第4話 マーカスとソフィー

「ロバートは毎日のように裏帳簿を眺めてますんでね。あれが無くなったら気づくに決まってます。ですので、急いで書き写してきました。綺麗な文字とは言えませんが、判読さえできれば事は足りますんで」


 そう言ってジミーは紙の束をテーブルの上に載せた。確かに急いで書いたのだろう、インクが擦れたり滲んだりしている部分がある。


「情報の取引に関する帳簿であることは間違いありません。しかし残念ながら、わかりやすい一覧表にはなっていないんですなあ。抜け目のない奴ですよ、日付や金額といった数字以外は、すべて暗号化している」


 その場にいる全員が、ジミーが書きつけてきた記録をまじまじと見つめた。


「これなどは、随分と大きな金額だな。他とは桁が違う」


 ルーファスが書類の一部分を指さす。


「ギルガレン家の地下通路の情報への対価だったとしても、驚きはない。何しろ我がグレイリング帝国の安全にかかわる情報だ。ロバートも危険な領域に手を出していると、はっきり自覚しているはず。できるだけ急いで金の出所を調べなければならない」


 弟の言葉に、トリスタンが大きくうなずいた。


「調査のための人手がいるな。そして資金も。持ち出してきた利用者名簿や宿帳の中に、必ず役に立つ情報があるはずだ。点と点を結び付けて、しらみつぶしに探していくしかない」


「ええ、骨は折れるでしょうが。ロバートも取引相手も、細心の注意を払っていることは間違いないですし」


 ルーファスが指先で眉間を揉む。

 それを見て、ジミーが自信たっぷりに微笑んだ。


「おまかせください。仲間の能力も駆使して、すべての線を追いますよ。必ず誰かへ行きつくはずです」


 ミネルバは書類や宿帳を眺めながら、頭をフルスピードで回転させた。


「これほどの大帝国に危害を加えて、争いを引き起こす勇気のある国となると、ガイアルしかありませんが……。ギルガレン城の情報を欲しがっている人物の真の目的が、グレイリングとは違うところにある可能性も否定できませんね……」


 トリスタンが眉を上げる。ルーファスが体ごとミネルバの方を向いた。


「差し出がましいことを言ってごめんなさい。でも、思ったんです。ギルガレン城の地下通路ほど大がかりなものではないにしろ、歴史のある建物には不測の事態に備えて、多くの秘密扉や通路が隠されている。もしも大工や石工といった職人が同じなら、造られたものは多少、似てくる……」


 ミネルバはさらに言葉を続けた。


「グレイリングに従属している国々は、先を争うように帝国の文化を取り入れていますから。どのような分野の職人であれ大歓迎なんです。ですから、ギルガレン城と似た建物が、どこかにあってもおかしくはないと思って。とても警備の厳しい、重要な建物の可能性もあるのではないかと」


 ミネルバの主張を聞いて、トリスタンが身を乗り出した。


「確かに。ギルガレン城の建築に携わった職人たちは、他の人物のための仕事もしているだろう。我が国はガイアルと違って、秘密保持のために職人を全員殺すような野蛮なことはしないからな。しかし五百年前の初代皇帝も、守秘義務に違反する者には厳しかったはず。まったく同じ造りの地下通路は存在しないだろうが……似たような仕掛けなら、あってもおかしくはない」


 ルーファスが大きく息を吸い、それから感心したような顔でミネルバを見つめた。


「ありがとうミネルバ。私たちはどうしてもグレイリングを中心に考えてしまうから、その発想はなかった。そうだな、他国への侵略のために、我が国の情報が利用される可能性もあるんだな。ギルガレン城の地下通路と似たような仕掛けを持つ建物がどこかにないか、徹底的に調べさせよう」


「たとえ見込み違いに終わったとしても、そこは潰しておかなくちゃならない線ですな。ロバートがどういう理由で情報を漏らしたにせよ、反逆行為には違いないですし。私はちょっと失礼しますよ、仲間に追加の指示を与えたいので」


 ジミーが慌てたように言い、そそくさと出て行く。後に残ったのは、ソフィーとギルガレン辺境伯の重いため息だった。


「過ぎたことは、泣いても喚いてもどうにもできないが……。ロバートは見た目は美しいが、心は違った。自分の目的を果たすためなら、手段を選ばないずる賢い男だった。奴の熱意に負けて、身辺調査もせずに婚約を了承してしまった。心の底から悔やんでいる。すまなかった、ソフィー」


「お父様のせいではありませんわ。私たちは幼馴染で……おじい様とおばあ様に預けられていた十年間、親しくしていたんですもの。私がギルガレン城に戻ってからの四年間で、あの人は変わってしまった……。いいえ、やっぱり違うわ。最初から私、あの人の事をちっとも知らなかったんだわ」


 父親に頭を下げられて、ソフィーが顔を歪める。


「私の婚約者と知っていながら、平気でロバートの気を引こうとしたミーアは愚かだったけれど……結局はあの子も、利用されただけだったわね。ロバートは私たち姉妹を傷つけて、屈辱ばかり味わわせた……」


「ミーアはもう、ポールター修道院以外に行くところはない。皮肉な話だが、あそこは確実に安全な場所だからね」


「隔絶した場所にある修道院なら、ロバートも接触できないものね……」


「お前がミネルバ様の女官になったことが、私にとっては救いだよ。翡翠殿もまた、ロバートからは遠い場所だ」


 ギルガレン辺境伯は、未だにソフィーの手を握り締めたままのマーカスを見た。


「マーカス様。ソフィーが立ち直るために、どうか……どうか力をお貸しください」


 途端にマーカスの顔つきが引き締まる。


「そ、それはもちろん──」


「駄目よお父様、マーカス様にご迷惑はかけられないわ! だって私は、これといって特徴のない、つまらない女ですもの。従順で、大人しいだけの……だからロバートから、あんな仕打ちをされた……」


「ソフィーさん! そんなこと言っちゃ駄目だ!!」


 声に怒りをたぎらせて、マーカスが立ち上がった。彼はソフィーの横で片膝をつき、改めて彼女の手を握り締めた。


「ソフィーさんは、とても古風な人だ。上品で、美しくて、優しい心の持ち主だ。おまけに有能で、どうやったら釣り合えるか、俺はいつも考えているんだ」


 マーカスはソフィーを安心させるように、ゆっくりと言葉を紡いだ。


「俺にもそれなりの富はあるが、ソフィーさんを満足させられるかどうかはわからない。でも俺は……俺は、ロバートの件がすべて終わったら、あなたに求婚したいと思っている」


「マーカス様……」


 ソフィーの口からかすれた声が出る。白い頬に涙が伝った。彼女は涙を払うように何度もまばたきをした。それから気を静めるように大きく息を吸って、恥ずかしそうな声で答える。


「マーカス様、私……そう言って貰えて、とても嬉しいです」


「ソフィーさん……っ!」


 マーカスが満面の笑みを浮かべた。

 ミネルバは叫び出しそうになるのを必死でこらえた。壁際に立っているロアンが小さくガッツポーズをしている。トリスタンとルーファスからは、喜んでいる気配が感じられた。 


(マーカス兄様とソフィーのためにも、ロバートが情報を流している人物を、一刻も早くつきとめられたら……)


 そのために、ほかならぬ自分自身の能力が使えるかもしれなかった。ミネルバはテーブルの上に置かれた、分厚い宿帳をじっと眺めた。

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