平穏なひととき

新年度

 ――四月上旬。


 この本州北の政令都市ではまだ桜は開花しないまでも、うっすらと桃色の蕾をつけ始めたこの時期……新たな一年の始まり。


 春の兆しと共に県下の高校で一斉に始まった入学式で街が沸き立つ中、紅たちが通っている杜乃宮でもまた例に漏れず、新たな学生生活を夢見る大勢の少年少女たちが真新しい制服に身を包み、希望に満ちた表情で歩いていた。





「――ご入学、おめでとうございます」


 そう、いつもとは違う淑やかな微笑みを浮かべながら、紅は自分より頭ひとつ以上背の高い、真新しい制服に身を包んだ男子生徒の胸ポケットに、白い花を模したコサージュを挿してやる。



 ――紅と聖はこの日、入学式会場である学生会館ホール入り口にて、入学式に参列する新入生への受付対応を行っていた。


 屋外での案内ができない紅の体質もあるが、それ以上に紅たちが冬休みに巫女さん体験の助勤を経験したこと……すなわち来賓や参観の親御さん向けの行儀作法はバッチリであろうというのを踏まえての、教師たちからの頼まれ事だった。


 そんなわけで、この杜乃宮学園の学生会館入り口にて、紅と聖は受付として新入生や来賓客への対応へと当たっていたのだった。



 友人グループらしき新入生の三人組全員に同じようにコサージュを挿してやり送り出すと……彼らはどこか夢見心地な緩んだ表情で、入学式会場であるホールの方へと歩いていく。


「はぁ……いまの受付にいた先輩たち、可愛かったなぁ」

「噂に聞く芸能科の先輩か?」

「いや、でも普通科の制服だったよ」


 そんな会話をしながら、浮ついた様子で立ち去っていく新入生の男子生徒たち。

 その何回目か分からない会話内容に、隣席で名簿にチェックを入れながら受付作業をしている聖と共々苦笑しながら……またすぐ新たに現れた女生徒の受付を済ませ、コサージュを付けてやる。


 そんなふうに、特にトラブルもなく二人で与えられた受付の仕事をそつなくこなしていると……そろそろ終わりかなという頃、どうやら話がしたくて受付が空くのを待っていたらしい、紅もよく知っている人物が現れた。



