第8話(2) 風に乗る千

「お名前だけでも伺っておきましょうか?」


 茶髪の女性がのんびりした様子で千景に語りかける。ここで如何にも『敵とのんびりおしゃべりしているヒマは無えんだよ!』と殴りかかりそうな千景であったが、一呼吸置くだけの余裕は持っている。構えは解かずに名を名乗った。


「……樫崎千景だ」


「樫崎さん……平の隊員の方ですね」


「平じゃねえ! 特攻隊長だ!」


「そのような役職は貴女の所属する隊に確認出来ませんでしたが」


「じゃあ、覚えて帰りやがれ!」


 千景が殴りかかるが、相手は素早いバックステップを踏んで躱す。


「踏み込みが甘いですね……」


「ちっ!」


「折角ですから私の名前を覚えて帰って下さい。私は風坂明秋ふうさかめいしゅうと申します。以後お見知り置きを宜しくお願い致します」


「んなもん、秒で忘れるっつーの!」


 千景が鋭い右ストレートを二発繰り出すが、これも風坂の巧みなバックステップによって難なく躱されてしまう。


「鋭い拳ですが、軌道が極めて単調ですね……」


「くそっ!」


「『挑発にも面白いように乗るタイプ』……成程、事前の情報通りです」


「んだとぉ!」


 千景はさらに風坂との距離を詰め、左フックを放つ。だが、これも難なく躱される。


「甘いですね」


「……ふふっ」


 いきなり笑い出した千景を見て、風坂が首を傾げる。


「何がおかしいのですか?」


「そういや、ウチの黒……岩?が言っていたっけな。『茶髪女は逃げ足だけは速い』って、こりゃマジだなって思ってな」


 風坂が少しムッとした顔つきになる。


「……これは回避というのです」


「物は言い様だな、さっきから後ろに下がってばっかりじゃねえか」


「……宜しいでしょう」


 風坂が刀を鞘に納め、間を置いて呟く。


「……風立ちぬ!」


「!」


 次の瞬間、風坂の刀が千景の脇腹を切り裂く。


「ぐっ……」


 千景が脇腹を抑えて呻く。


「逃げ足ではなく、足が速いのです。お間違いなきよう」


「とどめは刺せていないぜ……成程、スピードは大したものだ、ただ一撃が軽いな」


「癪に障る方ですね……いいでしょう、手数で圧倒して差し上げます」


「挑発に乗り易いのはてめえの方じゃねえか……!」


野分のわき!」


 風坂が低く叫ぶと、彼女の振る刀が激しく乱舞し、千景を襲う。


「ぐおっ! つうっ!」


 千景はその素早い連続攻撃をなんとか躱そうとするが、逃れ切れず、肩や膝を斬られてしまう。斬られた箇所から血が噴き出し、千景はその痛みに顔を歪める。


「行き過ぎた行為は仕置きの対象ということですから……急所は避けて差し上げました。もっともその出血は放っておくと危険だと思いますが」


 風坂は血の付いた刃先を見ながら話す。


「それはそれはお気遣いどうも……!」


 傷口を抑えながら、千景は必死に考えを巡らす。


(手練れであることは間違いねえが、こうして顔を合わせている分にはアタシとそこまでの霊力差は感じねえ……互いの相性があるとしてもここまで圧されるとは……)


「棄権することをお勧めします」


 風坂は雀型ドローンに目をやりながら提案する。千景は尚も考える。


(恐らく、ってか、間違いなく風系統の術使いだ……そして、術を使う時に、霊力が飛躍的に上がっている! ……様な気がする!)


「この場合の沈黙は肯定と受け取っても宜しいですか?」


(何か仕掛けがあるのか……? さっぱり分からねえが、こちらから仕掛けるか!)


「!」


 千景が両手首のリストバンドを外して、遠くに放り投げる。それを見た風坂が細い目を更に細めて尋ねる。


「何の真似です……?」


「あ~手が軽いわ~」


 千景が両手をブラブラとさせる。


「?」


「今捨てたリストバンドさ、所謂パワーリストってやつでよ。片手で10㎏、両手で20㎏もあったんだよ」


「⁉」


「つまりこっからアタシのパンチスピードは断然速くなるってことだ。尻尾巻いて逃げるなら今の内だぜ?」


「戯言を……」


 風坂が迎撃の体勢を取る。千景がニヤッと笑い、振りかぶる。


「……いっくぜー!」


 風坂は千景の拳の軌道を予測し、そこに合わせて峰打ちを放つが、刀は空を切る。


「えっ⁉ 全然遅いじゃないですか⁉」


「嘘だよ! バーカ!」


 千景は更に一歩踏み込んで、ローキックを風坂の脚に喰らわせる。


「ぐっ!」


「おらあっ!」


「ごほっ!」


 千景はバランスを崩した風坂の胸部に追撃のパンチをお見舞いする。まともに喰らった風坂は堪らず仰向けに倒れ込む。


「うう……⁉」


 風坂は驚いた。千景が自らの体に跨り、マウントポジションを取っていたからである。


「お前、良い子だな……」


「え……?」


 千景が風坂を見下ろしながら呟く。風坂は戸惑う。


「さっきのラッシュの時、急所の他に、顔も狙わないでくれたろ? 治癒の術を使ったところで多少は傷が残るかもしれねえからな……お前が男だったら、アタシ惚れていたかもしれねえ……だけどよ」


 千景はニヤっと笑う。


「アタシは顔思いっ切りぶん殴るぜ! 悪い子だからな!」


 千景が風坂の顔を左右から殴りつける。


「おらっ! おらっ! お! ……?」


「そこまでです。勝負は決しました」


 千景の腕を男が掴む。雅が連れて来た星ノ条隊の隊員である。男は風坂の様子を窺う。


「気を失っていますね……武枝隊隊員も周囲にはいません。棄権扱いとして回収します」


「はいはい、さいですか」


 立ち上がった千景は指にポケットから取り出したメリケンサックをはめる。男が驚く。


「外していたのですか?」


「傷でも残ったらやっぱマズいっしょ?」


 千景は笑う。男が風坂を抱えその場から去ると、千景は木にもたれかかって呟く。


「……術の使えねえアタシはただひたすら体を鍛えるしかねえ……パワーリスト、マジで両手両足に付けるかな?」

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