二章 入れ替わり立ち替わる姉妹 その2
●長女 知佳
わたくし──近衛知佳はチアの衣裳に着替えました。
なんですかこのスカートは。短すぎ! ノースリーブなので脇がすーすーします。落ち着かない!
(……なにより)
チアをする以上、こうして黒ストを脱がねばなりません。
わたくしは妹達と比べ、少し……本当に少し、脚がむちむちしています。ゆえにいつもストッキングを穿いて、引き締め効果でごまかしているのです。
(まあ見比べなければ、わからないでしょう)
廊下に出て、忍者のように身をひそめて歩きます。
人前に出るのは苦手。なので全校集会などの挨拶では、わたくしが書いた原稿を舞姫に読んで貰っています。女優なので、その語り口に感涙する生徒もいます。
体育館外の壁際に、牧原君……タイガー君がいました。
──さっきの映像を思い出し、改めてムカムカしてきました。
……まあ五人一役などしている、わたくしたち姉妹が悪いのです。怒れる筋合いはありません。
気をとりなおして、タイガー君へ近づきます。
『後半からの応援、がんばりましょう』と、声をかけようとしましたが。
(あ、ダメです。違うキャラを演じないと)
我ながらややこしいですが──わたくしたち姉妹は『服装や髪型を変えることでキャラを変えている』という設定。
今の服はチア。ならばテンションを上げねば。それに愛のように訛った口調にしないと。
タイガー君の前に行き、飛び跳ねて、
「後半からもがんばるべ! いぇーい!」
彼が目を丸くしています。
冷や汗が流れます……やりすぎたでしょうか。さじ加減がわかりません。
タイガー君を連れ、体育館の二階席へ。
後半の応援の開始です。
(愛が、どんな風に応援していたか──ヘアピン型カメラの映像で、ある程度知っています)
その真似をすればいいだけのこと。
たしか……『煌導学院──
いきます。
タイガー君は愛のチアを『妖精のよう』と褒めていましたが、長女たるわたくしの力を見せてあげましょう。
「煌導学院、GO fight win!」
そしてダンス。
ふぅ。我ながらいい感じではないでしょうか。
満足していると、タイガー君が慌てて声をかけてきます。
「こ、近衛さん、体調悪いんですか?」
「?」
「声、全っ然でてないですよ。それに、前半は素晴らしかったダンスが、見る影もないです。へろへろで、邪神に捧げる舞踏のようです」
わたくし的にはある程度、出来たと思ったのですけれど……ただ例え、酷すぎませんか?
「あと近衛さん、疲労がたまっているのでは?」
「なぜ?」
タイガー君は、心の底から心配そうに、
「脚が前半と比べて遥かに、むくんでいますから」
顔面にポンポンを叩きつけたくなりました。
(ど、どうせわたくしは脚が太……いえ、落ち着かないと。この子は何も悪くありません)
懸命に心を鎮め、言い訳します。
「前半の応援で、少し疲れたのかもしれま……しれねぇべ」
「じゃあ休んでてください。僕が近衛さんのぶんも応援します」
おお、頼りがいのある子ですね。
タイガー君はわたくしを座らせたあと、大真面目な顔で、
「ふくらはぎを軽く揉んでみてください。むくみがとれます」
(取れません。デフォルトで太いんです!)
ですが心を殺し、無意味なマッサージをします。なんでしょうかこの屈辱は。
タイガー君は両手を叩き、
「いっけーいけいけいけいけ煌導!」
さすが元球児。手慣れた応援です。
力及ばずながら、わたくしも声を出します。チラッと、彼の一生懸命な横顔を見ます。
(わたくしを引っ張ってくれるのですね)
なかなか、頼もしいところもあるようです。
……あと、これから学校ではストッキングをなるべく脱がないことにします。
ただ、試合は一方的な負け展開。すでに三十点も差がついています。さらに良くないことに、敵チームに荒っぽいプレイも目立ちます。
(あっ)
我が校の、助っ人の生徒が激しく倒されました。かなり痛そうに、足を押さえています。
(おそらく続けるのは無理……え?)