「入学おめでとう、ラインハルト君」

「ありがとうございます、紅先輩、聖先輩。今年からは同じ高等部で学ぶことができて、僕も嬉しいです」


 受付を済ませ胸元に新入生用のコサージュを挿してやりながら祝福の言葉を掛ける紅に、そう心底嬉しそうに返答する金髪の少年――ラインハルト。


 あきらかに西欧風の容姿をした、紅顔の美少年。そんな彼が穏やかに微笑んでいると、実によく目立つ。

 新入生の少女たちのみならず、通りすがった上級生のお姉さま方までときおり足を止めて振り返って見ていくのは、さすがは玲央の側仕えといった貫禄か。



 ――イケメン爆発しろ……とは、この子には言いにくいんだよなあ。



 ニコニコと人懐っこい笑みを浮かべる年下の少年に、ついつい裁定が甘くなる紅なのだった。


 だが……そんな純真な少年のような表情が、隣に現れた人物を目にした途端に曇る。


「……やっぱり、君が推薦入学通ってるの納得できないんだけど」

「ふふん、僕の場合は普段のタスク管理の賜物です。やるべきことはちゃんとやっているんですよ」


 そう、頬を膨らませてジトッとした目で睨むラインハルトに、得意げな様子で花を飾られた胸を張る新入生の少年――シャオあらため、風見暁斗。


 彼もまた、紅たちが通う杜乃宮の後輩、ラインハルトの同級生となったのだった……なんと、紅の時と同じく推薦で。

 いったいどこにそんな時間が……そう、彼のゲームプレイ時間を知る者一同が揃って愕然としたのだったが、結局は「考えるだけ無駄」という結論に落ち着いたのだった。


「まあ、ラインハルト君は最終学年での中途編入だからねぇ」

「そうそう。それで新入生代表のスピーチするんでしょ、凄いよね」

「い、いや、運が良かったんですよ」


 褒めちぎる紅と聖に、真っ赤になって謙遜するラインハルト。


「はは、謙遜しなくていいよ」

「この学校の新入生代表挨拶って、推薦枠を除いた入試最高点の生徒だからねー。昴は無理だったから、めちゃめちゃ悔しがってたよー」

「あー、私らの学年って、不動の一位が居るもんね……」


 そんなことを話しているうちに、また玄関の方から人が歩いてくる。

 仕事を思い出した紅と聖が、椅子に座って姿勢を正すのを見て、ラインハルトがこれ幸いと暁斗の袖を引き、ホールの方へと踵を返す。


「そ、それじゃあ、僕たちもそろそろ会場に行きますので……」

「ああ、もうそんな時間ですか。それでは失礼します、先輩がた」

「あ、ごめんねー、引き留めちゃったね」

「うん。それじゃあまた後で」



 そう、やや逃げるように立ち去るラインハルトと、そんな彼の様子に苦笑しながらついていく暁斗。

 歩き去る二人に手を振って別れた頃……紅たちも、新たに現れた新入生の対応へと戻る。


「それにしても……」


 そうして送り出した新入生……の母親らしき人を見送りながら、紅が不意に呟く。


「去年は私だけだったけど、今年は結構見るな……リモートでの入学の子」


 そう、先程の新入生の母親は、双方向通信プローブを……去年の初めは紅も随分お世話になった、見なれた機械を抱えていたのだ。

 当然、紅は自分の入学式を懐かしく思いながら、その機器の方へと花を取り付けた。


 そして……今回は、そんな入学生もすでに数人対応しているのだった。


「紅ちゃんの一件で実績もできたから、積極的なVR授業の受け入れを推進し始めたみたいだよー」

「なるほどなぁ……」


 二十年前の黎明期に試験運用された際、授業の裏で別のことを行なっていたり等々の生徒の学習態度の悪化に伴う学力低下など、色々と問題が取り沙汰されたこともあり……一度は、あまり推奨されなくなったフルダイブ技術を活用した通学形態。


 しかし今は技術の成熟と、普段から慣れ親しんだ世代である学生たちの特性も踏まえて、徐々に敷居を下げる動きが始まっていると、紅もよく聞く話だ。


 それに……やはり、普通に登校できない事情を抱えているが勉強はしたい者にとって、やはりありがたい存在であることは紅自身が身をもって体験している。


「……っと、入学式、始まったみたいだねぇ」


 そんな話をしているうちに……講堂の外から、あえて昔ながらのメロディを採用した学園のチャイム音が聞こえてきた。

 紅たち手伝いの在校生は、今日は本来であればまだ春休みなため、これで本日はお役御免。あとは手伝いに駆り出された皆と挨拶をして、解散となる。


「さて……ねえ聖、ラインハルトたちや雛菊ちゃんの入学式のお祝い、午後の3時からヨネダだったよね?」


 地元の中学校に進学なため別の学校ではあるが、この日はラインハルトたちと同じく入学式なのだという雛菊。

 午後は桔梗に連れられて、中学校で必要なものを買い出しに来るのだという雛菊も交え、友人たちを呼んで三人のお祝いしようと、紅たちは席を予約していたのだ。


 それが、この日の午後3時。現在の時間は午前の10時であり、予定の時間まではあと何時間もある。


「うん、そうだねー」

「まだ、時間もいっぱいあるよね……」


 時計と聖の方を交互に見ながら、途端にソワソワし始める紅だったが……すぐに、意を決して聖へと向き直る。


「それじゃあさ。聖、良ければなんだけど……時間まで街に遊びに行かない、その、二人で」


 おもいきり照れながら、紅がそう誘う。

 ちなみに校門で新入生の案内をしている昴は、この後は歓迎会に参加する予定の深雪を迎えに行くというのは、事前にそれとなく確認済みだ。


 突然の誘いに少しだけ驚いた様子だった聖だが……すぐに、パッと嬉しそうに笑う。


「うん、いいよー。それじゃあ、久々に二人でデートだね!」

「……うん!」


 朗らかに快諾する聖の言葉を受けて、紅もまた満面の笑みを浮かべ、頷いたのだった――……

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