恋する男子に天気を教えて(4)
「もう、驚かさないでよ。一瞬ドッキリかと思った」
野々坂は、首からタオルをかけて汗ばんだ肌をぬぐう。
犬の首輪とつながったリードを握りしめたまま、ほっと胸をなで下ろす。
電話をかけてきた理由を聞いてみると、無理もない。
氾濫した川のそばに自転車が置き去りにされていて、どこを探しても本人の姿が見当たらなかったら、状況から考えて安否を確認せずにはいられない。
「あんただって、もう子供じゃないんだから。こんな天気が悪い日に、わざわざ危険な場所に近づかなくても」
何はともあれ、間違って警察を呼ばれなくてよかった。
学校の先生や職場の母親にまで連絡が及んでいたら、とても冗談では済まされなかっただろう。
「本当、昔から相変わらずよね。そういうところ」
俺は、よーいどんの合図で投げたテニスボールのおもちゃを追いかけて、久しぶりに顔を合わせた彼女ん家の飼い犬とたわむれる。
犬の首輪からリードを外して解き放ち、しばしのあいだ休憩する野々坂。
ちなみに、彼の名前はブラザーという。
学校からの帰り道で偶然拾ってしまい、とりあえず動物病院へ連れていったものの、結局捨てるに捨てられず、数日後に保健所から引き取ってきたというミックス犬だ。
仔犬のころからずっと室内飼いなので、ご近所同士といえども交流する機会はほとんどない。
夏場の水浴びをする時などに、たまに網戸を開けて庭に出てくる程度だ。
あまり賢くないのでお座りや伏せなどの芸はできないが、イエーイと言って手を上げると元気よくハイタッチしてくれる。
「ねえ、明日のバイトは何時まで?」
「俺に予定をたずねる時は、まず用件から述べろ」
「さもなければ、暇かどうかは答えられない、でしょ?」
「場合によりけりだ。相手によっては断ることもある」
「もしよかったら、カラオケに付き合ってくれない?」
「……俺と、お前が一緒に?」
俺は、ブラザーが拾ってきたテニスボールの縫い目に指をかけて、もう一度遠くのほうへ投げる。
硬式の野球ボールと比べると若干軽めだが、水を吸って重みが増しているぶん、思いのほか飛距離が延びる。
野々坂は、濡れたお尻をはたいてよっこらせと立ち上がると、小さなポリ袋で犬のうんちを回収する。
ほら、触ってごらん――と、いきなりこっちに寄越してきて、嫌がる俺の反応を面白がる。
「私のほかにもあと何人か、テニス部のチームメイトが来る予定なんだけど」
「ふーん、そうか」
「このまえ潰れたボーリング場のそばに、新しいカラオケボックスができたのは知ってる?」
「ああ、聞いたことはあるけど」
「もしも天気がよければ、みんなで遊園地へ行くつもりだったんだけどね」
「風が強かったら、アトラクションが動かないもんな」
「もう友達と約束しちゃったし。今さら断るわけにもいかないから」
「本当は行きたくないのか?」
「だって、苦手なんだもん」
「お前、カラオケで歌うのは得意じゃないか」
「ううん、あの子たちと仲良くするのがね」
「またひとつ、嫌いなものが増えたな」
――今さらになって、あの子が突然言い出したんだけど。
と、野々坂は片手のみで器用にスマホをいじりながら、ため息まじりに愚痴をこぼす。
高校で知り合ったメンバーにも紹介してあげたいから、中学のころから付き合っている他校の男子生徒と、その友達を呼んでもいいかなって。
せっかく女の子同士で集まって楽しく遊ぼうと思ってたのに、わざわざ彼氏なんて連れてこなくてもいいと思わない?
「あの子の自慢話には、もううんざりなのよ。どうせ大してカッコよくもないくせに」
「そういうことを言うと、負け惜しみにしか聞こえんぞ」
「だから私ね、あんまりむかついたからその子にこう言い返してやったの。――あんたの彼氏って、何もやることがなくてよっぽど暇なんだね、って」
俺は、手のひらに隠したおやつでブラザーの興味を引きながら、ふんと鼻を鳴らして笑った。
すると野々坂も、自分の冗談で笑ってしまってたまらず吹き出す。
「悪いが、俺だってそんなに暇じゃない」
「なーんだ、つまんないの」
「お前がどうしてもって言うなら、付き合ってやってもいいぞ」
「勘違いしないでよね。誰もそこまでは言ってないし」
野々坂は、胸元まで開いていたジャージのファスナーを締めて、ちょっとカッコよく襟を立てる。
ランニングの道中で流した汗が乾いて、だんだんと肌寒くなってきたようだ。
さて、休憩終わり――と残りわずかなペットボトルの水を含み、急かすようにその場で足踏みを始める野々坂。
俺は、肩に鞄を背負って自転車を押しながら、家に向かってゆっくりと歩き出す。俺と一緒に置き去りにされた犬を引き連れて。
これはあくまで余談だが、今日みたいに台風が通りすぎたあとの夕焼けは、燃えるように真っ赤に染まるという。
空を見上げる方向や角度によっては、光と影の具合で不気味に感じられるかもしれないが、もしも遭遇することができたらラッキーだ。
そして、学校からの帰り道に見上げる綺麗な夕焼けは、明日も晴れる予兆だと言われている。
太陽は東から昇って西へと沈むが、地球を取り巻く偏西風の影響で、天気は西から東へと動くことが多いからだ。
「今日はおつかいのお釣りがあまってるし、たまには駄菓子屋にでも寄っていくか」
「あんたがアイスをおごってくれるなんて、どういう風の吹き回し? 明日はきっと雨が降るわね」
第四話 恋する男子に天気を教えて(完)
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