空から来た少女

 カトゥオヌスとの共闘で水力発電施設の激闘を潜り抜けた、その翌日の夜。



「むう……」

「どうしたの、クリムちゃん?」

「珍しく匿名掲示板なんか眺めてるかと思えば、何か心配ごとか?」


 草原の上にマットを敷いて、その上で胡座をかいて、周囲に浮かべた複数のウインドウを睨んでいるクリム。

 その少し眉間に皺を刻んで唸り声を上げている姿に、これまで同じマット上でお茶を淹れたり、持ち込んだランチボックスを広げていたフレイとフレイヤが、流石に心配になってきたらしく声を掛ける。


 クリムが自分の周囲に展開しているウインドウは……昨夜の水力発電施設での配信ログと、配信を見たプレイヤーたちが書き込みしている匿名掲示板のスレッドだ。


「いや……何か違和感があるような気がしてな」

「違和感?」

「何かあったの?」


 心配そうに覗き込んで来る二人に対して、クリムは腕を組んで「むむむ……」と考え混む。


「それが……ずっと引っかかるものはあるんだが、うまく言葉にできなくてのぅ」

「なんだそりゃ」


 呆れたようなフレイの言葉に、しかしやはり納得いかない様子で考え込むクリムだったが、そこに別の声が掛かる。


「それよりお姉ちゃん、お昼ご飯の準備できたよ?」

「む、おお、そうじゃな。ルージュ、皆を呼んできてくれるか?」

「はーい!」


 元気に返事を返して、駆けていくメイド服姿のルージュ。



 ――今クリムたちが居るこの場所は、昨日クリムたちの手で解放された新エリア、『天使たちの落夭地』上層。


 前人未到、鳥たちの楽園となっているこの楯状地頂上は見渡す限りの草原が広がっており、そこに鳥たちが運んできた様々な植物や花が生い茂るその風景は、まさに地上の楽園そのものといった絶景を作り出していた。



 皆が戻ってくるまでの間、やるべき仕事もないクリムが周囲の景観を楽しんでいると……やがて、方々に散って探索していた同行者が戻ってくる。

 そんな中で、誰よりも真っ先に駆け寄って来たのは。


「盟主さま、見てください、こんなに希少な薬の材料が!」

「お姉ちゃんと先生と一緒に、頑張って採ったんだよ!」

「おお、セレナにカルムよ、なかなかに大漁ではないか」


 嬉しそうに、籠いっぱいに詰まった薬草や木の実を見せてくるのは、ジェードの錬金工房に奉公で来ているセレナとカルムのエルフ姉弟だ。

 更に二人の肩には、短い手足を振り回して「自分たちも手伝ったぞ」とアピールしている基本形態のドッペルゲンガー……ヒナとリコの姿もあった。彼女らは、何があった際の二人の護衛として常に同行してもらっている。


「いやー、人手があると助かるわー。二人ともありがとね」


 続いて姉弟を労いながら、こちらもホクホク顔で戻って来たのは、今日は仕事休みだというジェード。同じく仕事休みのサラとリュウノスケの夫妻も一緒で、ジェードに付き合って材料採取を手伝っていた二人もやはり満杯の籠を背負っている。


 また、その後ろでは元気に草原を駆け回っている雛菊とリコリス、いつものようにリコリスのあとを着いて回っているスピネル、そして引率がすっかり板についたカスミの姿もある。


『なんトもマァ、緊張感がネぇコトで』

「いいじゃないですかクルナック様、人は皆心身共に基本的には脆弱なのですから、たまには休息も大事ですよ」

「そうです、皆様はいつも忙しそうにしていたのですから、時にはこんな時間も必要ですよ……って、クルゥちゃんも言ってます」


 最後にのんびり歩いて来たのは、クロウを頭に乗せたヴェルザンディと、クルゥを抱きかかえたルゥルゥだ。


 この大所帯は、つまり……イベント攻略を他ギルドに任せたため暇を持て余したクリムたち『ルアシェイア』の面々は、何人かのNPCも連れた皆で『天使たちの落夭地』上層へ、採取できる素材の調査という名目のピクニックに来ていたのだった。




 ◇



「やれやれ、どうやら他のプレイヤーへの面目も立ったみたいじゃな」


 最後に一つだけ残していたウインドウ……しばらく探索を尻込みしていたプレイヤーたちが次々と攻略掲示板に新情報を書き込んでいるのを横目で眺めながら、クリムはホッと安堵の息を吐く。


 もともとクリムたちには先行利益を主張するつもりがない、珍しいくらいに無欲なギルドとして有名なのだが……それはそれとして『やっぱりちょっと申し訳ない』という他のプレイヤーたちからの声があった。


 そんなわけで、彼らが新エリア探索に気兼ねする必要がなくなるように、こうして『ちゃんと先行ギルドの恩恵は享受してますよ』とアピールするために、のんびりと探索に来たのだ。


 一通り現状を確認し終えたクリムは、周囲に浮かんでいた最後のウインドウも消して、ようやく食事の輪に加わる。


「ん、美味いな」

「はい、食堂のおばさまたちに感謝です」


 荒く潰したゆで卵と刻んだピクルスのサンドイッチを摘んでぱくりとかぶりつき、舌鼓をうつクリム。そのすぐ隣では同じ玉子サンドを選んで頬張るルージュがニコニコと笑いながら同意する。



