第380話王国滞在編・終了


 俺が今何をしていたのかというと、まあ、なんというか……ちょっと母さんの様子を確認したのだ。悩んでるようだったし、少しくらい話をしに行った方がいいかもしれないな、なんて思って。

 だが、ちょうどタイミングが良かったのか悪かったのか、あんな光景が見えてしまったのだ。


 決して覗こうと思って覗いたわけではなく、ただたまたま偶然見えてしまい、止めどきが見つからなかったというか……。


 母さんのことを見ようとしたのだって、覗こうとしたからではなく、部屋にいるかどうかを確認したかっただけだ。当たり前だろ。母親のことを覗くなんてあるわけないじゃないか。

 まあ世の中にはそう言う性癖の奴もいるだろうから一概には言えないが、少なくとも俺は違う。


 しかしそんなわけで、部屋の中にいるかどうかを知りたかっただけなのに、植物達が気を利かせて部屋の中の光景を送ってくれたのだ。……余計なことしやがってありがとう。


 だが、俺がそんなことをしていたとは知らないソフィアは、俺の反応に首を傾げつつも話を進めることにしたようだ。


「? いえ、もしお母君が移住されないのであれば、どうされるのかと思ったのですが」

「ああ。別に、どうすることもないだろ。一緒に暮らしたいのは本当だが、フィーリアが言ったように俺たちはもう独り立ちしてもおかしくない歳だ。実際、俺は自分の家を持ってるしな。だから、まあ、たまに会うくらいだとしてもそれはそれでそんなもんだろ。誰かに無理強いされて、いやいや止まり続けるってわけじゃないんだったら、それで十分だ」


 もう一度様子を確認しようかとも思ったが……これ以上はやめておこう。一応さっきまでのは偶然聴こえてしまったって言い訳ができるが、流石にもう自分を騙すこともできない。

 話を聞いたところで、満足感よりも罪悪感を感じてしまうだろう。


 これ以上俺が話に行く必要があるとも思えないし、あとは親父に任せておいてもいいだろう。


 そう考え、俺はこの場所を離れるための準備の確認へと移ったのだった。


 ——◆◇◆◇——


 そして翌日。俺たちは改めて母さんの部屋に集まり、話をすることにしたのだが……


「なあ、妹よ」

「……なんでしょうか、お兄さま」


 俺は隣に座っていたフィーリアに声をかけたのだが、その声はどこか呆れを含んだものだと自分でも理解できた。

 そして、それに返ってきたフィーリアの声も、俺と同じように呆れを含んだものだったが、フィーリアの場合は俺以上に呆れた事だろう。それに加え、驚きや困惑も混ざっていたように思える。


 だが、それもそうだろう。俺は昨日のことを知っているからまだ耐性がついているけど、フィーリアの場合は今初めて目にするんだから。


 〝昨日のこと〟と言ったことからわかるかもしれないが、俺たちがこんなに呆れ、困惑しているのは、母さんのせいだ。もっと言えば、母さんと親父のせい。

 どう言うことかというと……


「なんだってこんな一晩で甘ったるい雰囲気が出来上がってるんだろうな?」


 今俺たちの目の前では、隣同士で座った母さんと親父がなんか知らないけどいちゃついている。

 具体的に何をしているってわけでもないし、言葉を交わしているわけでもないんだが、母さんはいつも通り振る舞い、俺たちのことを見ているようで、チラチラと親父のことを見ている。


 親父だって、普段なら席につかないで護衛をしているか、席について適度に飲み食いしているだけだというのにも関わらず、今日はそれらには手を出さず、腕組みしながら目を瞑っている。

 が、時折目を瞑ったままではあるが顔が母さんの方に揺れている。多分、気配で様子を見ているとか、そんなんだろう。目を瞑っているのは、俺と顔を合わせづらいからとか、実際に母さんを見ると顔が緩むとかそんな理由じゃないか? 知らんけど。


 それに、心なしかお互いの椅子の距離が近い気がする。というか、実際に近い。


 なんていうか、ほんとにもう空気が甘い。それはもう、甘々だ。この空間に色をつけるなら絶対に桃色。それくらいの甘い雰囲気になっている。


「知りませんよ、そんなこと。本人たちに直接聞いてみたらいかがですか?」


 フィーリアはそう言ったが、その言葉はどうにも投げやりだ。

 自分の理解の範疇にない出来事が起こっているからだろうが、もしかしたら前々からこうなることを理解していたからこの二人の様子もすでに覚悟ができていた、或いは諦めがついていた、というのもあるかもしれない。もうどうにでもなれ、って感じで。


