恋する男子に水泳を教えて(7)
すると、ちょうどそのころ。
仲間内でテーブルを囲みながら飲み食いしているところへ、香川先輩がやってくる。
「ごめんなさい、遅刻だったかしら。もしかして、午前中からずっと場所を取ってくれていたの?」
快晴に恵まれた休日の昼下がり。夏休みの家族連れでごった返した河川敷。
わいわいがやがやと騒いだ人群れの中から、俺たちの姿を探し当てるだけでも一苦労だ。
香川先輩は、草むらをかきかわて左右によろけながらも、両手にいっぱいの買い物袋を持ってきた。
おそらく、ここに来る途中で道の駅のスーパーマーケットに寄って、バーベキュー用の食材を仕入れてきたのだろう。
そうして、送り迎えだけ頼まれた親戚のお兄さんともども、保護者の方々に挨拶をして回る。
香川先輩の紹介によると、場違いにも背広にネクタイ姿でやってきたこのお兄さんこそ、我が校の郷土研究部のOBであり、現在は地元の歴史資料館で学芸員を務めている人物だという。
「考えが甘かったわ。私も青木君みたいに、汚れてもいい服を着てくればよかった」
「それは、どういう意味です?」
先輩は、わざと大雑把な計算をして会計を教えてくれなかったが、俺たちはそれぞれ財布を出し合って参加費を支払う。
それからほどなくして、自転車に乗って自宅へ帰る途中だった越智和馬も合流する。
川に架かる橋の上を通りすぎていくのが見えて、俺たちは必死に手を振って居場所を伝える。
一旦家に帰ってから準備してくるつもりだったようだが、そのまま強引に河川敷へ連れ込む。
「僕は郷土研究部の部員じゃないんだけど、途中から参加してもいいのかな?」
「あなたが越智君ね? 学校で何度か見かけたことはあったけど、こうして話すのは初めて?」
香川先輩と越智和馬は、これが初対面である。
同じ学校に通っていても、生徒会の仕事や所属する部が違えば、上級生と下級生のあいだにほとんど接点はない。
「ねえねえ、中学のころに同じクラスだった子たちも遊びに来てるんだって。私たちのこと、覚えてるかな?」
「もうしばらく連絡を取り合ってないからな。荷物を見ててやるから、久しぶりに会ってきたらどうだ?」
ケータイで見栄えよくグルメ写真を撮って、SNSで近況を報告しようとしていたところへ。
向こうから別の高校へ進んだ友人たちが訪ねてきて、かつてのクラスメイト同士、ほんのつかの間の再会を果たす。
午前中までは場所取りのためにずっと座っていなければならなかったが、こんなふうに人数が集まってからは、椅子取りゲームに負けて立ったまま過ごす時間が増えてくる。
すると、仕事や趣味などの話題を共有できる者同士、自然と別々のグループに分かれて会話をするようになる。
「そういえば、香川先輩と千嵐って同じ中学でしたよね?」
「もしかして、千嵐から聞いたの? あの子ったら、本当にお喋りなんだから」
香川先輩は、学校でもプライベートでもいつもそんなふうに後輩の女子生徒を呼び捨てにする。
ただし、上下の関係なく友達のように親しくなった相手に対してのみだ。
俺は、バーベキューコンロのそばに食べかけの皿を置き、汗だくになりながらうちわをあおぐ。
香川先輩は、おそらく自分のものであろう紙コップに半信半疑で口をつけつつも、絶妙なタイミングでずっこける真似をする。
「……たったそれだけ? もっと色々と聞かれるかと思ったけど」
「すみません、なかなか飲み込めなくて」
俺は、手のひらで口を隠したまま喋り、咀嚼した食べ物を無理やり飲み込む。
すると、香川先輩が慌てて新しい紙コップを持ってきて、背伸びをしながら飲み物をそそぐ。
「言ってみれば、幼稚園のママ友みたいな感じかしら。もともとお互いの母親が、同じ女子校の同級生でね。小さいころはよく母に連れられて、お茶会なんかに出かけたりしてね」
「先輩のお母さんと、千嵐のお母さんがですか? そんな偶然もあるんですね」
「いいえ、この町ではよくある話よ。こんなふうに声をかけて集まるのは、みんな誰かの知り合いばかり」
「ちなみに、年齢はおいくつですか?」
「えっ?」
「俺、商店街の花屋でバイトしてるんですけど、売れ残った花とか持っていったら喜んでくれます?」
「そんなにうちの母のことが気になるの? これまで一度も会ったことがないのに?」
「きっと素敵な方だと思います」
「私も一度でいいから、あなたの親の顔が見てみたいわ」
俺は、この夏休みのあいだに自宅で勉強して、原チャリの免許を取るつもりだという話を先輩に打ち明けた。
うちの高校は、原付及びバイクでの通学が禁じられている。しかし、運転免許を取得するだけなら問題ない。アルバイトで配達の仕事をこなせるようになれば、そのぶん時給が上がるし手当も出してくれる。