 これだけ大人数を賄うとなると、当然ながら相当な量になる。

 そんな大量のお弁当を用意してくれたのが……セイファート城の住人NPCが増えたのと、学校に来ているネーブルの街の子供たち向けに始めた給食事業のために雇い入れた、子育てもひと段落して時間に猶予ができた街の主婦たちだ。


 帝都決戦の際に炊き出しを手伝ってくれたおばさまたちの中の何人かがその後も残ってくれた形となるが、クリムとしても適正な通貨FOLによる報酬はきちんと払っているため、良い働き口ができたと喜ぶ彼女たちとの関係もすこぶる良好だ。



 ……と、そんなセイファート城の台所事情はさておき。


 きっぷの良い食堂のおばちゃんたちの顔を思い浮かべて心の中で感謝を述べながら、クリムはまたもう一つのサンドイッチをバスケットから摘む。


「こう皆が久々に揃っていると、セツナちゃんが来れなかったのは残念ね」

「あの子、しばらくログインしていないみたいだが、まだ忙しいのか?」

「うむ……学校には行っておるみたいじゃが、放課後も早々に姿を消しておるしな。いったい何をやっているのやら」


 サラとリュウノスケの心配そうな言葉に、クリムは少々複雑そうな表情で首肯しながら、サンドイッチを口にする。


 皆には「家の事情でしばらくログインできなくなる」と告げていたセツナ。


 そんな彼女の『家庭の事情』を知っているクリムとしては……きっとクリムたち一般人が触れていい事ではないんだろうなあと、パンの耳の部分を口に放り込んで紅茶で流し込みながら、内心でこっそり溜息を吐く。



 その後も、和気藹々としていた時間が流れていたが……不意に、クリムが怪訝な表情で立ち上がり、上空、今も浮遊大陸が半分くらいを覆っている空を見上げる。


「……クリム?」

「シッ、何か聞こえてきた、これは……悲鳴か!?」


 それも、女の子の悲鳴だった。

 いったい何だと声が聞こえて来た方角を見上げたクリムの、その視線の先には――はるか上空から力無く落下してくる人影と、飛び去っていく巨大な翼持つ魔物の後ろ姿。


「ちょ……あれ死ぬじゃろ!?」

「クリム!?」

「すまんフレイ、我ちょっと行ってくる、フレイヤは治療の準備を!」

「う、うん、わかった!」


 落下してくる人影のあまりに速すぎる落下速度を目の当たりにして、咄嗟に判断したクリムが地を蹴り翼をはためかせて上空へと飛び上がる。


 そして全速力で飛ばした甲斐があり……瞬く間に宙を駆け抜けたクリムは、落下中の人物の落下コース上に待ち構え、受け止める体勢に入る。


「待っておれ、今助ける!」

「え……だめ、あなたも巻き添えで死んじゃうよ!?」


 何やらパニックになっているようだが、それでも駆けつけたクリムを心配する声を上げる少女。

 だがクリムはそんな声に構わず、思ったより小柄だった人影を空中で抱き止める。


 当然ではあるが、長い距離を落下して来たために凄まじい勢いがついたその人物を受け止めた反動は、さすがにクリムの小さな翼で相殺できるような生優しいものではない。


 引き摺られるようにクリムも落下を始め、このままでは共に大地に叩きつけられて、二人揃ってHPが全損することは間違いないだろう。


 故に……クリムは、宙を蹴った。


 足元に展開する、クリムの履く『天翔のブーツ』の特殊能力『姫翔天駆』の魔法陣。


 だった五秒間ではあるものの、螺旋を描くように宙を駆けて速度を殺した後、草花を盛大に巻き上げて地面に落下する。


 そのまま勢いに逆らわずに転がるようにして受身を取り……HPのバーが真っ赤に染まった頃、ようやく完全に静止したのを確認すると。


「はぁ……死ぬかと思った」


 詰めていた息を深々と吐き出して、ぐったりと草花の絨毯上へ四肢を投げ出す。


 そして……。


「あれ痛くない。そっかボクってば痛みを感じる暇もなく死んじゃったのかな、巻き込んじゃった人大丈夫かなぁ……うぅ、ごめんなさい、ごめんなさい」


 クリムに放り出される形で隣に転がされ、助かったことにも気付かずに横になったままぎゅっと硬く目を瞑ってぶつぶつと懺悔の言葉を呟いているのは……小柄なクリムよりも、さらに若干小柄な少女。


 だが、その少女の姿をチラッと見たクリムの目が、驚きに見開かれる。


 そして落下したクリムたちを心配して駆け寄ってきた仲間の皆もまた、すぐに少女の姿の異常さに気付いて固まる。


「なぁクリム、この子……」

「ん……ああ、そういえば噂で聞いた事があるな」


 フレイの問い掛けに、フリーズしていたクリムが再起動して、のろのろと身を起こす。そして隣でいまだに現実逃避中の少女を、あらためて検分する。



 まるで尻尾のように一房だけ長く伸ばした、空色をしたショートカットの髪。その頭の横からは、小さな翼がひょこりと顔を覗かせている。


 ルーン文字の刺繍が金糸で施されている学生服のような服、そのスカートから覗く脚もまた異様で、ぱっと見ではサイハイソックスかと思った脚を覆うものは……鱗。さらにその先、足も鋭い鉤爪を備えた猛禽類のようなものになっている。


 そして……極め付けに、二の腕の途中から見慣れた人の腕は存在せず、代わりに伸びているのは、髪の色と同色の



「……なるほど。そういえば、掲示板に目撃報告があったな」


 クリムが助けた、空から落ちてきた少女は――『ハルピュイア』と呼ばれる、魔族系種族のだった。



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