婚約者から「平民を愛人にしたい」と言われました~私はお飾りの妻になるつもりはありません、真実の愛を貫いて破滅してください~

参谷しのぶ

第1話 発端

「イブリン、すまない。明日の朝までに法案の叩き台を完成させなくてはいけないんだ。締め切りはまだ先なんだが。王宮の事務方から早くほしいと言われてね」


「大変ですわねバーナード様。それでは私は、一人でガッシー伯爵夫人の音楽会に出席致しますわ」


「よろしく頼むよ。君が社交を円滑にこなしてくれるから、僕がどれほど助かっていることか。僕たちの結婚は間違いなく成功するに違いない」


 2か月後に新居になる予定の屋敷の「青の応接室」で、私は婚約者であるバーナードと向かい合っていました。

 18歳の私と25歳の彼は幼い頃からの許嫁です。

 バーナード様はシェブリーズ王国の8大公爵家のひとつ、テイラー公爵家の嫡男。私イブリンはミルバーン公爵家の長女。

 公爵というのは王族に次ぐものであり、他の貴族とは一線を画す存在。由緒ある家名を次世代に繋いでいくことは大切な義務です。

 私たちは2歳と9歳で婚約し、昨今の流行である「恋愛結婚」がしたいなどと、ゆめゆめ思わないようにと厳しく教育されて育ちました。


「バーナード様。明後日のデューレイド侯爵家の晩餐会は、出席なさいますわよね? テイラー公爵ご夫妻も、私の両親も出席することになっておりますし」


「ああ……それなんだが、ちょっと難しいかもしれない。ほら、僕は陸軍省と繋がりが強いだろう? 今年度の防衛予算について嘆願を受けていてね。次年度の予算成立まで間が無いからね、陸軍大臣セバウル侯爵と会談の予定を入れてしまったんだ」


「そうですか。テイラー公爵ご夫妻も、私の父も母も残念がると思いますが、お仕事でしたら仕方ありませんわね」


 私は静かにうなずきました。傍らに立っている侍女のエリスが時間を告げる声がします。


「では、私はガッシー伯爵家へ行ってまいります。バーナード様、ごきげんよう」


「ああイブリン、次は4日後のシェラド公爵の大夜会で会おう」


 優雅に淑女の礼をして、私は部屋を後にしました。テイラー家の大階段を降りながら、侍女のエリスが悔しそうな声でつぶやきました。


「イブリン様……。バーナード様はひどすぎます。いくらお仕事がお忙しいからって、もう1か月近くイブリン様とのお約束を反故にして」


「口を慎みなさいエリス。バーナード様はお若いながら、議会の中心にいらっしゃるのだから、お仕事で忙殺されるのは致し方のないことだわ」


 そう言いながらも、私は少しばかり悲しい気持ちになっていました。たしかにエリスの言う通り、ここ1か月ほど約束を破られてばかりです。

 公園でのピクニック、午餐会、読書会、晩餐会、音楽会、大夜会……いずれも2人きりのデートなどではなく、あくまでも貴族としての社交の一環ではありますが。

 バーナード様の花嫁になるように育てられたとはいえ、彼と実際に顔を合わせたのは1年前。私が17歳で社交界デビューするまで、年に数回手紙をやりとりする程度の関係性でした。

 バーナード様は11歳から王太子様の側近だったので、ずっと王都で暮らしていらっしゃいました。

 そして私は女ではありますが、遠い北にあるミルバーン公爵家の領地を切り盛りしていたのです。

 父アンドルーはシェブリーズ王国の宰相です。母ラフィアと一緒に、一年のほとんどを王都で過ごしています。

 嫡男である兄レイクンが病がちなため、私が領内を管理監督しておりました。

 本来は家令であるジェドスの仕事ですし、女の出る幕ではないと言われるところですが、私はそういった仕事が大好きなのです。

 父も兄も、私の好きなようにやらせてくださいました。自画自賛するようですが、私の領地運営は的を射ていたようで、我が領地はかなり栄えております。


「イブリン様。少々お耳に入れたいことが……」


 バーナード様の執事に見送られ、我がミルバーン家の二頭立て四輪馬車に乗り込もうとしたときです。私専用の従僕であるテッドが苦い顔をして言いました。


「馬車の中で聞きましょう。御者を交代して、テッドはエリスの隣に座りなさい」


 テッドはうなずき、馬車から足乗せ台を下ろして扉を開けました。私が乗り込むと、テッドは馬車専用使用人たちにいくつか指示をしてから、エリスの隣に座ります。

 乳兄弟である彼は、私の従僕であると同時に護衛です。非常に頭の切れる男で、いずれは執事にするつもりでいます。

 馬車は静かに走り出しました。


「どうしました、テッド」


「はい、イブリン様。ここ1か月ほどのバーナード様の挙動があまりにも不自然であるため、テイラー公爵家の使用人たちに探りを入れていたのです。賄賂を掴ませても、中々口を割りませんでしたが。今日ようやく、ひとりの侍女から興味深い話を聞くことが出来ました」


 私は目線で続きを促しました。テッドがうなずきます。


「毎晩のようにバーナード様を訪ねてくる『平民』の少女がいるそうです。バーナード様が仕事を理由に、イブリン様との外出を断った今日のような日にも。事前連絡も付き添いもなしに、表玄関から入ってくると。必ずバーナード様が出迎えるのだと」


「……………」


 私は言葉を発することができませんでした。その分頭の中で様々なことを考えていました。

 もし訪ねてくるのが貴族の未亡人だったなら、結婚前の火遊びをまだ清算していなかったのか、と思うだけだったでしょう。腹の立つ話ですが、バーナード様は10代後半から派手に遊び回っていたそうですから。


 しかし王族に近い血筋の公爵家嫡男が、平民を屋敷に招き入れるとは。

 使用人の面接などと言うことはあり得ません。公爵家につかえる使用人は、代々そのように教育されている立派な家柄の者たちで、一般からは採用しないのです。


「バーナード様は、その娘とともにイブリン様が嫁いでから使う予定の寝室に入っていくそうです」


「……………そうですか。テッド、よく聞き出してくれました。公爵家の使用人はどこも口が堅い。かなり苦労したでしょう」


 私はテッドの端整な顔を見つめました。忠実な影のように仕えてくれるテッド、そして誠実な侍女のエリスは、どちらも私の懐刀なのです。

 エリスが胸の前で両手の指を組み合わせ、困ったような声を出しました。


「あら、まあどうしましょう。私ったら、イブリン様の扇を持ってくるのを忘れてしまいました。これから伺うガッシー伯爵夫人のお屋敷は、空調があまりよくありませんし。バーナード様のお屋敷に予備があったと思います。イブリン様、お戻りになった方がよろしいかと」


 かなり気の強いエリスは、お腹の中で相当怒っているようです。私はうなずきました。


「バーナード様のところへ戻ります」


 2か月後に始まる結婚生活に向けて、さっき出てきたばかりの屋敷には私の私物が次々に搬入されているのです。

 平民の少女と出迎えるバーナード様……一般常識ではありえない組み合わせが真実かどうか、そして彼らが私のものになる予定の寝室で何をしているのか。

 公爵令嬢のプライドにかけて、私はそれをぜったいに確かめなくてはなりませんでした。

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