 しかしまあ、そんなフィーリアの態度は置いておくにしても、本人に何が起きてどうなってるのか直接聞けって? ……ははっ。


「あの中に割り込んで行けって? 無理だろ。親父のやつ、十年は歳が若返って見えるぞ」


 ただ黙っているだけの親父だが、その気配というかオーラは昨日までよりも随分と昂っているように見える。

 背筋だってしっかりと伸びているし、表情だって目を閉じているにも関わらず引き締まっているのがわかる。だが、そんな引き締まっていると感じる中でも、喜んでいるのがはっきりとわかるくらいに口元が緩んでいた。


「お母さまも、元々幼く見えたのが尚のことです。心の中は少女に戻っているのではありませんか?」


 母さんは今までは『母親』だった。

 俺たちのことを気にかけて、俺たちとの会話を楽しんで、ずっと俺とフィーリア——自分の子供のことだけを見て、微笑っていた。

 それが、今では隣にいる親父のことに意識が向かっており、もともと若々しく見えていた姿が、その態度と身に纏う雰囲気のせいでより若く見える。

 確か母さんの歳は三十一か二くらいだと思ったが、それが今では二十と言っても通用するくらいにすら思える。


「よかったな。あれがお前の新しい父さんだぞ。もしかしたら、新しい弟か妹もできるかもな」

「冗談にしては、少々品がありませんね」

「品のないところで育ったからな」

「はぁ……そうでしたね。それに、冗談でもないようですし」


 普通この世界では三十を過ぎると子供なんて産まない人が大半だが、それでも今の二人を見ていると弟か妹ができるんじゃないかと思えてしまう。

 そしてそれは俺だけの考えではなく、フィーリアも同意のようだ。


 まあ、三十で子供を産まないのは、体に負担がかかるからとか、高齢出産は出産にリスクが伴うからとかそんな理由だが、母さんの場合は少し一般とは事情が違う。

 何せ母さんは第十位階なのだ。その恩恵での身体強化はかなりのもので、今から出産したところでほとんどリスクはないだろう。

 多少のリスク程度なら、高位階の治癒系の術師がいればなんとかできるし、その意味でも高齢出産であろうと問題はないのだ。


「にしても、まさか、こんなにアレな感じになるとは思わなかったな」


 昨日のあれを見ていた時点で、くっつくことは理解できていたが、まさかこんな甘ったるい感じになるとは思わなかった。


 母さんは……まあ事情が事情だ。十代半ばで政治的に嫁ぎ、愛のない環境で子を産み、恋をすることなく暮らしてきた。

 そんなんだから、あんな真っ直ぐに告白されたら、そりゃあ乙女心が芽生えて若返っても仕方ないのかもしれない。


 だが、問題は親父の方だ。まあ別に問題ってほどのことでもないんだが……あんな風になるなんて誰が考えたよ?


 そう思いながら親父のことを見ていると、目を閉じていたにもかかわらず俺の視線に気づいたのか、親父は目を開けて俺のことを睨んできた。


「おい、お前何見てんだよ」

「息子の前で恥ずかしげもなくいちゃついてる中年の姿だよ」


 だが、俺がそう返してやれば、親父は眉を寄せてスッと視線を逸らしてしまった。


「……別にそんなんじゃねえだろうが」

「それは自分の隣に視線を向けてからにしたらどうだ?」


 そんな俺の言葉と視線につられて、親父は自身の隣へと顔を向ける。

 ちょうどその時母さんも親父のことを見ていたようで、目が合うとちょっと目を泳がせた後、親父へと微笑みかけた。

 それを見た親父は、困ったように眉を寄せると、ぎこちないながらも笑みを返した


「若いなあ……」

「うっせえよ」


 親父は俺の言葉に反論してきたが、その言葉には力がない。

 親父自身、今の自分の状態がわかっているからあまり強く言えないんだろうな。


「なんだったら若返りの薬でも作ろうか? 材料だけだったら俺が適当に用意できると思うけど」


 多分聖樹をベースにマンドラゴラとか秘薬の元になってる薬草類を配合した新植物を作ればなんとかなりそうな気がする。


「いらねえよ。どうせ位階のせいで常人よりも老化が遅えんだ。今だって実年齢より若え見た目だしな」

「そうかあ?」

「そうだよ。なんだ? 俺の言葉に不満でもあるってのか?」


 位階が高いほど歳を取りにくいってのは知ってるけど、親父の場合はもう中年なんだよな。

 実年齢が四十過ぎだと考えると、確かに若く見えるのかもしれないが、俺からしてみればおっさんには違いない。


「まあ、必要になったら言ってくれ。魔王としての権力で薬の研究をさせるから。多分数年もあればできるんじゃないか?」

「必要になったらな」


 そう言って親父は話を流したが……研究だけはしておこうかな?

