第13話 レルルの記憶
「やだやだぁっ! もうお姉ちゃんと会えなくなるのやだぁ!」
それは、レルルにとっての”特異点”だったのかもしれない。
世界で一番大切な人と交わした、最後の会話。
ああしていれば、こうしていればと後悔しても。自分の人生がそれ以前とそれ以後とで明確に線引きされたのだという事実は絶対に動かない。
だからこそ、何度も思い出す。幾度も夢に見るもの。
「ジジっ、ジジは一番強い守り人なんでしょっ、お願い、お姉ちゃんを、お姉ちゃんを助けて!」
「こーら、ジジを困らせちゃだめったら。ごめんねジジ。この子のことお願い」
「……当主様。貴女が一声かけてくださればこのジジ、禁域だろうが死地だろうがついていきまする」
「そうよっ。お姉ちゃんが死んじゃうなら、私も死んじゃうから!」
今思えば、最後の会話だと云うのに、自分は相手のことをどれほど考えていただろう?
本当に云いたかったことはそんなわがままではなかったはずなのに。
「もー、ジジったら、あなたのせいでレルルまで変なこと言い出しちゃったじゃない。困ったなあ……あ、そうだ、ねえレルル、お姉ちゃんと賭け事、しよっか」
「賭け事? でも、そんなことしちゃいけないっておばあちゃんが」
「いいのいいの、現当主であるお姉ちゃんが許しますっ。
そうだなぁ……じゃあまず、もしこの先レルルが本当に死んじゃいたくなっちゃったら、せめてこんな風に死ぬぞーって、宣言してくれる?」
「と、当主様。いくらなんでもそれは……」
「え、ええ、でも、その。どんな風に死んじゃうかなんて、すぐには決められな――」
「ぷぷっ! はーい時間切れー。じゃあお姉ちゃんが決めたげる。そうね、死ぬならやっぱりお空になるべく近いところから、ひと思いにぴょーんって飛ぶに限るわね。できれば最後に、お日様の光をたくさん浴びながらが良いかなぁ。あとあと! できる限りにおめかししてね。お姉ちゃんの金鏡、髪につけて良いから!」
無邪気で屈託なく、お散歩の提案でもするかのように決められてしまった、自殺の条件。
今思えば、条件なんて何でもよかったのだと思う。
ただ、全部実行するのがおっくうになったり、実行する過程の中で思い直す時間を作るために、用意してくれたものだと分かる。
「……お姉ちゃん、私のことかつごうとしてる」
「うっ、そ、そこまで云うか。ちっこいくせにもうそんな言葉覚えちゃって……わかった、じゃあもう一つの賭けごとはこうしましょ。
もしレルルが私と同じ年になるまで、好きな人が一人も出来なかったら、お姉ちゃんのまけ。そのときは、さっき云ったとおりの良い日にすっぱり死んで、こっちにおいで。
でももし、それまでにレルルに好きな人が出来たとしたら、そのときは――」
うん。今思えば、やっぱり担がれたのだと思う。
幼心に、論点のすり替えや問題の先延ばしが巧い人だとは思っていた。普段のんびり屋で、年の離れた妹の膝に甘えて眠っちゃうような抜けたところもあったけど。
だからこそ。
やさしくぎゅっとしてもらって、頭をなでてもらって。
大丈夫……レルルならきっと、大丈夫。お姉ちゃん、信じてるからね。
嘘偽りない気持ちで、大好きな人にそう云われてしまったらもう、断れる訳がなかった。
「……して、どうじゃった」
「は、ただ一言の悲鳴もあげられることなく、お役目、見事におつとめになられた、とのこと。ただ、夜明けの祭儀の場にジジが半死半生で倒れていたと、ア=ルエゴのメトトから知らせが。今夜が峠とのことですが、喉に深手を負っており、もし持ちこたえたとしても一生口の利けない身となるでしょう」
「まこと、愚かなやつじゃな……これであやつも身に染みたであろう。人は、”厄災”に抗うことは叶わぬ。我らにできるのは、血をもって贖うことだけじゃとな」
「あっ、れ、レルル様。いつからそこに」
「おや、レルル。起きてきてしまったのかぇ。どれ、こっちにおいで」
おばあちゃんは厳しい人だったけれど。嫌いではなかった。お母さんがいなかったから、お姉ちゃんが忙しければおばあちゃんと一緒に寝ることもあった。
――もうこれで、ジジが”厄災”について語ることも、運命を変えようなどと騙ることもあるまい。あれには死ぬまで、この子の傍にいてもらわねば。近頃輪をかけて無鉄砲さに磨きがかかっておるからねえ。
嫌いではなかったけれど。苦手ではあった。この人の口から素直な言葉を聞いたことがなかったから。それが年寄りなのだというならば、自分はそれになりたくないとも思った。
「……ジジ、平気? それ、もう痛くない……?」
ふっふっふ。触ってみますかな? 見た目はちと気色悪いですが、触ってみると殊のほかぷにぷにしていて面白いですぞ。おおふっ、そこそこ、あーもっと、もっとつんつんと。そうそう……
「ぷぷっ! 変なの!」
ジジが私のわがままで死にかけて、それでも九死に一生を得て返ってきたときは嬉しかった。もう二度と口は利けないとみんな云っていたけれど、私とだけはいつでもお喋りが出来たから全く気にならなかった。むしろやり取りの窓口が一つだけになって、ジジの明るくてお茶目なところを沢山知ることができてからは、二人で一つの秘密を共有している気がして楽しかった。
もっとも、共有した秘密は楽しいものだけじゃなかったけれど。
「……ごめんね、ごめんねジジ、これを見せたくなくて、ずっと教えてくれなかったんだね。 ”厄災”の本当の姿のこと。お姉ちゃんの、最期のこと」
……お許しを。本当ならばこのジジ一人の腹の中にしまったまま、墓までもっていくつもりのものでしたので。
「ううん、謝らないで。私もこれで、あきらめがついた。こんなものがいたんじゃ、どうしようもないよね。本当に、」
本当に、なんて理不尽なんだろう。
いや、だからこそ、”厄災”という名が付されたのか。
もっとも相手が死神とか悪霊とか、そういうどうしようもないものならば、もっとすっぱりあきらめがついたのかもしれないが。
ごめんね。お姉ちゃん。
ちょっとでも、敵を討てるかもと思った私がばかだったみたい。
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