第2部5章

第1話 帝都デュアート

 宮殿へと続く道の両側には、数えきれないほどの国民が並んでいた。グレイリングとアシュラン、それぞれの国旗を振っている。


「ミネルバ様、ようこそいらっしゃいました!」


「おかえりなさいルーファス殿下!」


 ミネルバたちは特別製の儀装馬車で、ゆっくりと街道をパレードした。ずらりと並んだ衛兵の隙間から、人々の大きな声援が上がる。


「ミネルバ、手を振ってあげてくれ」


 隣に座るルーファスに促されて、ミネルバは群衆に向かって手を振った。詰めかけた人々の歓声がいっそう大きくなる。


「こりゃすごいなあ。ミネルバとルーファス様の婚約は、国民に受け入れられてるんだなあ」


 ミネルバの向かい側に座り、馬車の窓からぽかんと群衆を眺めていたマーカスが、感無量といった表情になった。


「小国出身のミネルバの幸せは、国民にとっては心温まる話題なんですわ。婚約式や結婚式に向けて、熱狂的なミネルバ・フィーバーが巻き起こるんじゃないかしら」


 マーカスの隣に座っているソフィーが微笑む。

 早朝にシーリアの実家であるベンソン侯爵家を出発し、休憩のために立ち寄った宿でパレード用の儀装馬車に乗り換えていた。旅行中はいろんな組み合わせで馬車に乗ったが、この四人が同乗したのは今回が初めてだ。


「さすがは世界一の大都市だけあって、建物が新しくて清潔だなあ。古い建築物もよく手入れされている」


「今日はパレードのために規制されていますけれど、普段の活気には魅了されますわよ。デュアートはとても国際的な街で、観光客も多いんです」


「羨ましいな。我が国も観光客を呼べればいいんだが」


「ミネルバ自身が宣伝になりますわ。アシュランは皇弟妃様の生誕の地になるのですもの。それに素敵な三兄弟がグレイリングの社交界で話題になれば、より観光業が潤うに違いありません」


「いやあそんな、素敵だなんて、照れるなあ」


 あははははは、とマーカスが大声で笑う。すっかり仲良くなったマーカスとソフィーを見て、ルーファスの顔に驚きと感心の入り混じった表情が浮かんだ。


(いつの間にあんなに仲良くなったんだ?)


 ミネルバの耳元で、ルーファスが小声でささやく。


(多分……兄のように身近な存在に感じているんだと思う。この二週間、マーカス兄様はずっとソフィーに気を配っていたから。自分の背中で風から守ったり、吠えてくる犬を追い払ったり。宿泊先の図書室で、ソフィーが高い場所から本を取ろうとしたときは、踏み台代わりになろうとしたし……もちろん断られてたけど)


(献身的だな。男気を賞賛せずにはおれない)


 マーカスの気持ちは周囲からは見え見えだったが、ソフィーが気づいている様子は欠片もない。そんな二人の様子を見て、ロアンでさえ「涙を禁じ得ない」とつぶやいていた。


(それでなくてもマーカス兄様は動作が荒っぽいから、真意が伝わりにくいし。何ていうか、ただのいい人って感じで。さりげないアピールが力自慢にしか見えないの)


(だが下手に好意を見せられたら、ソフィーは辛くなるんじゃないか?)


(そうね、しばらくはこのままでいいのかも)


 ミネルバは手を伸ばして、ルーファスの眉間の皺を軽く撫でた。


「おいおいミネルバ、ここは二人だけの場所じゃないんだぞ」


 マーカスが熱いと言わんばかりに手で顔を扇いだ。ソフィーが優しく微笑む。


「人前で仲の良さを示すのも公務の一環ですわ。馬車を見ている女性たちが、すっかり夢見心地になっていますでしょう?」


 ミネルバは頬が赤くなるのを感じた。

 ひそひそ話をしていただけなのだが、傍目にはルーファスの肩に頭をあずけているようにしか見えなかっただろう。


「愛情をちゃんと見せるのは大事なことです。ミネルバを守ることにもなりますから。ルーファス殿下、これからもいろいろな形で表現してくださいませ」


 ソフィーがルーファスに笑みを向けた。たった二週間で女官としての貫禄がにじみ出ている。

 ルーファスは落ち着いた声で「善処しよう」と答えたが、少しだけ頬が赤くなっていたので、うわべほど冷静ではないことがわかる。

 やがて群衆が遠ざかり、儀装馬車は果てしなく続くかと思われる城壁に沿って走っていた。壁の向こうには、堂々とそびえる尖塔だけが見えている。


「そういえばマーカス様、砂合わせの儀式に使うアシュランの砂は、荷物の中に入っていますの?」


 ソフィーが尋ねると、マーカスは首を横に振った。


「それは持参金と一緒に、兄が持ってくることになっているんだ。最初からグレイリングの帆船に乗せて貰えば、アシュランからはあっという間だ。陸路で持ち歩くよりも安全だからな」


 砂合わせというのは、グレイリングの皇族だけが行う伝統的な儀式だ。二人が婚約することを祖先に報告するために、それぞれの故郷の砂を混ぜ合わせる。

 ミネルバの場合はバートネット公爵領の砂が、金貨や絹織物、宝石といった持参金と一緒に運ばれてくる予定だ。


「もうすぐ宮殿が見えてくるぞ」


 ルーファスの言葉に顔を上げる。すぐに馬車が角を曲がった。窓の外に見えた光景に、ミネルバは思わず息をのんだ。

 それはアシュランの王宮よりも遥かに大きかった。威容を誇る宮殿を見て、畏敬の念を覚えない者はいないだろう。

 緊張で背筋が震える。ミネルバは「落ち着くのよ」と自分に言い聞かせながら、婚約指輪に触れた。

 ルーファスの温かい手が、そっとミネルバの指先に重ねられる。


「緊張したときは、私を見たらいい」


 ミネルバは言葉通りにルーファスの顔を見た。彼の黒い瞳が、あらゆる不安に一緒に立ち向かおうと言ってくれていた。

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