第2話 フィルバートの提案1

 愛馬を全速力で走らせる。ほどなくして、数人の男たちの姿が視界に入ってきた。長兄のジャスティン、彼の反対側にフィルバート、そして知らない男が2名。

 男たちの間に漂う空気が、がちがちに張り詰めているのが遠目にもわかる。彼らの馬は我関せずといった顔でのんびりと草を食んでいた。

 ミネルバは少し離れた場所で馬の速度を落ち着かせた。

 以前は兄たちが着用していた制服姿の2人の男を観察する。ジャスティンの鋭い視線にさらされて、彼らは怯え切っているようだった。どうやら新しい側近は、兄たちほど腕は立たないらしい。

 ミネルバは馬から降りて、近くの木に手綱を結んだ。マーカスとコリンも同じことをしながら、油断のない視線をフィルバートたちに送っている。

 三人でフィルバートのほうへ歩く。マーカスとコリンは会釈をし、ミネルバも軽くひざを折って頭をわずかに下げた。もちろん単なる儀礼で、敬意を込めたつもりは無い。


「ふん。女だてらに馬を乗り回して、恥ずかしくないのか。バートネット公爵家の連中は頭がおかしいに違いない」


 馬鹿にしたような口調でフィルバートが言う。ミネルバは少しも動じず、冷ややかな声で答える。


「淑女の乗馬は、宗主国グレイリング帝国では盛んに推奨されております。従属する国々は、先を争うように帝国の文化を取り入れているそうですわ」


「こ、ここはグレイリングではない! 我がアシュランは自国の文化に誇りを持っているんだっ! それに、じい様とばあ様は世界最長の在位期間で、よその国々からことのほか尊敬されている!!」


 フィルバートのけわしい眉がさらにつり上がった。

 国王夫妻に関しては、たしかにフィルバートの言う通りではある。諸外国が次世代にバトンを渡す中、ひとり息子とその妻を喪った彼らは、齢七十を過ぎても現役であり続けなければならなかった。

 グレイリングは属国に対して税金や軍役を課すが、独立的な地位は認めており一定の内政自治も許している。

 国王夫妻は先代皇帝との親交が深かった。長期にわたって先代皇帝の命令をよく聞いて、素直につき従ってきた国王夫妻のことは、現皇帝トリスタンも無下にはできない。 


(たしかに立派な人たちではあるのよね。孫の育て方を失敗したこと以外は……。もしフィルバートが国王だったら、即刻重たい罰が与えられたに違いないわ。寛大にも信頼を取り戻すチャンスが与えられたのは、長きにわたる国王夫妻の功労のおかげだって、この人ちゃんとわかっているのかしら……)


 ルーファスによれば、国王夫妻は皇帝トリスタンに丁寧なお詫びの手紙を送ったらしい。本当はグレイリングに馳せ参じて謝りたかったようだが、高齢の彼らは健康を害している。

 孫は王位継承前の準備期間であり、嫁ともども必ず更生させるので、どうかお目こぼし頂きたい──というような内容の懇願が実ったのは、国王夫妻の過去の功績があったからこそなのだ。

 ミネルバが無表情を保ちながらフィルバートを観察していると、彼はわざとらしい咳ばらいをした。


「ま、まあいい。そういえばお前、ずいぶん洒落た乗馬服を着ているな。もしかしてルーファス殿下からの贈り物か?」


 フィルバートに上から下まで眺め回されて、ミネルバはつんと顎を上げた。


「はい。光栄なことに、皇弟殿下から丁寧なお見舞いをいただきました」


「はっ、上手くやったなミネルバ。まったく、いい気になるんじゃないぞ。セリカはグラスの中身をぶちまけるつもりなんてなかったんだ。お前が事を荒立てたせいで、こっちはよけいに恥をかいた!」


 ミネルバは盛大に呆れて、少々馬鹿にしたような視線でフィルバートを見返した。3人の兄たちからも冷ややかに見据えられ、フィルバートの顔が赤く染まっていく。


「こ、この冷血女め! そのお高くとまった顔つきほど見たくないものはない、本当に腹が立つっ!」


「さようでございますか。それでしたら、私は失礼させていただいてもよろしいですか?」


 ミネルバが抑揚のない声で応じると、フィルバートがたじろいだ。兄たちを見回しながらもごもごと悪態をついている彼の姿は、一国の王太子とは思えないほど情けない。

 フィルバートは結婚すれば王位を譲ってもらえると考えていたようだが、国王夫妻はそうしなかった。彼らは異世界人であるセリカを、いきなり王妃にすることに躊躇したらしい。しかしそれ以上に、フィルバートが資質に欠けることに不安を抱いたのではないだろうか。


(亡くなられた先代の王太子様は、特権に伴う責任をよくわきまえていらしたそうだけれど……。国王夫妻は息子のことは厳しく育てたのに、孫は甘やかしすぎてしまった。孫育ては子育てよりも難しいって本当なのね)


 4人分の冷え切った視線にさらされて、フィルバートが苦虫をかみつぶしたような顔になる。


「ま、待てミネルバ、帰ることは許さないぞ。今日はお前に大切な話があってきたんだ。聞いて驚くなよ、お前に、その、もう一度アシュランの社交界に戻るチャンスを与えようと思っているんだ!」


 フィルバートが「どうだ」と言わんばかりの表情で鼻の穴を膨らませる。だがそれも、ミネルバが冷淡な目で射抜くように見返すまでのことだった。

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