第5話 最初で最後の謝罪

「私は、どうしようもなく馬鹿な男だな……」


 フィルバートは喉の奥から絞り出すように言った。彼の涙にまみれた顔を、ミネルバはただ見つめていることしかできなかった。


「ないものねだりばかりで、勝手に憤って、勝手に恨んで。そんな自分が嫌でたまらなかった。死に物狂いで努力することもできず、かといって完璧ではない自分を受け入れることもできず……」


 フィルバートのかたわらにジャスティンが屈み込んだ。そして、かつての主君の肩に腕を回した。


「結局のところ、私は全員を不幸にしただけだ。セリカはもちろんのこと、じい様もばあ様も、ジャスティンもマーカスもコリンも、そしてミネルバも……。私の心の傷は、自らの愚かさが招いた傷だ。でもそれを言い訳に、最後の最後まで逃げようとした。いつものように楽な方に逃げて、現実から顔を背けて……」


 激しい慟哭を聞いていると、胸が張り裂けそうになる。そのとき右手の指輪が小さく輝き、光の球体が揺らぎ始めた。

 ミネルバは息を呑んで、薄れゆくルーファスやロアン、そしてフィルバートに懺悔する力を与えたに違いないセリカを見つめた。彼らの姿が完全に消え去り、フィルバートの泣き声だけが後に残った。


「……すまなかった、ミネルバ。謝って許されることではないが……私は不誠実で残酷だった。君を前にすると、自分が弱い人間だと思い知らされる。自分の弱さ、不甲斐なさに恥じ入りたくなる。それを認めたくなくて、君を下に見ることで自分を大きく見せていたんだ……」


「フィルバート様、私は……」


 ミネルバは口ごもった。過去の思い出が一気に蘇り、頭の中で渦を巻く。

 初対面で苦手意識を持ったこと。二人の間にあった深い溝のこと。埋めようとしても無駄だと諦めた日のこと。一度たりとも女としてのプライドが満たされず、つらくて苦しくて心がぼろぼろだったこと。

 涙が溢れそうになって、ミネルバは無理やり笑顔を浮かべた。

 ミネルバとフィルバートの人生が交わることは二度とないだろう。婚約者同士だった二人の十年間が、憎しみだけで終わるのは悲しすぎる。人生の半分以上を占めている時間のすべてが失敗だったとは思いたくない。


「私も苦しんできましたが……フィルバート様も苦しんでこられたのだと思います……。私があなたを理解できていれば、違う未来があったのかもしれません。でも時をさかのぼることはできない……あなたがやってしまったことはあまりにも罪深く、グレイリング帝国は厳しい態度で裁くでしょう」


 ルーファスはセリカに対し、フィルバートの命を助けるとは明言しなかった。できなかったというのが正直なところだろう。

 一連の出来事を引き起こしたのは間違いなくマーシャルで、恐らく彼は迅速に裁かれる。しかし被害者の側面もあるフィルバートとセリカには、慎重な調査が必要だ。だから罪の報いを受けさせるまでに、ある程度の時間をかける──宗主国からすれば、それだけでも十分慈悲をかけていることになるはずだ。


「……卑怯なまま死ぬのは……嫌だな……」


 フィルバートがぼそりと言った。その言葉には偽らざる気持ちがこもっていた。すべてを失って空っぽになったフィルバートから、憎しみも悲しみも、いかなる種類の負の感情も消え去った瞬間に生まれたものだ。


「……私は極刑に処されて当然だ……だが死ぬ前に、心の底から変わりたい……変わらなければ、絶対に自分を許せないだろうから……」


「フィルバート様、あなたはもう変わり始めていると思います」


 ミネルバはフィルバートの前で膝をついて、目線の高さを合わせた。

 死ぬことも生きることも、自分の思い通りにはできなくなって初めて、フィルバートは自身の傲慢に対する罪をつぐないたいと考えた。たとえ命が助かったとしても、長い時間がかかるに違いないけれど。


「判決が下るまで、精一杯生きてください。自分なりの最善を尽くしてください。たとえうまくいかないことがあっても、最善を尽くした結果ならそれで十分なんです」


 フィルバートの目を真っすぐに見ながら、ミネルバは言葉を続けた。


「もう二度とお会いすることはないでしょうが……フィルバート様には残りの人生を、真っ当に誠実に生きてほしい。あなたはこれから、自分の犯した罪を背負っていかなければならない。どんな結果になっても、変わりたいと思ったいまの気持ちを忘れず、貫いてほしいです」


 言い終えると同時に、ある考えが胸に浮かんだ。

 降臨の地にフィルバートを連れて行こうと言ったのはロアンだが、それに賛同して実行に移したのはルーファスだ。

 セリカの魔力が暴走したときに、召喚者であるフィルバートが役に立つから──そんな理由だったと思うが、実際はミネルバにこの時間を与えるためだったのではないだろうか。まだミネルバの胸に残る、やり場のない思いを完全に吹っ切れるようにするために。


 フィルバートが深々と頭を下げ「ありがとう」とつぶやいた。そのひと言に、彼の精一杯の気持ちが込められているのがわかったから、ミネルバの胸はすっと軽くなった。


「ルーファス殿下とのこと……おめでとう。いまはただ、君が幸せになってくれることを願うばかりだ。いや、間違いなく幸せになれるな」


 純粋な思いから発せられたに違いない言葉に、ミネルバは微笑みながらうなずいてみせた。テントの外がにわかに騒がしくなる。どうやら時間が来たらしい。


「さようなら……」


 ミネルバは小さくつぶやいた。熱い涙が目にこみあげる。

 何人かの兵士がなだれ込んできて、フィルバートの周囲を取り囲む。彼は素直に立ち上がり、ジャスティンとコリンに左右から支えられながらも、しっかりした足取りでテントを出て行った。

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