 どうせ暇だし、実際に薬作りを研究するの俺じゃないし、進めるだけ進めてもいいだろう。無駄にはならないと思う。


「——とりあえず、話はついたということでよろしいのでしょうか?」

「ああ」


 フィーリアがその場の流れを切り替えるように問い掛ければ、親父ははっきりと頷いた。


「では、お母様は城を離れてカラカスへと向かう、ということでよろしいですね?」

「ええ。……フィーリアちゃんには寂しい思いをさせちゃうと思うけれど……」

「平気です、お母様。昨日も言いましたが、もうすでに独り立ちしてもおかしくない年齢なのですから。それに、時折であれば会いに行くことも可能ですので」


 フィーリアを置いていくことになるため、母さんは少し悲しげに顔を歪めて話しているが、当のフィーリア本人は何の問題もないとばかりにはっきりと口にした。


 しかし、だ。


「と言っても、すぐにこのまま向かうってわけにはいかないだろ? 母さんがここを離れるにしても、色々手続きとか準備とか必要になるんじゃないか?」


 流石に、国王が死に、王妃ではなくなったとはいえど、それでもそれなりの立場があるってことに変わりはなく、今の状況で母さんが消えるわけにはいかない。

 少なくとも、『王太子』が『王』になって、母さんが正式に王妃でなくなった後でないとダメだろう。


「そうですね。荷物等の移動は後でもいいとしても、最低でも国王となる第一お兄様への相談……いえ、報告と、婚姻の手続き。それからお祖父様方への報告と、主要な貴族達への根回しが必要になるでしょう。早くてもひと月、できる事なら半年は欲しいところですね」

「貴族達への根回しって、やっぱり必要か?」


 嫁入りとはいえ母さんも一応は王族なわけで、それが再婚するとなれば方々に細工は必要だろうとは思っていた。

 だが、まあ王太子から自分が王になった後には好きにしてOKと話は通っていたので、根回しとかは大丈夫だろうとも思っていたんだが……そうか。やっぱり必要になるのは変わらないか。


「はい。それがなければ、カラカスが前王の妃を拐った、あるいは強引に連れて行ったという話になりかねません。一応、お兄さまの存在は公にはこの国とは関係ない出生であるとなっているのですから、母親として連れて行くこともできませんし」


 あー、まあその可能性もあるか。なんたって俺たち『カラカス』だし。

 実際に連れていくのは『花園』の方だとしても、一般人からしてみればどっちも大して変わらないだろう。一応どっちも同じ国所属だし。


 しかし、手続きや根回しをしたとしても、少し疑問がある。


「だが、向こうに連れて行ったら俺の母親として遇することになると思うけど」


 向こうに連れて行けば、母さんのことは俺の『母さん』なんだと広まることになるだろうし、今更隠したところで隠し切れるものではない気はする。


「それはどうとでもなります。実際に血が繋がっていると言葉にすることはできませんが、父親の結婚相手だから母親として扱っている、とすることはできます」


 ああ、なるほど。『実母』ではなく『義母』か。どっちも呼び方としては『はは』だし、誤魔化すことは可能だな。


「そんなわけですので今すぐに、というわけには参りませんね。お兄さま方としても、このままカラカスにお母さまを連れて行ったとしても、まだお母さまを迎える準備はできていないのではありませんか?」

「まあ、そうだな。基本的な環境はできてるが、ちゃんとした用意ができてるかって言うとそうじゃない」


 場所は花園の俺の館でもいいんだが、母さん専用の部屋が用意できているのかと言ったらできていない。

 それに、今となっては本当に俺の館でいいのかとも思う。だって、なあ? あんな甘々なところを見せられたのに、二人を引き離すようなことになるわけだろ?

 そんなの、とてもではないけどできないって。


 だからまあ、そんなわけで、準備できているけどできていないというか、迎えるにはまだちょっと時間が欲しい。


「ですので、ここはひとまず一緒に向かうことせず、時間をおいて準備ができ次第再度迎えに来ていただく、というのが良いかと思います」


 そんなフィーリアの言葉で、今しばらく母さんは城に残ることが決まった。


「また迎えに来ます」

「はい」


 一応俺たちの話はまともに聞いていたようで、親父と母さんはそんな風に言葉を交わしているが……なんかもう、お手上げだ。


「……弟か妹ができたら、どうすればいいと思う?」

「知りません。その時になってからお兄さまが考えてください」


 今から弟か妹ができても、兄弟ってか自分の子供って感じがする気もするんだが……まあ、いいか。


 それよりも、だ。これでようやくカラカスに帰ることができるな。

 結構長い間離れてたけど、どうなってるだろう? 婆さんたちがいるから問題は起こらないと思うけど……その辺は実際に帰ってみないとわからないか。


 まあ、ここでのいろんな面倒も終わったし、これでしばらくは落ち着いた生活を送ることができるだろう。

 ……なんか忘れてる気がしないでもないけど、きっと気のせいだろ。

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