駄目人間の巣
第9話 『駄目人間』上司
ランの部隊の部屋からしばらく歩いた先にドアがあった。この時初めて気づいたが、各部屋には札のようなものがついていた。そのランが立ち止まった部屋にもそれがあった。
「『隊長室』か……」
自分に言い聞かせるようにして、誠はその札を読み上げた。札がついている以外は特に他の部屋とかわらない。ランはその部屋にノックをしようとして、やめる。
「言っとく。ひでーものをこれからオメーは見ることになる」
少し怒りに震えながらランはそう言った。
「ひどいもの?」
誠は何のことだか分からずそう返した。
「そうだ、ひでーもんだ。まあ入ればわかる。もし入隊を拒否するのは構わねーが、一応、アタシが隊長の面倒をみてるから、結局、アタシのところに話は回って来る。そん時は全部『嵯峨惟基が悪い』で通してくれ。頼むわ」
ランは明らかに怒りの表情で隊長室の壁を見つめた。
「面倒をみるって……大人でしょ?ここの人って」
ランは本当にあきれ果てたという顔をして誠を見上げてくる。
「戸籍上と見た目はな。じゃー入るか」
そう言うとランは大きく息を吸い込んだ。
「オメーは問題児にはならねーように見えて、火に油を注ぐタイプだな」
そうランはささやいた後、隊長室の扉をノックした。
『いーよー入っても』
誠にも聞き覚えのある間抜けな声が室内から響く。
ドアの中を見たランは頬を引きつらせながら、足を踏みしめて室内に入っていく。誠もそれに続いて隊長室の中に入った。
「おい、駄目人間」
ランがそう言い切った。隊長室のドアを入ったばかりの誠にはその言葉の意味が理解できなかった。
「駄目人間だよ、俺は。そんな事、十分理解してるから。今更、指摘しないで……ふーん、そうなんだ。次、はこいつを頭にして……」
隊長室の大きな机の前にランと並んで立った誠は目の前の大きな机の向こう側に座っている男に目を向けた。彼こそが誠を『ハメた』張本人。すべての悪の元凶、嵯峨惟基特務大佐その人だった。
嵯峨はタブロイド紙のようなものを読みながら携帯端末をいじっている。その目は眠そうで、これまで誠が見てきた嵯峨の姿が母に会うためにそれなりに取り繕ったものだったかを感じさせるほど緊張感のかけらもないものだった。
「駄目人間。常識人だったら勤務中にオートレースの車券の予想なんてしねーんだよ。自重しろ、バーカ」
一応は上官である。冷や冷やしながら誠はランに目をやった。軽蔑を通り越し、汚物を見るような目がそこにあった。
「すること無いんだから仕方ないじゃないの。時間は有限だよ。有効に使わなくちゃ……このレースは予選だから……重賞でのハンデをどう読んでくるかだよな……どうしようかなー」
ランは大きなため息をついた。
「時間がどうこうなんて話をしてんじゃねーんだよ。仕事中はちゃんと仕事をしろって話をしてんだよ」
ランは初めてこの光景に立ち会った誠から見ても、何度も同じセリフを繰り返してきたことがよくわかるようにすらすらとそう言った。
「あのー隊長が読んでる……のは……もしかして……」
「そんな遠慮して隊長なんて呼ばなくていいよ。駄目人間とか脳ピンクとか呼んで。俺、プライドの無い男ってのを売りにしてるから。これ?オートレース知ってるよね?」
「はあ、一応」
誠は競馬は多少興味があったが、オートレースはその存在は知っているものの、全く興味が無かった。
「詳しく説明すると隣の『風紀委員』が怒るからやめとくわ。そしてこれがその予想新聞。結構、しっかり取材してくれてるから便利なんだ……予想の意見は色々俺とは対立しているけどね」
嵯峨はそう言うと携帯端末を机に置いた。
「これでいいんだろ?中佐殿」
未練たっぷりと言う感じで嵯峨は渋々端末から手を放す。
「そのオートレースの『
ランはまさにごみを見るような視線でそう言った。
「『赤新聞』って言うのは競輪の予想の新聞の通称だよ。オートレースの予想の新聞は『赤新聞』とは言わないんだけど」
ここまで駄目な人間が母の知人だということに誠はショックを受けていた。変な大人だとは思っていたが、ここまでひどいのを目撃したのは初めてだった。
「つまんねー御託を並べるんじゃねー。駄目中年」
さすがのランもキレた。これまでで、見た目は幼女で口は悪いが、ランは伝説のエースにふさわしい大人物であることは誠にもわかった。
その上司が勤務中にギャンブルの予想を堂々としている男である。
誠は室内を見回した。その光景がまたイカレテいた。
一番目に付くのは壁際にある日本の鎧である。日本史の知識が無い誠にもはっきりとそれとわかる黒い鎧がある。まずこれが目に付く。その隣には和風の弦楽器、たぶん『
その他は雑誌の山。多分ギャンブル系の雑誌なのだろう。目の前でランに威嚇されて嵯峨はオートレースの予想紙を隊長らしい大きな机にある袖机の引き出しにしまった。
他にも戸棚が二つあるが、どうせろくなものが入っているわけではない。
『こいつは……正真正銘の駄目人間だ』
誠は軽蔑の目で嵯峨を見つめながら、どんな啖呵を切って辞めてやるかを考えていた。
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