それでは一つ肌掛代わりにワシの自慢の白髪布団で」


 長白髪の一本一本をわさわさ動かしながら無防備なテンシーに迫るおきなさんの面を、エーナインが真正面からわしづかみにして止める。


 「静かに」


 「どうなさったのです?」


 「あんた、テンシーが城でいくつも草稿を執筆していたのは知っているわよね?」

 

 「それは勿論。生命を持たぬ身とはいえ、ずうっとテンシー様の御傍で見ておりましたからな」

 

 「それなら、あの草稿がただの一つでも形になったの、見たことあるかしら?」


 「いえいえ。いつも熱に浮かされるように、いくつもの文書に跨って書き進めては、ふとした拍子にぱったりと筆を止めてしまわれます。おかげでいつも机には書きかけばかり。しまいには決まって、ぐっすり眠ってしまわれる始末ですじゃ。飽きっぽいことは猫のよう。まっこと気まぐれな御方じゃて」


 「気まぐれ、ってのには同意だけど。飽きっぽいのとは違うのよ、それ」


 「と、云いますと?」


 「この子ね。ある程度の情報が出そろった時点で、もうインプットもアウトプットも必要なくなるの。つまり、いつまで経っても上がらない草稿は、もともと本を作るために書いているんじゃない。この子は自分の頭の中に、自分が求めている答えを自然と導き出すことができる力があるのよ」


 「はて? では今のテンシー様は、何か答えを導き出そうとしておいでだと? でもまるで、夢でも見ておられるようじゃ」


 おきなさんの目のない面が、テンシーの顔にぐっと近づく。

 薄氷色の長いまつげに縁どられた瞼の裏では、辰砂の瞳がせわしなく動いていた。レムの眠りに落ちている者に特有の無意識動作である。


 「A.I……Automated Insights自動洞察。本来ならナンバーズの中でも、アイにしか備わっていないはずの力。この子のそれは不完全で、なおかつ無意識下においてのみという制約はあるけれど、使うことができる……いいえ、許されていると云ったほうが良いわね」


 「……」


 「なによ、その顔」


 「ご無体な。感情は豊かですが表情はこれ一つきりですわい。主様、老婆心ながら一つ、よろしいですかな」


 「あんたはジジイだけどね。なに?」


 「……お気には、召しませぬか?」


 普段は遠慮のないおきなさんにしては、曖昧な言葉だった。

 いつも恥も外聞もなくエーナインにすり寄ろうと必死な姿とは対照的に、まるで深く踏み入ることをためらっているかのような。


 だが、エーナインはケロッとした顔で、宙に漂うおきなさんの面を突っついた。


 「おバカね。あんたジジイだけど、実際は生後一月かそこらでしょうが。子供が親の心配するなんて百年早いっつの。私はアイを信じている。アイも私を頼りにしている。テンシーに掛けられている期待がどうであれ、私のやることは変わらない」


 上手く保証などなくとも。常に全力最短の一点突破。

 常識に縛られることなく、むしろ常識を疑い、時には穿つ。そのための実行力。

 

 それが、それこそが、エーの誇りなのだから。


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