恋する男子に天気を教えて(2)
この日はあいにくの天気だから、雨が降らなかった場合の話をしよう。
「――明日、晴れたらどうする?」
台風の影響で交通機関が遅れることを見越して、普段よりも少し早めに登校した朝。
いつものように自分の席に着き、時間割ごとに教科書とノートを整理していると、たまたま教室に居合わせた別のクラスの生徒から、そんなふうに話しかけられた。
夏の大会を控えて、早朝練習を義務づけられている野球部の連中だ。
どうやら、明日の日曜日に予定されていた練習試合が中止になったので、みんなでどこかへ遊びに行こうと相談していたらしい。
毎日グラウンドに居残って暗くなるまでボール拾いに明け暮れている彼らからしてみれば、突然降ってわいたような幸運に違いない。
入部の誘いを断ってからというもの、すっかり彼らと疎遠になっていた俺にとっても、正直思いがけない話だった。
――お前ってさ、テニス部のあの子と幼馴染なんだろう?
まだどこに行って何をするかも決めていないが、できれば知り合いの女の子を連れてきてほしいという。
「僕たちは文化部だからね。雨が降っても部活を休めないのさ」
朝から元気よくお喋りをする女子生徒たちに続いて、あとから教室に入ってくる越智和馬。
いきなり後ろからぶつかってきた男子生徒を迷惑そうに押しのけて、自分の机から椅子を引く。
「今さっき、あの子たちと何を話してたんだ?」
「明日、天気がよければどこかへ行こうって誘われたんだ。ほかの友達を連れてきてもいいからって」
「お前って意外とモテるんだな」
「ひょっとすると僕じゃなくて、その友達が目当てだったりしてね」
和馬は、ひもで結んだきんちゃく袋から木箱を取り出すと、定跡本を片手にさっそく詰め将棋を並べ始める。
毎日暇さえあればこいつの練習対局に付き合っているので、俺もすっかり手順を覚えてしまった。
俺に予定をたずねる時は、まず用件から述べろ。
さもなければ、暇かどうかは答えられない。
これは去年、俺自身が中学校を卒業する時に寄せ書きでしたためた座右の銘である。
しかし、いざ逆の立場に立ってみると、まず相手の予定を聞いてからでなければ、なかなか頼みづらい用件というものがある。
「明日の予定ですか?」
俺は、教室前の廊下から昇降口を見下ろし、傘を差して登校してくる生徒たちの様子を眺める。
下駄箱で靴を履き替えて階段を上がってきた千嵐小夜は、手持ちの鞄にスマホを隠しつつ、たった今思いついたようにそれっぽい口実を述べる。
「もし天気がよかったら、例の神社へお参りに行こうと思っています」
隣町の駅から電車に乗って通学している彼女は、俺と同じ郷土研究部の部員である。
なので、放課後の部活動以外ではめったに俺と話さない。
秋の文化祭に向けて彼女が取り組んでいる論文の研究テーマは、自分の名字の由来について。
近ごろは、図書室にある古地図で気になる地名を調べては、神社や仏閣を巡るのが日課となっている。
「ちなみに、野々坂さんは何と言ってます?」
「知らん。まだ聞いてない」
「具体的な内容は、まだ何も決まっていないんですか?」
「もしもあいつと話す機会があったら、お前からそれとなく聞いてみてくれないか?」
珍しく土曜日の朝に早起きなどしたせいか、この日の授業はまったく頭に入ってこなかった。
化学の実験で同じ班に分けられたクラスメイトたちも、顕微鏡そっちのけで来週に控えたプール開きの話ばかりしている。
俺は、窓辺に頬杖をついて怪しい雲行きを眺めながら、ネットの動画で見つけたペン回しの練習をする。
もしも午後から雨が上がったら、放課後にプールの水を抜いてデッキブラシで掃除するそうだ。
けれども、関係者とその知り合い以外は立ち入れない水泳部だけの特権なのだとか。
「それで、私に何か聞きたいことがあるんじゃなかったの?」
反対側の校舎から、渡り廊下を歩いて教室へ戻るところで、仲良しグループと同伴して女子トイレから出てきた野々坂とばったり遭遇する。
彼女と同じ、女子テニス部に所属している女子生徒たちだ。顔と名前くらいは知っているが、それぞれ別のクラスなので俺とはほぼ面識がない。
「……明日、晴れたらどうする?」
俺は、教科書とノートを脇に抱えたまま、廊下にある消火器のそばで時間をつぶす。
野々坂は、すぐに行くから待ってて、と手を振ってクラスメイトたちを見送ったあと、駆け足で階段を戻ってくる。
「一応、千嵐のことも誘ってみたんだけど、あんまり乗り気じゃないみたいでさ」
「私だって、そんなに暇じゃないんだけどな。明日はもう、ほかの友達と約束しちゃってるし」
窓の外は、相変わらずの雨だった。
今年一番の台風が通りすぎれば、ひょっとすると午後から晴れ間が覗くかもしれないが、梅雨が明けるまではしばらくこんな天気が続くだろう。
「別にいいよ」
「えっ?」
「どこで何を食べるかにもよるけど」
「……お前、好き嫌いが多いもんな」
野々坂は、息を止めたまま気合を入れてお腹をへこませると、今年の夏に向けて再開したというダイエットの成果をアピールする。
そして、シャツの袖をまくって力こぶを込めながら、たるんだ二の腕のお肉をつまむ。
――ほら、触ってごらん。ギョーザの皮みたいに柔らかいでしょ?
「ところで、あんたのほかに誰が来るの?」
そう聞かれて俺はまず、中学時代から親交がある野球部のメンバーの名前を挙げた。
打席の順番や守備のポジションなど知らない野々坂も、あだ名を聞いて誰だと分かる顔ぶれだ。
それから、高校で知り合った同じ学年の男子生徒たち。本人とは直接面識がなくても、何々部に所属している誰々と言えばすぐに思い当たる。
その中には、同じ学年の女子生徒と付き合っていると噂されている人物もいて、野々坂も相手の名前だけはよく知っていた。
さらに、当日集まった男女の人数がちょうど半々になるように、できれば知り合いの女の子にも声をかけてほしいという旨を伝えておく。
平たく言えば、合コンというやつだ。
もちろん俺たちは健全な青少年なので、馬鹿みたいに飲んだり騒いだりするわけじゃないが、帰りが遅くなれば夜遊びと言われても仕方がない。
「越智君とは一緒に遊ばないの?」
「明日は用事があるんだってさ」
「だったら、たぶん千嵐さんも来ないと思うけど」
「そうか、それは残念だな」
「結局、あんたと私の二人だけ?」
「悪いが、俺もバイトで忙しい」
「……何それ? どういうこと?」
「誘われたのは俺じゃない。お前のほうだ」
「そんなの、行くわけないじゃん。あんた、私のことを何だと思ってるの?」
野々坂は、いきなり俺の腹筋にグーでパンチをかまし、筆箱の中身をぶちまけると、それだけ言い残して去っていった。
俺は、足元に散らばった文房具を誤って踏みつけそうになり、その場から一歩も動くことができなかった。
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