第2話 王太子ジャスティン
「それではジャスティン、私の近くへ来なさい」
「仰せのとおりに、陛下」
トリスタンの言葉に、ジャスティンは深くお辞儀をしてから従った。アシュランのすべての貴族が見守る中、彼は高台の三段目まで登った。そしてもう一度お辞儀をする。
ジャスティンは頭を上げたとき、トリスタンの目をまっすぐに見た。その顔からは強い決意が感じられた。
「グレイリングの皇帝である私と、我が国の議会は、ジャスティン・バートネットが王位を継承することを認める。今後はアシュラン姓を名乗り、国民の幸福と未来のために献身的に励むように」
トリスタンが慈愛に満ちた笑みを浮かべる。
「ありがとうございます。祖国アシュランのために尽くし、そして宗主国グレイリングのために尽くすと誓います」
ジャスティンは礼儀正しく、そして堂々した態度で答えた。
グレイリング側の随行員たちが、ジャスティンの背中を値踏みする目で見つめている。
廃嫡されてしまったフィルバートは、多くの非難と軽蔑を浴びてしかるべき事件を起こした。アシュランはもう二度と面目を失うような真似はできない。
公爵家の嫡男として生まれ、かなりさかのぼれば王家の血が混じっているとはいえ、ジャスティンは王太子になるために生まれてきたわけではない。
いまやどこから見ても毅然とした王太子だが、側近として人生の半分以上を捧げたフィルバートの人生が転落の一途をたどったことで、心の奥に痛みを隠している。
(それでもジャスティン兄様なら、この難局を乗り切れる。勇気と誇りをもって責任を果たすことができる)
武力によって併合され、アシュラン独自の文化を知らない統治者が送り込まれてくる可能性もあったのだ。
この国の受けた傷を癒すために、ジャスティンは自分にできることをなんでもするだろう。
「ジャスティンなら大丈夫だ。彼ならば、未来のために何が一番いいのかを考えることができる。アシュランの伝統を尊重する、国民が誇れる王太子になれるだろう」
ルーファスが小さな声で言う。ミネルバは「ええ」と囁きを返した。
(ジャスティン兄様は、死に物狂いで頑張るに違いないわ。国民のために、自分自身のために、そして……フィルバートのために)
そんなことを考えていると、トリスタンに促されてキーナン王とオリヴィア王妃が壇上に登ってきた。二人の体は歩けるほどに回復したとはいえ、高齢ゆえに身体機能が低下していることは否めない。
この式典さえ無事にこなせば、彼らは名目上の存在となって責務をジャスティンに引き渡すことになっている。
責任を取るという意味もあるが、やはり執務を続けるほどの体力がないことが大きい。ようやく静かな余生を送ることができるわけで、精神的な負担が軽くなったおかげか、二人ともすっきりとした顔をしていた。
それでもたったひとりの孫であるフィルバートのことを思えば、胸が痛いに違いない。ミネルバは彼らの余生が穏やかな幸福と光に満ちたものであるように祈らずにはいられなかった。
(すべてがジャスティン兄様の肩にかかっている。早く心を分かち合える女性と出会えればいいのだけれど……)
ジャスティンは24歳だが、王太子の側近としての務めに邁進するあまり、つねに自分のことは二の次だった。
フィルバートとミネルバの結婚を見届けてから、ゆっくり相手を探せばいい──そんな風に思っていたらしいが、ミネルバの婚約破棄と社交界追放のあおりを受けて、彼に近づいてくる淑女はいなくなった。
(国王として即位する条件は妻帯すること。どこの国でも王太子の結婚前に国王が崩御することはありうるし、その場合は特例が適用されるけれど。アシュラン国内でジャスティン兄様が心から愛せる、良識ある誠実な女性を探すのは……難しいかもしれないなあ)
我が兄ながら、ジャスティンは女性が男性に求めるものをすべて備えているとミネルバは思った。王太子妃、そして王妃となる女性を、生涯ただ一人の人として愛し抜くに違いない。
二段下の壇上で、ジャスティンが貴族たちに向けて演説をしている。昂然として顔を上げて、自信に満ちた声を出して。
演説が終わり、貴族たちが新しい王太子に拍手喝采を送った。ここから先は、しばし歓談の時間だ。
大広間に溢れかえる人々の口から、楽しいお喋りの声や笑い声が上がる。この日のために用意された美味しい料理に突進するロアンの姿が見えた。広間中央はダンスのための場所で、王宮付き楽団が待機している。
「ルーファス、ミネルバ、行っておいで。この場で一番最初に踊るのは、お前たちがふさわしい。ジャスティン、グレイリングの貴族たちが君と話したいと、手ぐすねを引いて待っているぞ」
トリスタンが明るい声を出した。彼は身軽に三段目まで下り、キーナン王とオリヴィア王妃へと近づいた。
「陛下……お会いできてどんなに光栄か……」
ひざまずいて頭を垂れようとする二人の老人を制し、トリスタンは彼らを玉座へと導いた。
「キーナン王、オリヴィア王妃。我が父グレンヴィルの忠実な友であったあなた方と会えたのは、私にとってもこの上ない喜びだ。今日は父から伝言を預かってきたのだ」
セラフィーナとレジナルドも三段目まで下りる。使用人たちが素早く動き、皇帝一家のための椅子を運んできた。
国王夫妻は世界最長の在位期間で、よその国々からことのほか尊敬されていた。その労をねぎらうために、トリスタンたちはしばらくここで話をするのだろう。
「ミネルバ、ジャスティン、私たちは下にいこう」
ルーファスに促されて段から降りると、会場内の空気が変わった。会場内に顔をそろえた貴族たちの間にざわめきが広がる。
「お祝いを言わせてくださいませミネルバ様!」
「私はミネルバ様が酷いことをしただなんて、一瞬たりとも思ってはおりませんでしたっ」
「信じていなかったのは私もです、ミネルバ様は心の澄んだ誠実なお方ですもの」
「皇弟殿下とのご結婚がお決まりになったこと、心からお祝い申し上げます。なんて素敵なロマンスなんでしょう!」
「災い転じて福となすとはまさにこのこと、グレイリングとの縁が強固になるとは、アシュランには神の御加護があるに違いませんなあっ!」
紳士淑女が興奮の面持ちで、甲高い声をあげて近づいてきた。
誰もがこれまでとは打って変わった尊敬のまなざしを向けてくる。ミネルバは毅然と振る舞いながらも、内心で苦笑せずにはいられなかった。
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