「そういうことなら、仕方ないわね。部活がある日は、夏休みでも学校に来てもらうつもりだったけど」
「本当に残念です」
それから先輩は、後輩の男子から気安く先輩と呼ばれると恥ずかしいので、学校以外では自分のことを名前で呼んでほしいと言い出した。
つまり、普段のように香川先輩、もしくは先輩じゃなくて、それ以外の呼び方で呼んでほしいというのだ。
俺たちは、双方からいくつか候補を出し合って、その議題についてあれこれと話し合った。
いつも学校では、周りの友達から何と呼ばれているのか。逆の立場で考えて、もしも自分だったらどんなふうに呼ばれたいのか。
まるで恋人同士みたいに下の名前で呼び合ってみたり、ふざけ半分にあだ名をつけてみたり。
実際に後ろを向いた状態から声をかけて、振り向いてくれるかどうか検証してみた結果、やはり安易にこれまでの呼び方を変えるべきではないという方向で落ち着く。
しかし、この時にお互いの関係を探り合ったことで、俺と先輩の距離はこれまでよりも少しだけ近くなった。
普段学校では話せないようなことも、プライベートでなら気軽に打ち明けられる。
「学校の先生や、同じクラスの友達はね、私のことを病気じゃないって言うのよ。仮病を使ってずる休みしているだけだって」
「まるで、プールの授業みたいですね」
「今はもう、自分のことが恥ずかしいわけじゃないんだけどね。ただちょっと、そういう目で見られるのが怖いだけ」
先輩は、自分自身の過去についてあまり多くのことを語らなかった。
中学生のころの思い出や、夏休みの出来事に質問が及ぶたび、さりげなく話題をそらしているようにも思えた。
――ごめん、今のは忘れて。
と、さっきまで俺が扱っていた火ばさみを横取りして、網の上の串焼きをひっくり返す。
「私も知らなかったわ」
「えっ?」
「初めて出会った時から、何となく怪しいとは思ってたけど」
そう言って先輩は、たった今椅子に腰かけようとした俺を振り返り、持っている皿を寄越せと指図してくる。
俺はもうお腹がいっぱいで動くことさえままならないのに、そんなことお構いなしに、火が弱いところに避けていた残り物を取り分ける。
「だってあなた、中学生のころは不良だったんでしょう? 今さっき、久しぶりに再会したお友達の話だと、ずいぶんと評判が悪かったみたいじゃない」
「年ごろの男の子なら、誰にでもある反抗期ってやつですよ」
「このまえテストで赤点を取った野々坂も言っていたわよ? あんなやつが私よりも頭が良いはずがないって」
「……もしかしてあいつ、今までずっと俺のことをそんなふうに思ってたのか?」
「体育の先生からも、ずっと目をつけられているものね。坊主頭になりたくないなら、サッカー部に入らないかって」
「まだ何も問題を起こしてないんですけどね。たぶん俺の態度が気に入らないんじゃないですか」
俺は、山盛りで返されたアルミ皿を前にしてなかなか箸が進まず、冷めて硬くなった肉をガムみたいに噛み続ける。
野々坂と千嵐は、テーブルについた和馬を両側から挟んで、さっきからずっと楽しそうにお喋りをしている。
「そんなあなたがどうして、うちみたいなごくごく普通の高校の、しかも郷土研究部なんていうクラブに入部しようと思ったの?」
「本当のことを言ってもいいですか?」
「ええ、もちろん」
「それは俺だって、あのころは馬鹿だったし、色々と悪いこともやったけど、実際に殴り合いの喧嘩なんかしたことないし、まじでやばそうなやつらとつるんでたわけじゃなくて、ただそれを言い訳に学校をずる休みしてただけというか、何というか……」
「ほら、やっぱり不良だったんでしょう? どうして今まで隠してたの?」
「いや別に、誰にもばれないように隠してたわけじゃなくて。これからは心を入れ替えて、真面目に勉強しようと思っただけで……」
「もしかして、何かきっかけがあったの? たとえば、好きな人ができたとか」
「だってほら、いつもカッコつけて不機嫌な顔をしておけば、たまに授業を欠席したり、部活をサボったりしても、周りの生徒から病気だと思われないでしょう? 仮病を使って早退したら、母親だって心配するし」
「……本当はただ、学校に行きたくなかっただけなのに?」
先輩は、なかなか噛み切れない肉を割り箸で挟んだまま、前歯を見せて笑った。
手のひらを受け皿にして口を押さえるあまり、あごの下からよだれが垂れそうになる。
「それ、いい方法ね。私も真似してみようかしら」
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