次第に……
生徒達の視線が、わたくしに集まってきます。
これは、まさか。
女子バスケ部員がわたくしを見上げてきて、
「近衛会長! メンバーが足りなくなったので、助っ人をお願いできませんか!」
冷や汗が、頬を伝います。
確かに『近衛・R・知佳』はあちこちの運動部で助っ人をしています。ですがそれは、二女の楓子の役割なのです。運動音痴なわたくしが出て行っても、醜態をさらすだけ。
無論断りたいですが、
「会長!」「会長!」「会長!」
体育館のあちこちから、わたくしを求めるコール。敵チームの荒いプレイに苛立っていた事もあるでしょう。皆、煌導学院が逆転するのが見たいのです。
どうしたら……と困っていると、
「待ってください!」
その流れに、ただ一人逆らう声。
タイガー君です。
「会長は応援で疲れてしまったようです。バスケができる体調では……」
「残り時間、そんなにないから大丈夫だろ」「肥だめ野郎は黙ってろ!」
冷たい声だけでなく、罵倒さえ飛んできます。
それでも毅然と反論するタイガー君。わたくしを守ってくれるのですね。
……ありがとう。
「タイガー君、大丈夫。行ってくるべ」
「でも──」
わたくしの脚を見て、タイガー君は痛ましそうに、
「むくみが、まだ全然取れてないのに……!」
悪意なき言葉って、余計に心に刺さるのですね。
バスケ部の女性監督が二階席までやってきました。ユニフォームに着替えさせるべく、わたくしを先導します。
タイガー君が見送ってくれました。その姿はとても心配そうで……わたくしへの一途な想いを感じます。
女子更衣室へ到着。
一緒に入ろうとする女性監督を制し、ユニフォームを受け取り、一人で中に入ります。
すると。
ロッカーの陰から──わたくしと全く同じ顔の、ショートカットの少女が顔を出しました。
二女の楓子です。ガムを噛みながら「おいっす」と手を挙げて、
「お疲れ姉貴」
「間に合ってくれましたか」
楓子は帰宅していましたが、愛に連絡をお願いし、更衣室に潜むよう頼んでいたのです。
バスケ部のギリギリな人数からすると『近衛・R・知佳』が助っ人を頼まれる可能性は高かったですから。ある程度先読みができないと、五人一役など出来ません。
楓子は一昨年まで住んでいたシアトルで、バスケをよくしていました。クラブ活動だけでなく、ストリートで成人男性と賭けバスケもしていたとか……ママと一緒に叱りましたけど。
「しっかし」
楓子がスマホを差し出します。そこにはわたくしが着けているヘアピン型カメラの映像が映っています。屋根裏のモニターだけでなく、各姉妹のスマホでも閲覧できるようになっているのです。
「さっきから映像見てたけど、タイガーって男気あるね。姉貴のことフォローしたり、かばったり」
「ええ」
「よっぽど姉貴のこと好きなんだな」
頬が熱くなり、思わず顔をポンポンで隠しました。
「お、姉貴が照れてる!」
愉快そうに、白い歯を見せる楓子。
それから制服を豪快に脱ぎ捨て、バスケのユニフォームに着替えました。
ウィッグをつけて、ポニーテールになります。ショートカットのままだと、他の姉妹と髪の長さが違うので、五人一役に支障が出るからです。
軽く動的ストレッチをしながら、
「んじゃ、暴れてくっかぁ」
不敵に笑うのでした。
●牧原大河
近衞さんが更衣室に行き、五分ほど経った。その間も煌導学院は一人少ない四人で試合を続けたため、すでに点差は四十点にもなっている。
敗戦ムードが漂う中、体育館のドアが開き──近衞さんがコートに出てきた。
(体調は大丈夫かな……って、わっ)
さっき助っ人を頼まれてた時は、小動物のように不安げだったのに……
今は獰猛な笑みを浮かべている。バスケのユニフォームに着替え、ポニテにすることで『スイッチが切り替わった』のかな。
近衞さんが加わり、試合が再開する。
早速パスを受け取った近衞さんは、ゆったりとドリブルを開始……
(え!?)
突然トップスピードになり、もう二人抜き去った!
敵の守備も決して下手じゃない。だが近衞さんのドリブルの緩急の巧みさ、高速の
ゴール近くへ走り込み、そのままレイアップシュートへ。
しかし身長百八十センチはある敵ディフェンスが跳躍し、手をかかげる。高い。これは超えられない──
(は?)
なんと近衛さんは空中で横に一回転し、敵ディフェンスをかわし、ひょいっと下からシュートを放った。なんだあの滞空時間の長さ?
ボールはゴールに吸い込まれ──大歓声が起こった。
「なんだあれ。マイケル・ジョーダンの動画か!」「きゃー! さすが会長!」
敵チームは呆然としている。
そこからも近衛さんの独壇場だった。敵のボールを何度もカットし、スリーポイントは勿論のこと、ダンクすら決める。集中マークされると手薄な味方へキラーパスを送る。
僕は声を嗄らして応援した。観客の生徒達も、その一挙手一投足に酔いしれる。コートの中で、近衛さんが圧倒的に輝いている。
(野球してた時、いずれプロになるような選手を何人も見たけど)
近衛さんの体のキレはそれ以上だ。
豪快だけど、技術は繊細で。
ゴールを決めたあとの笑顔が無邪気で。
顔の汗をユニフォームの裾でぬぐうと、細いお腹が見えて、それが色っぽくて……
(近衛さん、こんな一面もあるんだ)
大人しい普段とのギャップに、またもドキドキが止まらない。
そして。
煌導学院は四十点差をひっくり返し、勝利した。
その立役者たる近衛さんは、バスケ部員に囲まれるが……それを振り切って駆けだした。
あれ? 二階席に上がり、こっちへ手を振りながらやってきたぞ。
「ありがとなタイガー! お前の応援ガンガン届いてたぜ!」
生徒達の、僕への嫉妬の視線がすごい。
──でも近衛さん、また口調が変わってる。このキャラの時は、男勝りになるようだ。
近衛さんは僕の両頬を手で挟み、額をゴチンと合わせてきた。うわ、顔めっちゃ近い!
「さっき、かばってくれてサンキュー。おまえ男気あるじゃねえか」
僕は、のぼせそうになりながら、
「い、いえ。近衛さんのためなら、なんでもありません」
「!!」
近衛さんの目が、ぎらぎら輝く。
獲物を前にした肉食獣のようによだれを垂らし……よだれ?
「ち、近くで見ると、超絶可愛い顔してるな……やべっ。アタシの好みドストライク」
凄いこと言われたよ。
つきあえる可能性が、生まれてきたかもしれな──って。
今度はなんと近衛さん、僕を引き寄せて豊かな胸に抱きしめた。え、何で!? 汗のせいか、すごく蠱惑的な香り!
「いいかテメェら。耳かっぽじって、よぉく聞きやがれ──」
近衛さんは、体育館の生徒達を睨みつけ、
「牧原大河はアタシのお気に入りだ! 以後こいつを『肥だめ野郎』なんて馬鹿にしたら、絶対許さねぇからな!!」
(……!)
な、なんか泣きそう。
この人に、またも惚れ直してしまった。
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